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2007年4月30日 (月)

『花笑み・天上の花』 萩原葉子

『花笑み』は、産みの母をテーマにした作品集。そのうち『女客』は、25年ぶりに産みの母と再会したときの様子を描く作品。これもまた小説ではありながら、自伝と言ってもいいほどの内容である。

ずっと「母に会いたい」と思い続けてきた娘は、感動の再会の場面を心に描いて、北海道までの長旅を辛抱する。しかし、現実の母は、老いており、ひとかけらの優しい言葉もかけてくれないのであった。

「私」は、自分の感情を素直にあらわすことが苦手である。母は老いを醸し出し、また、それとは裏腹に「女性」であることを感じさせる。それがうとましく、醜く感じられる。女である母を見据える「私」の戸惑いや、心の揺れが非常によく描かれている。この母も、この娘も、自身の気持ちを穏やかに相手に伝えるすべを持たないことに変わりはなく、まして相手の気持ちを受け止めることなどもってのほか。その親子が、心の底ではお互いを求めているのに、どうやってもお互いを傷付けることしかできない。それが痛々しく、せつないのである。

「見てごらん! やっぱり似ているじゃないの」

急に素っ頓狂な声がした。いつのまにか、母が後ろに立っていたのだ。

左の頬にいきなり、なま暖かいものがふれ、私は母に頬をすり寄せられていた。強い母のにおいが、不快だった。

「見てごらんってば!」我慢している私に母はじれったそうに、肩をゆすぶる。

“萩原に似て厭だ”と言った母を、私は執拗にこばんでいた。母が父を悪く言う時、親しみの感情は急速に冷えてゆくのだ。

母の呼吸が耳たぶにかかるのが我慢ならない。身体にふれるぬくもりが気味悪く、身を硬くしてこらえていた。

目を上げれば、癖毛の強い母の顔が、はっきりと鏡に写し出されているだろう。飛び退いてしまいたかった。

『天上の花』は、三好達治にかかわる思い出や、朔太郎の末妹アイとの結婚と決裂について書かれたものである。葉子は、朔太郎亡き後も三好達治にいろいろと世話になっており、信頼を寄せてもいる。

文庫本のあとがきで宇野千代はこう書いている。

『天上の花』が出たとき、世間の人はあっと言った。作品がよかったこととは別に、あれが三好達治さんの隠されていた無惨な恋愛について書いたものだということで、ほとんど非難するような口調で咎めた人もあった。(…中略…)私はこれらの非難や、思惑を不思議なことに思った。三好さんが生きていれば、あるいはショックを受けたであろう。しかし、いまは三好さんも天上の人である。たとえ自分の人には知られたくないと思った恋愛が世間の中に現われたとしても、何の傷もうけない。それどころか自分からは言えなかったことを、自分に替って書いてくれた葉子さんに、天上の人として分別をもって、感謝しているのではあるまいか。私はそう感じた。葉子さんの作品には、もちろんその高さの愛があったからである。

世間をうまく渡ることができず、詩に著わす以外自己表現ができず、他人とうまくコミュニケーションができない詩人たちの姿が、萩原葉子の著作の中に生きている。

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