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2006年8月28日 (月)

『地下鉄のザジ』 レーモン・クノー

地下鉄のザジ
地下鉄のザジ
posted with 簡単リンクくん at 2006. 8.28
レーモン・クノー著 / 生田 耕作訳
中央公論新社 (1999.4)
通常2-3日以内に発送します。

本書を、読んだことのない人にわかるように紹介するのは、たいへんな難行苦行です。とりあえず客観的な事柄を幾つかお伝えすると……。

著者レーモン・クノー(Raimond Queneau)について(本書の訳者、生田耕作によるあとがきより)

1903年、ル・アーヴル生まれ。大学では哲学を専攻。シュルレアリスム運動に参加(1924~30年)。銀行員、商店員、ジャーナリストなどの職を経て、大出版社ガリマール書店の編集顧問となり(1941年)、今日に至る。セリーヌ、ジョイスの影響を受けて、作品の中で言語的実験を試み、現代フランス文壇で最も前衛的な作家の一人に見られている。

と書かれているのが1974年なので、現在はどういうことになっているかわからない。しかし、我が家にある文庫は1992年の19版なので、売れている本、読まれている本であると言えるだろう。

さてさて、そういうクノーさんの小説であるが、この作品の時代的な意義については、上記の本の部分をクリックして飛べるbk1のサイトの中村びわさんの書評に詳しいので、それを読んでいただくことにして、本書の一部紹介と、私の感想などを書いてみる。

レーモン・クノーの『文体練習』については、拙サイト(こちら)をお読みいただきたいのだが、クノーは本書においても同様の実験というか挑戦をあちこちに試みている。淡々と記述される情景描写があったかと思うと、突然、ト書き入りの会話の連続が始まる。そうかと思えば、修辞的な文章が繰り返される。それは、決まってばかばかしい内容の描写の部分であることも特徴的。さらには、著者本人も言っているように、何行か毎に機械的に(小説の流れとは無関係に)同じフレーズを必ず埋め込みたい、というような試みも感じられる。

少女ザジの連発する「ケツ食らえ!」という(少女にあるまじき・笑)台詞や、同じフレーズしかしゃべれないオウムの〈緑〉の台詞「喋れ、喋れ、それだけ取り柄さ」も、同様の狙いを持って配されているはずだ。

とにかくストーリーは全く面白くありません。というか、意味のないslapstickをクノーは意図的に書いているのだ。ストーリーが面白い、と言ったら、クノーはがっかりするかもしれない。小説の善し悪しを左右するのは、決して中身ではない、文体こそがすべてなのだ、というのが彼の主張(本気で言っているかどうかは私にはわからないけれど)なのだから。

そんなわけで、いろんなバージョンを少しずつ紹介してみると。

感情を込めない、ただの描写の例

マルスリーヌが彼女を部屋へ案内し、ガブリエルは自分の頭文字を印した豚革製の化粧箱を取りに行く。腰をおろして、彼は大きなグラスにグラナディン酒を注ぎ、少し水で薄める。そして爪の手入れにかかる。

どうしようもない直訳調の文章

この質問の間抜けた偽善ぶりを前にして、ザジは涙の水量(ヴォリューム)を倍にした。しゃくりあげがあまりに夥しく胸の中でせめぎ合い、それらを彼女は全部圧し殺している暇がないように見えた。(…中略…)まさしく、痴漢の面(つら)を仰ぎ見る潮時だった。顔を手でこすり、涙の奔流を泥だらけの運河に変えて、ザジはその男のほうを向いた。

三文オペラの脚本のような……

「言うべきことは言わなきゃ、わかってもらえんさ」

「じゃあなたは、わかってもらうためにいつも言うべきことを言ってる?」

「(身振り)」

「そうかといって無理やり言わされてばかりとも限らないでしょう、ほかのことだって言うはずよ」

「(身振り)」

登場人物に文法を語らせる

「まったく」トルースカイヨンは言う。「うまく行かないよ……どれもこれも今朝出会った(que je rencontra)女のせいだ」

「Que je recontraiだよ」

「Que je recontrais」

「Que je rencontrai. S(エス)はいらないよ」

といった具合で、小説の中身なんか関係ないとばかりに、何のことわりもなく文体を思い切り変えている。そのたびに、ほくそ笑んでいるクノーの顔が見えるようだ。

私の感想は、こうした文体の実験も楽しいけれど、その実験そのものを楽しむのであれば、前述の『文体練習』のほうが徹底的で面白いし、知的レベルも高い。本書の最高の魅力は、フランス映画によく出てくる、決して幸福とはいえないけれど、もうでき得る限り突っ張り返った小生意気な少女ザジの存在である。フランスの小生意気な少女は、何故にこれほど魅力的なのだろう。本書を読んで、私は『レオン』を思い出した。

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コメント

「地下鉄のザジ」は「死刑台のエレベーター」のルイ・マル監督で映画化されています。増刷が多いのはその影響もあるのでは?
映画の方は、思いっきりスプラスティックな作品に仕上がっていました。

投稿: のらねこ | 2006年8月28日 (月) 22:30

>のらねこさん

はじめまして。
コメントありがとうございます。

ルイ・マル監督による映画化作品、私は見ていないのですが、時代的な背景もあって大変な評判だったようですね。

本書は『不思議の国のアリス』のパロディでもあると、上記bk1に寄せられた別の方が書評で書いておられましたが、いろんな深読みができると思います。

ただ、当時の世の中は、ザジの活躍を中心とした良質な喜劇を大歓迎し、大いに溜飲を下げたということのようですね。私も機会があったら見てみたいと思います。

投稿: とみきち | 2006年8月29日 (火) 00:12

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