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2006年12月27日 (水)

『晩年の父犀星』 室生朝子

犀星が、結果的に死につながる不調のために通院、入院をし始めた頃の思い出を、娘の朝子が書いたエッセーである。朝子の気持ちは、次の一節に尽きているだろう。

今からはじまる毎日に、私は何処に救いを求めていったらよいのであろう。私の命ほどに大切な父が、失われてしまった。私の顔をじっと見てはなしてくれる、ある時は恋人であった父が、私の手元から、とおくとおく消えていってしまった。昨夜よりは一そうはっきりと、動かすことの出来ない、どうにもできない現実とそれは実感であった。心の支えを失った、こんなありきたりな言葉では、いいつくせないほど、私の大切な父、そして私の一番尊敬し愛した男、私がものを書くようになってから、ほかの角度で、娘から父ではなく、娘から一人の作家として眺め書き、又愛した父。

私はその夜から、全くの孤独な娘、一人の女となってしまった。

驚くほど率直な慟哭である。本書を読むと、即座に思い浮かぶのが、幸田露伴、文の父娘である。尊敬すべき、大きな大きな存在である父親の身の回りの世話を、娘はいじらしいほど必死に焼いている。父から褒められたい、父から愛されたい、その一心で。上手に甘えることのできない娘は、髪を振り乱し、父のために奔走する。心の中は、父に対する愛情であふれんばかりである。しかし、日常の中でそのような感情の高ぶりは交歓されることなど全くない。

幸田父娘を思いだしながら、犀星の『我が愛する詩人の伝記』を読み返してみて驚いた。萩原朔太郎を描いた章がこのように始まっていたのである。

萩原朔太郎の長女の葉子さんが、この頃或る同人雑誌に父朔太郎の思い出という一文を掲載、私はそれを読んで文章の巧みさがよく父朔太郎の手をにぎり締めていること、そして娘というものがいかに父親を油断なく、見守り続けているかに感心した。

(…中略…)

私は葉子さんはよくお父さんを見ていたと思った。幸田文さんの『父の思ひ出』、森茉莉さんの『父の帽子』も、彼女らの出世作になり遂に名才媛になられたが、わが葉子さんのその一文にも心理のあつかい等も文章の内容にあって、詩人の娘であり骨肉は文字の間に通じていることを知ったのである。

犀星が人を描くときの、ずばっと核心をつく力は比類なく、これを読むだけで、萩原朔太郎と葉子という親子が眼に浮かぶのである。

文士は書いたもので評価されるべき、というのは当然であるが、犀星という人物は、書いたものだけでなく、犀星をよく知る人が語るその犀星像によって、より魅力を増すように思う。『我が愛する詩人の伝記』で伝記を書かれた詩人たちは皆、先に逝ったからこそ、すばらしい伝記を犀星に書いてもらうことになったわけだが、できれば、彼らの書いた犀星伝も読んでみたかった、と思わずにいられない。

本書は、伝記というよりは、父犀星を追慕する一冊である。前出、田辺徹の評伝と併せ読んでも、犀星が誰に対しても犀星自身であったことがわかる。

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