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2005年4月15日 (金)

『日記をつける』 荒川洋治

日記をつける
日記をつける
posted with 簡単リンクくん at 2005. 4.15
荒川 洋治
岩波書店 (2002.2)
通常2~3日以内に発送します。

こどもの絵日記から始まって、おとなの日記に話が移る。「港で働きながら思索生活を送った不思議なおとながいた。「沖仲仕の哲学者」といわれるエリック・ホッファー(1902~1983)である」という書き出しで、『波止場日記――労働と思索』(田中淳訳、みすず書房)が紹介されている。

この『波止場日記』はちょっと普通とはちがうところがある。まず今日一日の仕事のなかみを書いたあと、突然、思索に「突入」するのである。

(…中略…)

おとなはランベルト君のようにキャラメルをもらってもチップをもらっても、そんなことではよろこばない。働くよろこびも評価されるうれしさもあるが、それだけでは気持ちが晴れないのだ。あれやこれやで心が占められ、一日じゅう何かを考えてしまうのである。子供の先はおとなだが、おとなの先はない。波止場どまり。そこからは茫洋とした海が見えるだけ。ずっとおとながつづくのだ。考えるしかない。思うしかない。

ああ、荒川洋治節だ。「ずっとおとながつづくのだ」。荒川洋治のエッセイでは、こういうふう異常にやさしい言葉を使った驚くほど思い切り普遍的な事柄を言い切る文章に、どきっとさせられる。

私の大好きな武田百合子の『富士日記』にも触れている。荒川もこの日記が好きらしい。ずっと引用していたい、とか言って、あまりコメントしていない。とにかく好きらしい。読み返したくなった。

内田百閒の78歳の夏の日記のある部分を引用したあとの解説。

文豪は食べることを最後まで楽しんでいたのである。○をつけ、×もつけて一日一日を味わっていた。それは、食べることに興味をもっていたというより、その他のことを書く必要はないからである。彼は老齢になっても次々に力のこもったものを書き発表していた。心のなかのことは発表され、外に出ているので、日記には書くことがないのだ。

なるほど、なるほど。

日記はエッセイになりやすいという話の中で、幸田文の例を引く。

これはものごとが、いったん<ことば>になるということである。「興味をもつ」ということそのものがひとつの<ことば>になることで、文章は羽根をつける。四方に飛び散っていくのだ。思考も広いところへ出ていくのだ。読む人をうるおすものになるのだ。(…中略…)ことばが回りはじめると、日記は動く。エッセイになる。

「そして最後に。」として自分を振り返る。

ぼくはどうして日記をつけるのだろう。日記をつけていると、自分のなかの一日のほこりがとり払われて、きれいになるように思う。一日が少しのことばになって、見えてくるのも心地よいものだ。ぼくはその気持ちのなかに入りたいために、日記をつけるのだと思う。時間のすきをねらって、あるいは寝る前に、

   ちょこっとつける。

あのひとときが好きだ。それがとても、ぼくには楽しいのだ。つけるときの、そのときのために、ぼくは日記をつけるのだ。今日も、これからもつけるつもり。

荒川は日記が大好きなのだろう。つけるのも、人の日記を読むのも。だから、本書では、珍しく一度も怒っていない。物を申していない。楽しくて楽しくて仕方がないように読める。日記というものを心から愛している感じである。読んでいても嬉しい。

日記を書く私の気持ちが、荒川のこの気持ちと全く同じというわけではないけれど、自分を見つめる時間を持つ人が好き、というのは共通なのかもしれない。世界の仕組みを考えるよりも、自分を見つめて、小さな世界で生きていくタイプの人間には、日記は必須のもの。世の中に向けて書くよりも、未来の自分に向けて書く気持ちで、いつも書いている。

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コメント

 荒川洋治が楽しんで書いている様子がよくわかりました。
「だから、本書では、珍しく一度も怒っていない。物を申していない」というように、書いてないことに気がつくのは案外難しいことのような気がします。
 ホッファーのくだりを読んで、突然、かつて『工場日記』(シモーヌ・ヴェイユ)を読んだことを思い出しました。珍しい記憶の覚醒の仕方をした気持ちです。

 日記といえば、かたや『佐藤栄作日記』みたいなもの、かたや『青木正美さまよい日記』みたいなものがありますが、「未来の自分に向けて書く」という言葉は、正鵠を得ているように思います。
 実際、未来(つまりいま)になって、過去の日記を読むと、なんといたいけな、とか、いじらしいと思ったり、こんなすごいことを考えていたのか、と思ったりして、奇妙な時間の地滑りを感じます。

投稿: なますたたき | 2005年4月16日 (土) 14:25

>なますたたきさん

挙げていただいた日記は、どれも読んだことがないのが残念です。

自分のすべてを自分が把握しているわけではない、ということを、過去の自分の書いたものを読むと強く感じます。忘却は人間にとって大事な能力ですが、時を飛び越して別の自分に出会うことも、悪くないですよね。

投稿: とみきち | 2005年4月17日 (日) 00:04

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