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2007年11月15日 (木)

『北方領土交渉秘録 失われた五度の機会』 東郷和彦

佐藤優と鈴木宗男の対談集、『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』の中に、佐藤優の元上司で、鈴木宗男事件後、外務省を免職させられ、海外に逃亡(したのだと私は思っていた)した東郷和彦による本書の刊行が言及されていたので、興味をもって読んだのでした。私の興味は、どちらかといえば、鈴木宗男・佐藤優事件とは何だったのか、というやや野次馬的な方面に重きがあり、これまでに『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』をはじめとする関連書物を何冊か読んできました。

本書もその関心の続きで読み始めましたが、読んでみると趣が違うことに気付きました。著者、東郷和彦は、ご存じ、第二次大戦終戦時の外務大臣、東郷茂徳の孫であり、駐米大使であった東郷文彦の息子という、外交一族のサラブレッドです。彼は外務省入省後たまたまロシア語を選択してロシアンスクールの一員となったことから、北方領土問題に深くかかわることになります。本書は、北方領土問題に雪解けがもたらされる機会が五度あったにもかかわらず、さまざまな理由でその機会が閉ざされてしまったことについての深い憂いと反省をベースに、「国民各位が、この間の日ロ関係の動きを正確に理解し、的確に判断するための資料として、少しでも本書が役立つことを願って」ものしたということです。

長い長い解説を佐藤優が書いていますが、その中でも、上記『反省』の中でも言及されていることに、自分たちは外交のプロであることから、国民に対する十分な説明をする義務を考えずに行動したことが間違いであった、という反省があります。たとえ、心の底から国のために働いていることにいささかの疑念の余地がないとしても、です。

さて、本書の最大の功績は、北方領土問題のこれまでの展開を歴史的にわかりやすく整理して提示したこと、そのことに尽きると思います。そして、ソ連(今はロシア)という国が、日本の外交の相手としてどういう存在なのか、ということが、具体的なイメージを伴って提示されていることも、非常に大きな魅力です。

今後、ロシア外交にかかわる可能性のある政治家あるいは外交官は、本書に書かれていることは最低限の知識としてたずさえておいてもらいたいと願わずにはいられません。正しい歴史認識があったとしても、外務省内の政治的な駆け引きや、内閣の交代、外務大臣の素質、ロシアの国内事情、世界情勢等々、さまざまな要因がからみあう中で繰り広げられる外交の複雑さ、タフさは、想像を絶するものがあります。しかし、それまでの積み重ねについて何の知見も持たずに、素人レベルの判断で北方領土問題について対応してしまった(あるいは、そう仕組んだ外務省内部の力があったのかもしれませんが)田中真紀子氏や川口順子氏の存在の意味を考えると、大臣のポストを権力争いの道具にすることの愚かさ、恐ろしさをしみじみと思います。

北方領土問題について、東郷氏はエピローグの中で、このような見解を述べています。

日本と日本人にとって、北方領土問題の根幹にあるものは何だろうか。

一般的には、ロシアに対して安全保障や外交戦略上、優位な地位を獲得するためだとか、漁業その他の経済権益の回復のためなどと言われることもあるが、私は、こういう解説は、事柄の本質をついているとは考えない。

北方領土問題は、日本が太平洋戦争をいかにして戦い、いかにして敗戦をむかえたかという歴史に直結する、民族の心の痛みの問題である。具体的には、一九四五年の春から秋にかけて日本とソ連の間でおきた様々な不幸な出来事に、そのすべての根源を有する。

(中略)

かくて日本は、一九四五年夏以降の一連の事件によって、その他のアジア諸国などとは全く別の思いをもってソ連との戦争を終了した。

しかしながら、日本は戦後の現実を受け入れ、五一年に署名されたサンフランシスコ平和条約で、南サハリンと千島列島の放棄に同意した。しかし、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の四島の帰属をめぐる領土問題は、四五年夏に日本民族が受けた心の傷を最終的に乗り越えるための課題として、未解決のまま残された。

こういう一連の事実と歴史の重みを、私は冷戦時代の外務省で仕事をしながら理解を深め、身につけていった。

(中略)

こうした経験によって私は、外交は現在の課題に答えるだけではなく、過去・現在・未来という歴史に対して答えるものを持たなければいけないと確信するにいたった。

本書を読む限り、著者は本当にこういう思いを常に胸に抱いて外交官としての仕事を続けていたのだろうと感じられます。実に無念! 著者のその思いと叫びが本書には詰まっています。

そんな思いで続けてきた外交官としての道から、自身が帰属していた外務省という組織によって蹴り落とされてしまった著者は、失意のどん底に落とされ海外にいわば“逃亡”します。そして四年後に、佐藤優の裁判で弁護側の証人として証言をし、その後本書を書きました。本書が古巣外務省の告発にとどまることなく、日本の国益を見据えて書かれている点には感銘を受けます。

佐藤優の解説は、次のように結ばれています。

同じ出来事について私のように個人的に徹底的にこだわった視座からの物語と東郷氏の鳥瞰的視座からの物語をあわせて読むことで、読者は冷戦後の北方領土交渉を立体的に捉えることができると思う。

同感です。そして、人間の高潔さということについて、思いを致させてくれる一冊でもありました。

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