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2006年10月 9日 (月)

『眼中の人』 小島政二郎

1995年に岩波文庫の新刊として発刊。「文学修業の途上に出会った芥川竜之介・菊池寛らつねに眼中にあって忘れられない人を生々と描いた大正文壇史」として紹介されている。しかし、扉を開くと、目次があり、タイトルの下に小さく「長編小説」と銘打たれている。小島の複雑な思いが現われているようだ。最初は1942年、三田文学部より2円で発行されている。(こちら)久世光彦の『美の死』より、本書の紹介の一部を引く。

「眼中の人」は、小島政二郎が私の生まれた昭和十年に「改造」に載せた小文をもとにして、七年後の十七年に上梓されたもので、若い日の小島政二郎と、芥川龍之介、菊池寛の三人の交遊をエッセー風に書いた小説だった。小島政二郎という人は、昭和十年代から戦後にかけて、「緑の騎士」「新妻鏡」「三百六十五夜」のような大衆小説で売った人だが、もともとは純文学を志していた。けれど芥川が大正文学の旗手としてもてはやされ、菊池寛がいち早く「恩讐の彼方に」や「藤十郎の恋」といった大衆時代小説で売り出したのにも後れをとり、どっち付かずでボヤボヤしていたのが、大正の中ごろから昭和のはじめにかけてのころだった。つまり、小島政二郎は〈口惜しい人〉だったのである。

少し長くなったが、こういう人と作品であるという位置づけは、非常に的確であると思う。

小島は、芥川の博識、思わずこちらを物怖じさせるような、堂々とした風貌や態度に触れ、おのれの非力を感じる。しかし、その芥川が一目置いている菊池についてはどうかというと、田舎臭く、デリカシーに欠けており、小島の価値観からはどう見てもすばらしい人間とは思えないのだ。その菊池の欠点を見つけては、なんでこんなやつが、と思うのだが、その小説は人の心を打つ。何故なのか。

菊池寛の小説は、なぜ人を打つのか。お前の好きな、洗練された芥川の小説よりも、不洗練な菊池の小説の方が、なぜ人を打つのか。芥川崇拝のお前でさえ、近頃は菊池の小説により強く打たれている事実をおまえは何と見るのか。

(…中略…)

菊池は仕上げの美しさなんかさして狙っていないのだ。仮象の世界であることなんか忘れたように、人生の真を、人間性の真を、ちぎっては投げちぎっては投げしているのだ。日常生活の中から一つのテーマを発見して、蕪雑(ぶざつ)な日常語でこれを語っているに過ぎない。そのテーマが、人生の読み方が、斬新なのだ。斬新なばかりではない。深いのだ。人間性の真を読む目は、仮借なく辛辣で、しかも底に暖かい人情が流れているのだ。彼の――いわゆる「啓吉物(けいきちもの)」が、人を打つ所以であろう。

あのどこを見ているのか分らないような目のどこに、この天分が宿っているのだろうか。あの粗い皮膚のどこに、この天才が宿っているのだろうか。彼の肉体のうち、芸術家らしいのは、あの肉の厚い、女の手のように柔らい手だけだろう。彼の手の持っている曲線は、芸術家以外の感覚ではない。いや、もう一つある。それはあの福耳だ。しかし、これは芸術家を感じさせはしないけれども、異常は確かに異常だった。

このような文章を書いている人は、確かに純文学には不向きであろう。そのうえ、真面目で、小心で、体裁を気にして、いい人なのだ。そのキャラクターをもとに、久世は『蕭々館日録』を書いている。上記三者の性質が思い切り戯画化されている。また、実在しないくせ者を配することによって、彼らおのおのの性質をさらに強調、誇張している。読むとしたら、できれば『眼中の人』『蕭々館日録』の順が望ましい。

小島は、精神の人ではなく、日常の人だ。下町に生まれ、下町のしきたりがしみついている。田舎臭さを嫌い、体裁を整える。自我を押し通すこともない。滑稽なほど、あれやこれやを気にする。文学とはほど遠い人だ。

本書には、さまざまな読みどころがある。小島の精神遍歴、成長録として読むのも楽しい。冒頭の書生臭い自己反省を皮切りに、小島は、常に自分を二人と比較しながら、目指すべき道を見失いそうになりながら、迷い、悩み、成長していくのである。ハイライトとなる菊池の錯乱事件は、おそらく実際にあったことであろう。

この時代の、三者以外の文士の人間模様が垣間見られるのも楽しい。誰が誰とどのような関係があるのか。人はどのようにして文学の道に入り、その後どうなっていくのか。有名な文学者でも、人間的に嫌われている人もあれば、仲間が多く、慕われている人もいる。彼らは具体的にどのような日々を送っていたのかもわかる。人力車で乗り付ける名物編集者も登場する。さらに、関東大震災に被災したときの描写もなかなか迫力があり、大正時代の空気がたっぷり味わえる。

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