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2006年5月 7日 (日)

『花蔭の人 矢田津世子の生涯』 近藤富枝 

花蔭の人
花蔭の人
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5. 7
近藤 富枝〔著〕
講談社 (1984.12)
この本は現在お取り扱いできません。

本書の著者近藤富枝は、作家としての矢田像を掘り起こす。津世子にすべてを託した兄、不二郎と会って津世子の話を聞き、津世子に思いを寄せた年下の恋人だった人に会って話を聞く。津世子の書いた小説を読み、津世子の腹心の友であった大谷藤子との葛藤と友情を追う。

文庫本の「おわりに」で著者は次のように書いている。

私は、いま矢田津世子をもう一度天国からよび戻し、小説を書かせたいとしきりに思う。作家としてまさにこれからというときに、彼女は病魔にたおれたという気がしてならない。作家には若くして大成し、処女作以上の作品を一生書かずじまいの人もいるが、矢田津世子はそういう型の女流ではない。つねに変身を企図し、ジリジリと努力する型であった。

世に流布している津世子像とは全く異なる、文学修行に邁進する津世子像を、著者は懸命に築き上げている。なるほど、病気が、兄の存在が、美貌が、林芙美子らと同じように文壇に華やかに登場しながらも、津世子が後世に残る女流作家となることを妨げたのかもしれない。

長谷川時雨が発行する「女人芸術」の周囲に群れなす女流作家たちのゴシップ的な話は、時代を映していて非常に面白かった。

しかし、著者が何ゆえそれほど津世子に魅かれたのか、ということが、最後までピンとこなかった。何故、世間に忘れられた津世子をもう一度この世に引き戻して小説を書かせたいのか。何故、世間の評判とは異なる、文学修行に打ち込んだ津世子像を描かなければならなかったのか。『神楽坂』という一篇の小説に惚れ込んだからか。津世子の美貌に魂を撃ち抜かれたからなのか。

評伝は難しい。書き手の一方的な思いこみだけが先走ると、読者は置いてきぼりを食ってしまう。

未読だが、著者の『本郷菊富士ホテル』では、安吾と津世子の恋のいきさつ等が読めるようだ。こちらのほうがテーマが絞られていて読みやすいかもしれない。

津世子の故郷秋田にある文学記念室には、夥しい書簡が残されているという。(こちら

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