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2004年5月 8日 (土)

『吾妹子哀し(わぎもこかなし)』 青山光二

0233760700001.jpg帯より。「自分の愛に責任を持たなければ―― 少しずつ壊れてゆく痴呆症の妻――夫の老作家を支える、かけがえのない恋慕の記憶。」

朝日新聞の書評欄に、川上弘美が本書の書評を書いていた。(こちら
また、川端康成文学賞を主宰する新潮社のHPには、著者の受賞の言葉が載っている。こちら

作家の周辺を書いた作品や評伝を好んで読む私にとって、本書も琴線に触れるタイプの作品だろうと想像して読んだ。もちろんドキュメンタリーではなく、創作だということも踏まえた上で。

読み終えた感想は、「ああ、これは作家が自分のために書いた本だ」という思いだった。長年連れ添った妻が痴呆症になったことから生じる現実の困難、やり場のない思いを、自分に課せられた試練と受け止める気持ちに疑いはないと思う。

杏子に銃口を向けるものがあれば、おまえはそれを遮って立てるかと、その折々に杉は自分自身に問いかけたものだった。(中略)今また杉は銃口の前に立っている。銃にこめられた弾丸はアルツハイマー型痴呆症だ。

こうして、自分自身の妻への愛が試される中、介護に疲れてしまう自分をさらけ出すことよりも、妻に対する無限の、そして何ものにもかえがたい「愛」をうたい上げることに、著者は意味を見出したのだろう。そこに至るまでの葛藤は、想像を絶するものがあったに違いない。

そのように考えた上でも、本書に素直に感動できない私がいた。何故か。著者の描く愛が「一方的な愛」だからである。こんなにも自分は妻を愛していた。こんなに純粋な思いで愛していた。そして今は、壊れた妻をしっかりと受け止めようと思う。厳しい言い方をしてしまえば、これは自己満足の愛、そこに酔っている。そこに酔うことしか、この辛い試練を受け止めるすべがないのかもしれない。だが、妻の心を思い、寄り添う視点は、徹頭徹尾見あたらないことが、読んでいてつらい。

自分のために、自分の愛を美化するために書かれたもの。そうしなければならないほど、妻の心が確かであったときには、「愛」を確かめることなく生きてきたということなのだろうか。相手不在のままの愛の自己弁護・・・読む前の期待が大きかっただけに、非常に厳しい評価になってしまった。残念である。

『吾妹子哀し』 青山光二  新潮社  2003年刊行
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同じようなテーマで、衰えてゆく妻を描いたもので、人間の根源に触れたと感じ、私が心から感動した本に、次のようなものがある。

黄落』 佐江衆一
終わりの蜜月』 大庭利雄
そうかもしれない』 耕 治人

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イケメンでなく、男前のスレを立てたら、さっそく反応があったので、もし、本年度の男前を選ぶとしたら、誰だろうかと、くだらないことをちょいと考えてみました。このブロ... [続きを読む]

受信: 2004年12月27日 (月) 20:37

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