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2006年10月 2日 (月)

『メルヘン誕生 向田邦子をさがして』 高島俊男

本についての本を続けて二冊読んだら、偶然にも双方に本書が取り上げられていた。読むしかないでしょう。

一冊は、向田邦子といえばこの人、と誰もが頭に浮かべる久世光彦の『美の死』。その書評タイトルは『これ一冊でいい』である。

向田邦子の言葉と文章についての本は、これ一冊あればいい。そして、もうこれ以上なくていいと思う。なぜかというと、この人の言うことは、これまで向田邦子について書かれた多くの文章と違って、冷静すぎるほど冷静で、どこにも感傷的な賛嘆や憧れがないからだ。いままでの大方の文章は、向田邦子の人格や作品や、その生涯までを、まず全的に肯定するところから始まっている。つまり、これは〈鑑賞〉とはおよそ矛盾する〈感傷〉の立場ということだ。したがって、ここで向田邦子の人間と、文芸の混同という困ったことが起こる。それを峻別しているのが、高島俊男の『メルヘン誕生』(いそっぷ社)である。

と久世は冒頭に述べている。

もう一冊が、狐による『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』である。タイトルは『作家「向田邦子」の息づかいに迫る切実さ』。このタイトルは必ずしも本書評の言いたいことをうまくまとめているとは思えない。タイトルでいえば、久世氏の圧勝、である。

しかし、「冷静すぎるほど冷静で、どこにも感傷的な賛嘆や憧れがない」と言う久世氏とは、狐の受けた印象はかなり違う。

もちろん著者らしい突っ込みや批判はたくさんある。たとえば、ある程度以上の年齢の人物を、向田邦子はすべて「初老」の一語で間に合わせていた。その使い方があまりにズボラであり、どうも「初老」という語を一種の敬語と思っていたのではないか――と高島は書く。言葉の感覚のするどい人であったが、そんな粗雑なところが案外に多かった――と。

しかしそうした部分も含めて、なお、作家へのほとんど痛切なまでの共感をにじませる。「向田邦子もわたしも、人とはちがう道を歩いた。そして、多分そのために、家庭をもたなかった」。おそらく高島俊男がこれくらい対象を自身に引きつけて書くのは初めてであろう。それだけに、心をつくして、この一冊を書いたのだということが伝わってくる。」

私は狐のこのまとめに共感する。好きでもない作家の一々の作品を、これほど隅々まで読み、味わいつくすことなどあるまい。ほんのちょっとした一言に、その一言を選んだ作家の思いや、その作品を執筆している状況を、ああでもない、こうでもないと思いめぐらすことなど普通はしない。

向田邦子が『銀座百点』という銀座の商店会で発行されている無料のパンフレット(今はどうか知らないが数年前までは確かに発行されていた)に随筆の連載を始めたところ(後に『父の詫び状』として発行)、思いの外評判がよかった。一種の自伝のようなもので、自分の人生に実際にあったことをもとに書いている。

横暴で無器用で家族への愛情にみちた父親を中心とする「昭和十年代のメルヘン」になり、そうなったことによって大成功した。向田邦子自身はそのメルヘンの登場人物になり、その役柄に応じたふるまいをせざるを得なくなった。

高島は、向田邦子の才能を高く評価している一方で、その小説に対する評価は手厳しい。「向田邦子は、小説のなかで、虚構をかりてありのままの自己を語ろうとしたが、それは不可能、すくなくとも非常に困難であることが、書きはじめてすぐにわかった。二十篇ほどの小説の多くは、こざかしいだけで底の浅いものである。成功した作もあるが、それは自己を語ったものではない。むしろ向田邦子は、最も失敗した作のなかで血をしたたらせている」。

そして、高島は次のように断言する。「向田邦子に、ふりはらってもふりはらってもまとわりつづけた悔恨とは何だったのか。彼女の書いたものを読むかぎり、それは、結婚しなかったこと、家庭を持たなかったことである」。

わたしが向田邦子の書いたものを読んで感じたのは、この人はつねに自分のことを敗北者と感じている、ということだった。そして、おりにふれてからみついてくる敗北感にさいなまれて、なろうことなら早く死にたいと思っているらしい、ということだった。

こうした心情を読み取って、高島は、狐が書評に書いたように向田邦子を自身に引き寄せている。久世光彦の『触れもせで――向田邦子との二十年』から「……そう言いながら、やっぱり悲しそうだったのは、書くということが人生にかなわないことが口惜しかったからなのか、それとも、いい話がいつも自分の人生の脇をすり抜けて行くのが淋しかったからなのか、私にはいまでもわからない。覚えているのは、うつむき加減のあの人の、不幸な横顔だけである」という部分を引いている。

どんなにファンが増えても、素敵なライフスタイルだと褒めそやされても、眠る間がないほどの売れっ子になっても、彼女が淋しそうだったのは事実のようだ。高島は「敗北者」という表現をしたが、それは少し違うかもしれない。向田邦子の寂しさの裏に何があったのか。それは、向田邦子の妹・向田和子の『向田邦子の恋文』(新潮文庫)に、その答えがある。

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