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2005年8月14日 (日)

『菊と葵のものがたり』 高松宮妃喜久子

菊と葵のものがたり
高松宮妃喜久子著
中央公論新社 (2002.1)
通常1??3週間以内に発送します。

正式なお名前は「宣仁親王妃喜久子(のぶひとしんのうひきくこ)」だそうだ。本書の奥付の著者名はそのように表記されている。

タイトルの「菊」はもちろん皇室を、「葵」は徳川家を表している。著者は最後の将軍徳川慶喜の直系の孫にあたる。ご本人の話によれば、徳川家のおてんば娘として育ったということだが、母は皇族の有栖川家の出であるから、「武家から皇室へ」といっても、喜久子妃の中でコペルニクス的転回があったわけではないのかもしれない。

本書は、談話集と、喜久子妃自身の手になるエッセイとで成っている。特に面白かったのは談話集のほう。『高松宮日記』発行に陰で助力をした阿川弘之との対談(平成10年1月号・2月号の「This is 読売」に掲載されたもの)、それから「思い出の高松宮さま」と題された、秩父宮妃勢津子、高松宮妃喜久子、三笠宮妃百合子による鼎談(昭和63年1月 朝日新聞社刊『高松宮宣人親王』に収録)などが掲載されている。

高松宮妃にかかると、語られる日々が普通の人間と大きな違いがないように聞こえるから不思議。もちろん、18歳で天皇の弟である高松宮に嫁ぎ、何もわからないまま、天皇の名代として(ご本人の言によれば新婚旅行も兼ねて!)ヨーロッパ24カ国を14カ月かけて訪問、なんてことは、普通の人間にはあり得ないことだけれど。

第二次世界大戦に関する昭和天皇と高松宮との間の意見の違いは、立場や性格の違いなどもあってなかなか大きいものだったようだ。天皇と終戦にスポットを当てた研究等からそのことは伺え、一般的な理解になっているようだが、政治的あるいは学問的な関心でないところで、皇族の内側をかいま見ることができるのが大変興味深い。

「対談『高松宮日記』あの日あの時」より

阿川 (前略)お若い時代、宮様が妃殿下にそういうお話をなさったことがございましたでしょうか。

妃殿下 何も……。言ったってわからないと思われたのでしょう(笑)。

阿川 まさか。そうするとやはり、家庭では公務のことは話さない、という海軍の伝統を守っておられたのでしょうね。

妃殿下 そうかもしれません。

阿川 妃殿下におっしゃらなかったにしても、当時宮様は日本の将来をずいぶん憂えていらした。そのことが、お日記のあちこちにあらわれております。

妃殿下 (深くうなずかれる)

阿川 陛下の赤子(せきし)といわれる国民がどんどん死んで行くのに、皇族に一人の戦死者も出ていない、おかしいじゃないか。そういう記述もあります。

(中略)

阿川 戦争末期になると、宮様は生きて皇統を守るべきか、死して皇統を守るべきか、と非常にお悩みになるんですね。陛下にもしものことがあったら、秩父宮様がご病気だから、自分が摂政に立つしかない。お側にいて可能なかぎり陛下をお支えすること。それが「生きて」の意味でしょう。「死して」というのは、最悪の場合無条件降伏になる。そうなれば、国体変革の暴動が起こって国民の恨みは陛下に向かうだろう。その時、天皇の弟だって戦死しているんだということが国民の気持ちを慰撫して日本再建の礎になるなら、自分は死んでいい、と。ご立派なものだと思います。

妃殿下 (再び深くうなずかれる)

阿川 ただ、お立場が違うだけに、陛下に対するご不満もおありだったようで、あちこちにそれがしたためられています。宮内庁が公表をいやがるのも、そこらへんかと想像しておりますが。

しかしながら、幼少の頃は大変に仲の良い三兄弟だったという。長男である昭和天皇が東宮となって高輪御所に移ることになったときの話は、皇室に生まれたことの厳しさを示していて、心がいたむ。鼎談で秩父宮妃殿下が語るには……。

明治天皇さまが崩御あそばして、陛下が東宮さまにおなりになって、“高輪御所”へ移られた。おあにいさまだけがここへお移りになった。それまでお三方ご一緒で、お暮らしになっていたわけだから、もうお悲しくって。お兄さまは東宮さまだから仕方がないっていうことはちゃんと聞かされていらっしゃるんですけど……。それでも、もう二度とご一緒には住めないことになるんで、お引っ越しの前日にはあした大雪になれって、お二方がお手をこすり合わせて。

宮内庁からしばしば注意を受けることのあったという、おおらかな高松宮妃殿下ならではの、共感できる皇室像、皇族像が読める。

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