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2004年12月27日 (月)

『特捜検察の闇』 魚住昭

特捜検察の闇(文春文庫)
魚住昭著

出版社 文芸春秋
発売日 2003.05
価格  ¥ 550(¥ 524)
ISBN  4167656655

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 『特捜検察』で、特捜検察の手腕と活躍ぶりを著した著者が、一転、検察の変貌ぶりを描き、司法界全体の翼賛体制を鋭く批判している。

当事者主義の精神に貫かれた憲法や刑事訴訟法が裁判官に期待するのはどちらにも偏らない中立公平な判断であり、検事に期待するのは徹底した真実追究の精神である。そして法曹三界のうち唯一国家組織に属さない弁護士に期待するのは、どこまでも被告人の権利を擁護し、不当な国家権力の行使に異議を唱える在野精神と言っていいだろう。この法曹三者がそれぞれの役割を十分に果たして初めて民主主義の法システムはバランスよく機能する。司法の理念とされる「公正と透明」は、中坊の言うように弁護士が「公益的な職務」を義務的に行うことで実現されるわけではない。むしろ弁護士に求められるものは、たとえ「公益」に反したとしても、そして被告が血も涙もない極悪人であったとしても、どこまでも被告の権利を擁護する徹底した姿勢である。

現在の刑事司法が抱える最大の問題点は、憲法がうたいあげた人権擁護の理念が空洞化していることだ。必要なのは経済界にとって「使いがってのいい司法」ではない。そして自民党や法務省が目指すような治安維持を優先させた司法でもない。必要なのは憲法が「侵すことのできない永久の権利」とうたいあげた基本的人権と自由を徹底的に擁護する司法である。

「ヤメ検」、元特捜のエース田中森一と、オウム真理教主任弁護人を務めた安田好弘の逮捕という実際にあった事件の捜査の実態とその後の展開が克明に描かれている。そこに繰り広げられる検察の組織の腐敗、逮捕ありきのずさんな捜査の実態は、目をおおわんばかり。法廷で次々と崩されていく検察側の主張は、信じがたいほどちゃちな筋書きに基づいている。これほどずさんな捜査で、人の罪を立証しようとしているのか。使い方を間違えたときの権力の恐ろしさを思う。これが我が身に降りかかってきたら、太刀打ちするすべなど、まるでないだろう。

民事不介入の原則は、捜査機関が一般市民の私生活領域への進入の防波堤であったはずなのに、住専社長だった中坊が、市民の自由を守るべき弁護士でありながら、その防波堤を決壊させてしまったとして、その責任の重大さを著者は指摘する。

厳しく批判を続ける著者は、途中、関西検察を代表する特捜検事の言葉を引用している。

検事というのは正義を守る最後の砦だと思います。私はその職を全うできたことに誇りを持ってます。そこに真実があり、それが正義だと信じていたから検事として仕事をしてきたのです。

現在の司法に警鐘を鳴らしつつ願っているのは、このような検事の、検察の復活なのだろう。

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