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2005年4月21日 (木)

『人気の本、実力の本』 荒川洋治

人気の本、実力の本
荒川 洋治
五柳書院 (1988.6)
この本は現在お取り扱いできません。

だいぶ昔の本である。bk1には現在在庫がないそうだし。84~88年にかけて多様な場所に書かれたものを集めたもの。今よりもう少し長いセンテンスが多いし、自分のことを割合素直に、自信を持って語っているところがあるのは、今となっては目新しい。現在の荒川洋治は、自分について肯定的に書くことは皆無と言ってよいほどであるから。

文章そのものについて書いたものもあれば、現代詩の行く末について書いたものもある。ことばと文字が語られるかと思えば、短編小説についてひととおりの意見が述べられたものもある。

最も面白かったのは、耕治人についての講演「そうかもしれない」であった。荒川は、詩の話から始める。メタファーについて語る。そしてメタファーを持たない詩として、武者小路実篤の詩を挙げる。

次に、実篤につながる人として耕治人を突然出してくる。彼の最後の作品が、『そうかもしれない』である。これはちょうどこの講演の時期に「群像」に掲載されて話題になった。そういう背景があって、実篤から耕治人に話がつながっていく。

耕治人はあれだけ賞をもらっても自分に厳しい人っていうか、こういう文学を書く人ですから、ものを誤って、つまり自分から自分を不幸にしていく人なんですね。自分から間違った見方をすることによって、先程の牢屋にぶち込まれるところも、そういう得心の仕方をして、牢屋に入るということで、自分なりに自分をみがきあげていくわけです。不運を不運として受け入れて、それで光りが満ちてくる。そういうふうにして、生き方をつかんできた人なんです。

ここで、日本のそれまでの私小説作家との違いが語られ、世界に通用する日本らしい小説は私小説ではないか、との見解が述べられている。

メタファーを持たないというのは、裸なんですよ。皮膚がヒリヒリしてるんだよね。だから耕治人の小説は面白いんです。で現代詩ってのは一体何かというと、メタファーを持っているために、もうそのヒリヒリする機会がないんだ。

とメタファーと詩のテーマに戻り、話は落着する。

早速、耕治人を読み返したくなった。講談社文芸文庫の『一条の光 天井から降る哀しい音』、早く復刊させてくださーーい。

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