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2006年1月13日 (金)

『海も暮れきる』 吉村昭

海も暮れきる
海も暮れきる
posted with 簡単リンクくん at 2006. 1.14
吉村 昭〔著〕
講談社 (1985.9)
通常2-3日以内に発送します。

「はるの山のうしろからけむりが出だした」

壮絶な病死をした尾崎放哉の最後の句である。吉村昭によるあとがきの一部を紹介する。

(…略…)私はいつの間にか尾崎放哉の句のみに親しむようになった。放哉が同じ結核患者であったという親近感と、それらの句が自分の内部に深くしみ入ってくるのを感じたからであった。放哉の孤独な息づかいが、私を激しく動かした。放哉も死んだのだから、自分が死を迎えるのも当然のことと受容すべきなのだ。と思ったりした。

十二年前、放哉の死んだ小豆島西光寺の別院南郷庵に行った。粗末な庵で、その前には、

   いれものがない両手でうける

という句の刻まれた碑が立っていた。近くの道からは、初秋の海が見えた。碑の施主である井上一二氏を訪れ、土蔵の中にある放哉から井上氏に宛てた多くの書簡類も見せていただいた。

(…中略…)

私は、三十歳代の半ばまで、自分の病床生活について幾つかの小説を書いたが、放哉の書簡類を読んで、それらの小説に厳しさというものが欠けているのを強く感じた。死への激しい恐れ、それによって生じる乱れた言動を私は十分に書くことはせず、筆を曲げ、綺麗ごとにすませていたことを羞じた。

放哉は、東京帝国大学卒業後、生命保険会社に10年勤務するが、酒癖がひどく、勤務態度も悪いために重役の顰蹙をかって退職させられる。その後、友人の斡旋で、京城に創設された別の保険会社の支配人を任されるが、それも酒癖がたたって退職せざるを得なくなる。同時に肺を病み、仕事にも就けなくなり、妻とも別居して、寺に転がり込む。そんななかでも俳句は次々と生まれていたが、支援してくれる俳句の同人たちにさえ愛想を尽かされるような酒癖の悪さから、放哉は孤立し、健康は加速的にむしばまれていく。

上に引き写した「あとがき」に見られるように、吉村は書簡や関係者の話をもとに放哉の精神の足跡(そくせき)をたどり、一体化するかのごとく放哉の心に寄り添ってこの小説を書いている。「人間の哀しさ」が心に残った。病に倒れる前の放哉は何故にそれほど酒を飲み、周囲の人間に冷水を浴びせるような罵詈雑言をまき散らしたのか。病に冒されたあとも、死に抗いながら何を求めたのか。放哉の生とは何であったのか。

放哉は「自我」との闘いを生涯続けていたのか、と想像する。常についてまわる「自我」の意識。自分は特別な人間だという思いを持つがゆえに、現状の不遇がその自我を傷つける。うまくいかないのは皆、他人のせいだと考えない限り、自分の責任を認めざるを得ない。才能があり、その辺の人間とは比較にならないほどの自分がこのような境遇にあるのは、ひとえに世間がバカだからである。そういう理屈を立ててかろうじて自我を成立させる。その「自我」から解放されたくて酒を浴びるほど飲むが、飲めば飲むほど逆恨みの気持ちが言葉になってほとばしり、放哉を取り巻く状況が悪化する。「自我」の成立のためには、ますます逆恨みの気持ちを強化させるしかもはや手だてがない。

放哉には、たどり着きたい幸せも、たぐり寄せたい安寧も、具体的に思い描くことができなかったのではないか。それぞれの人間が独自に持っているはずの幸福感というものを、放哉は一度も感じたことがなかったのではないだろうか。幸せのクオリアは、人から与えられるものでなく、自分自身が「自分は幸せだ」と思うことでしか獲得できないものなのだ。逆に言えば、自身が自身を肯定すれば、心の平安は獲得できるものだ、とも言える。放哉には「幸福」のイメージが描けなかったのだろう。

生きる目的を持たない生物は、その時点ですでに自己矛盾である。心身がむしばまれていくのは、むしろ必然である。放哉は何に向かって生きていたのか。そして何ゆえに死を恐れたのか。自分だけがその価値を認めている「自我」がついえそうになると、酒を飲んでその苦しさを紛らわす。酔いが醒めれば、飲む前よりもひどい状況になることはわかっているのに。

そういう人が人生の最期の時期に俳句を詠む。装飾的であるはずがない。一切の虚飾がそぎ落とされた日々。自分とその周囲だけを見つめて生きる日々。自分にはもう何も残っていない、と確認し続けるだけの日々。そのおそろしいまでの虚無感を思う。そんな索漠とした日々のなか、周囲を見つめる目は、病の進行とともに冴え渡っていったようである。

火の気のない火鉢を寝床から見て居る

死にもしないで風邪ひいてゐる

ヒドイ風だドコ迄も青空

咳をしても一人

生きがたさに苦しみ抜いた人間の、最期のあらがいの日々を描き切った、吉村昭渾身の作。

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コメント

これ、前々から読もうかと思っていた本です。吉村さんの本ではさいきん『羆嵐』を読んだばかりなのですが、圧倒されました。

投稿: 退屈男 | 2006年1月17日 (火) 01:57

>退屈男さん

こんばんは、ご無沙汰しています。

>吉村さんの本ではさいきん『羆嵐』を読んだばかりなのですが、圧倒されました。

あのー、タイトルは何と読むのでしょうか。退屈男さんのお好みは、くすくす系が基本でしょ? 圧倒される系もお好きですか。人間の底力みたいなものかな。以前ご紹介くださった『南の島に雪が降る』は人間の底力系ですよね。

放哉はもうダメダメ人間系です。ほんとうにもうって感じ。こういうの、私、好きなんですよね。屁爆弾さんが雑記帳のほうで、ダメダメ人間系の山頭火の本をご紹介くださったので是非読んでみようと思っています。

吉村昭の読めない本↑も候補に入れようっと。

投稿: とみきち | 2006年1月17日 (火) 02:12

圧倒される本も好きなんですよ。「羆嵐」は「くまあらし」と読むのですが、「羆」は「ひぐま」という字なのだそうで。ぼくもこれではじめて知りましたが。これはもう、すごいっす。おそろしく、おもしろく、読み終えてから溜息つきます。
『海も暮れきる』、ぼくは佐高信氏の本で知り、ずっと興味を持っているのですが。

投稿: 退屈男 | 2006年1月17日 (火) 03:29

>退屈男さん

「ひぐま」と打って変換したら「羆」と出てきました! またぎの話なのかなー。

>これはもう、すごいっす。おそろしく、おもしろく、読み終えてから溜息つきます。

うう、退屈男さんにそこまで言わせるっ。読みますよーー。

投稿: とみきち | 2006年1月17日 (火) 14:31

立派な内容で、驚きました。今日は少し読んだだけですが、じっくり見せていただきます。吉村さんの本は、通常で入手できるものは全部読みました。いつか、読み直したいと思っています。

投稿: ipfdontaro | 2010年3月11日 (木) 20:26

>ipfdontaroさん

はじめまして。
コメントをありがとうございました。

山頭火と方哉、よく比較されますが
私は圧倒的に方哉のほうが好きです。

吉村さんのこの本で
好きになったのかもしれません。

投稿: とみきち | 2010年3月11日 (木) 23:45

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