« 『巨魁 岸信介研究』 岩川隆 | トップページ | 『読書の腕前』 岡崎武志 »

2007年3月 6日 (火)

『一階でも二階でもない夜』 堀江敏幸

堀江敏幸の小説は、エッセイのような、ノンフィクションのような、なんとも言いようのない独自の世界。そしてエッセイもまた、小説のような、フィクションのような、つかみどころのないものが多い。

あえて分類してみると、幾つかのパターンがある。

その1 ふらふらとあてもなく街をさまよっているうちに、出会った人、出会った場所、出会った出来事を綴ったもの(エッセイ&小説)

その2 ふと気になった言葉、ふと聞こえた言葉から、過去あるいは空想の世界に入り込み(いわゆるプルーストの特権的瞬間)、筆者の体験や心に残ったエピソードが語られるもの(エッセイ&小説)

その3 大好きな小説や作家について語るもの(エッセイ&小説)

その4 ちょっと無理してテーマを立てて綴られたもの(エッセイ)

その1こそが、堀江敏幸の真骨頂。小説なのかエッセイなのか、実話なのかフィクションなのか、などという疑問は、堀江氏の前には全く意味をなさない愚問でありましょう。その証拠に、「存在の明るみに向かって」というタイトルで、2002年10月号の「みすず」に掲載されたエッセイで、敬愛する書き手、宇佐見英治と思いがけなく書簡をやりとりすることになった顛末を書いたあと、その宇佐見から届いた手紙の文章を引用し、さらに著者は次のように書いている。

面白いけれど結論がない。それなりに読めるけれど、たいした筋もない。これは他人ごとではなかった。当初、私は二冊の散文集を上梓していたのだが、得られた評の大半は、ほぼこのとおりだったからである。それが不当だと感じたのでも、失望したのでもない。まさしくそのような感覚をもたらす散文をこそ書きたいと望んでいる者にはあまりにも当然の感想で、なぜそれほどわかりきったことに言及しなければならないのか、理解に苦しんだというだけの話だ。

筆者が、自分と他人との距離感や立ち位置の違いを、このように現実の問題として描くことは少ない。たいがいは、自身のもつ独自の性質や厭世観のせいで、世の中のテンポや喧噪、現実感からは少し距離があるのだ、といったおさめ方をしているから。本書には、『いつか王子駅で』が書かれたときのいきさつや、芥川賞受賞の連絡を受けたときの出来事などが、あからさまではないながら、それとわかる形で書かれたエッセイも含まれていて、ファンとしては大いに楽しめる一冊となっている。

さて、上記の4分類に戻ると、その1こそが真骨頂と書いてはみたが、言い換えると、堀江節が出るのがそのパターンであり、読者が筆者とともに精神と想像の放浪ができて、一体化しやすいという意味でそのように言ったまでで、エッセイとして筆者の力量が大いに示されるのは、その3であると私は思っている。本書ではまず、須賀敦子さんを悼む文章が傑出している。また、書評者としての力量も抜群で、氏の推薦文のほうが推薦された書そのものよりすばらしかったという目に何度か遭遇したことがあるほどだが、今回の傑作書評は、「湿り気のない感傷 獅子文六」であった。思わず図書館で『悦っちゃん』を検索した。

分類を超えて本書の中で最高!と私が感じたのは、「救われた声 ジャン・カスーⅱ」というタイトルで、「現代詩手帖」1999年6月号(思潮社)に掲載されたエッセイである。全文引用したいほど。出だしはこんな感じ。

大雑把に分類すれば、書簡集にはふたつの種類がある。ひとつは双方向の言葉を交互にならべた往復書簡、いまひとつは遺族の意向や編集上の都合でだろう、誰それから誰それへの手紙という形でいずれか一方の発信者の手紙をとどめた単声の書簡。

(…中略…)

しかし返信の不在と沈黙がかえって密度を高めるような、片側通行のすばらしい声紋もないわけではなく、創作に匹敵する美質と対話者たちの友情を封じ込めたそんな一冊を手持ちの本から挙げてみるとすれば、ジョー・ブスケの名が付された『ジャン・カスーへの手紙』になるだろうか。

このあと、この二人の出会い、手紙の引用、分析がすばらしい。何を書いたらいいのか……どこへ向かったらいいのか……と絶えず迷っている書き手とは思えぬほど、明快に、そして幸せそうに、この書簡集のすばらしさを語ってくれるのである。

|

« 『巨魁 岸信介研究』 岩川隆 | トップページ | 『読書の腕前』 岡崎武志 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21746/14162986

この記事へのトラックバック一覧です: 『一階でも二階でもない夜』 堀江敏幸:

« 『巨魁 岸信介研究』 岩川隆 | トップページ | 『読書の腕前』 岡崎武志 »