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2007年1月12日 (金)

『世に出ないことば』 荒川洋治

みすず書房から出版される荒川洋治のエッセイ集は、これが三冊目。『夜のある町で』『忘れられる過去』はともに、私の大切な本であるが、本書も随所に「荒川洋治、ここにあり」といったくだりがあって、荒川ファンにはたまらない出来上がり、である。

氏はいつも、聞きかじりのことは決して言わない。知っていることについてだけ、自分の考えを、自分の言葉で、書く。事柄を細かく検証したり、表にしたり、数字に置き換えて把握することを好む。自分の好きなことをそっと一人で楽しむ。

しかし、こと文学の話になると、ときに批評をし、ときに自分の考えを主張する。そして、詩の話となると、ときに大いに怒り、大いに批判をする。地図を眺めたり、封筒を集めたり、という小さな日常に喜びを感じている荒川洋治と、怒りを炸裂させる荒川洋治は、別人のようである。

怒る荒川洋治はこんな感じ。言葉に棘がある。棘があるというよりも、棘のある言葉をわざわざ選び取っている。「情熱の人」より。

ひとりの文学者を深く尊敬し、その気持ちから、その人の業績をつぶさに調べあげる行為が評価されるのはいうまでもない。(…中略…)Aという明治の詩人が、Bという現代の詩人の情熱でよみがえり、著名な出版社から二巻に及ぶ全集が出た。Bは文芸誌に、Aをたたえる長たらしい評伝小説を連載したが、とうとう全集まで編纂したのだ。Bの努力と情熱をたたえる文章をいくつも目にした。

明治の詩人Aは、全集を出す必要があるのか。とてもそんな価値のある詩人とは思えない。このAへの評価はBの「個人的な趣味」によるものである。その証拠にBの小説は目もあてられないほどロマンチックなものだった。BがそんなにそのAのことが好きならば個人的に、全集でも選集でも出版すべきである。出版社を動かしてまでするようなことではない。

情熱があるのはいいが、その情熱で、ものが見えなくなることがあるのだ。A程度の詩人は現今の評価で十分であり、そのままほったらかしておくのが、むしろAのためにはいいことだと思う。Bには、そのような判断力がない。

このような情熱の人は、対象を正確にみている人かというと、まったくそうではないのだ。この場合も、Bが愛するのはAではなく、Bの感性、美学、趣味、つまり自己自身なのである。自己愛のつよい自信家ということになる。だから自分の趣味のおしつけになる。こんな情熱は、かえって読者の迷惑になる。また詩の価値を誤解させる。誰ひとりこの点をいわないから、ぼくが書いておく。

長い引用になったが、荒川洋治は、詩についてはいい加減なことが許せない人なのである。棘のある部分の色を変えたのは、私である。

荒川洋治のエッセイの中では、文学作品について独自の評価や味わいを書いているものに、はっとさせられるものが多い。漱石の『門』を読んで書いたエッセイは「春は冬」というタイトルである。

三人で歩いていたとき、友人安井の妻御米(およね)への気持ちが生まれるところ、つまり恋をするところは、たった三〇〇字くらいの分量しかない。ひとふでで、さっと描かれる。「門」は恋をしたために、おびえつづける話なのに、恋の場面は全体の分量の一パーセントにみたない。他は、平凡な生活の繊細な描写に終始する。ということは、恋をはじめとする「できごと」に意味があるのではない。「できごと」の後に生まれるものに、人間の意味があるのだ。そこでは、どんな「できごと」だったのかも消えてしまうほどの、膨大な時間のなかにとらわれ、心は苦しみ、痛みを感じつづける。それで人生の全体が真っ白、また真っ暗になる。だがそれは変えてはならない、人間のなかみなのだ。

(…中略…)

自分のしたことで、心をとらわれる間、人にはなにひとつ起こらない。季節の区別も見えない。春も冬もない。(…後略…)

小説の読み方、楽しみ方、人生の味わい方を知らせてくれるエッセイである。荒川洋治のエッセイを読むと、大事なことを忘れているような心もちになって、自分の生活を振り返ることになる。

おまけに、自分の書く文章まで影響を受けて、センテンスが短くなる。人の言葉を使って何かを知ったように言うことは恥ずかしいという気持ちになる。いいことばかりだ。

荒川洋治は、自身の手で『名短篇』(新潮別冊・2005)を編集した。百年の歴史をもつ文芸誌「新潮」(1904年創刊)に発表された、すぐれた短篇を選んで収録したのである。その荒川が鈴木地蔵による『市井作家列伝』(右文書院)について、次のように書いている。興味をそそられる。

一般人の読書の傾向とかけはなれた世界が話題になるが、発表されたときではなく、古書店まわりでみつけ、その意義にめざめる例もおおく、書物や著者との自然な出会いがつづられる。その人のものを読むことで、作家についての「短編小説」が、読者のなかにいつのまにか生まれる。そんな印象である。

(…中略…)

本を読まなくなったために、世間も出版界もそんな人たちに合わせて、話題をつくり本をつくる。漱石、鴎外、芥川、太宰などに偏向する「文豪主義」がいきおいをまし、文学の読者は、個性をなくした。異彩の文士の魅力を語『市井作家列伝』は、文学案内の灯明であり、この灯明は保たれてほしい。そのためにも、著者にはもう少し早く本を知ってもらうしかない。

読者を読書の世界に誘う荒川洋治のエッセイである。本が読みたくなる。

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