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2006年4月 6日 (木)

『どうしやうもない私 わが山頭火伝』 岩川隆

どうしやうもない私
岩川 隆〔著〕
講談社 (1992.5)
この本は現在お取り扱いできません。

秀逸な山頭火評伝。本書は1985年から3年間、趣味の雑誌『酒』に連載されたもの。単行本で発行されたのち、講談社文庫に入る。その文庫のあとがきに著者はこう記している。

毎月一回、だらしない、どうしようもない山頭火とつきあうのはそれほど楽な仕事ではなかった。ひとに迷惑をかけ、妻子を置いてきぼりにする山頭火はまあいいとしても、ちらちら自己顕示欲や一種の狡さ、上昇志向、きわめて保守的で保身的なものの考え方、甘えの情緒とうらはらにあらわれる利己的な冷酷さ、思いやりのなさ、などを感じるときは、率直に言ってうっとうしくなった。(…中略…)

 しかし私がそれでもなお、かれを見放さず捨てることもできなかったのはやはり、その“生”に迷い多き、苦悩(他人には苦と思えなくても)に彩られた私ども人間のあわれ、哀しみ、滑稽さのようなものがからみついており、作句ひとすじに連なっていれば救われる、といった純情を山頭火が燃やしつづけ、かきたてていたためだろう。「どうしやうもない私」というのはひとり山頭火のことではなく、だらしない怠け者の私自身、あるいは、ほかならぬ、われわれ自身といってもいい。どうしようもなく生と死のあいだで揺れるこのような存在を神や仏はどのようなかたちで死なせるのだろうか、という素朴な関心が最後まで消えなかった。

死によって山頭火の人間くさい悩みは消滅し、あとには多くのひとたちに愛される、わかりやすい、自然に没入した人間の名句が残った。もって瞑すべし、である。

このように、著者は山頭火の人生に丹念に寄り添い、淡々と彼の人生を綴り、クールな解釈、クールな評を織り交ぜながらも、見捨てずに、最期を看取っている。全く困ったおっさんだよ、という気持ちを持ちながら、「大人ならそういうことは言わないだろう?」というツッコミを入れながら、結局目が離せず、見捨てることもできず、つき合わされてしまっている。

放哉と山頭火を比較して論じている箇所がある。

これに比べれば山頭火は、これまで述べてきたように、俗から離れようとして離れることができず、生死一如の境地に至ろうとしてそれもならず、みずからがいうようにどっちつかずで揺れ動いている哀れで愚劣で醜悪な生きもの、ということになる。

    こんなよい月を一人で見て寝る

放哉のこの句に感動して山頭火は、『放哉居士の作に和して』として、

    鴉啼いてわたしも一人

という句をつくった。放哉を思慕し、わたしもあんたと同じ独りですいの、というとき、山頭火の胸のうちに仲間への呼びかけと共感がこめられていた。仲間がいなければ、山頭火は生きていけない。仲間とは、ひととひととのふれあい……社会といってもいいだろう。放哉はこれを拒否する。他人の恩や社会というもののありがたさはよく理解し、自覚するけれども、自分にとっての大事なあくまで自分という存在であり生と死であり、そこにある無の世界である。山頭火は甘い感傷にひたって自然の風景に救いを求めているが、放哉はきびしく自己を自然のなかに置いて、観る、存在しようとした、といってもいい。

と書いている。山頭火に対しては辛辣である。しかし、著者は、山頭火の苦悩や迷い、執着を深く理解している。それだからこそ一層、山頭火が打算的な言葉を書いたり、自己弁護に終始したりすると、やりきれなくなるのだろう。山頭火は、弱さも、だめさ加減も投げ出してしまうのだ。格好をつけようという矜持がないなら、もっと開き直ってしまえばいいと思うのだが、ぐじゅぐじゅと反省したり、反省したふりをして言い訳をしたりするのが情けない、というわけである。

この一冊でたっぷり人間臭い山頭火につき合えば、彼の句の良さも弱さも、本書を読む前よりも感じられるようになると思う。そして、また、弱さと強烈な自負心とがせめぎ合う、芸術にしか生きられない人間のありようの一端を読み取ることができるのではないかと思う。

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コメント

[推敲しながらの 遊泳は 6/2 から 10月初めまで] 日々暮らしております..


山頭火の句に「どうしようもないわたしが歩いている」というのがあります。

     『どうしやうもない私 わが山頭火伝』 岩川隆

どうしやうもない私 岩川 隆〔著〕 講談社 (1989.5/30)
を 所蔵しており 数學に 絡む と 私が感じたところに 積分記号等を 
書き込んで おります..

http://yomuyomu.tea-nifty.com/dokushononiwa/2006/04/post_2ba5.html


http://blowinthewind.net/santoka/yuda.htm

>Google Earth なら地球上のどんな場所へもひとっとび。衛星写真、地図、地形、3D の建物など、
>楽しいコンテンツが満載です。宇宙の銀河や海底の峡谷といった未知の世界もお楽しみください。
>お気に入りの場所は保存して、友だちや他のユーザーと共有する .

Google Earth の [ ]欄に 湯田温泉 と 挿入し 山頭火 が 

徘徊した 地 を 氏に思いを馳せ ストリートビュー で  めぐって 下さい;

--------------
一部です、

投稿: ★ | 2015年11月21日 (土) 11:44

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