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2008年1月20日 (日)

『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一 『網野善彦を継ぐ。』中沢新一・赤坂憲雄

まずは『僕の叔父さん 網野善彦』、引き続き『網野善彦を継ぐ。』、この順番で読むことをお勧めします。

網野善彦が亡くなり、中沢新一は「すばる」2004年5月号から7月号に「僕の叔父さん――網野善彦の思い出」を連載します。その連載の最中に、『網野善彦を継ぐ。』のもととなる対談が行なわれます。こちらは2004年6月25日の発行、となっています。

そして、後者は、赤坂憲雄の『岡本太郎の見た日本』のドゥマゴ文学賞受賞記念の、選者荒川洋治と赤坂との対談で言及されました。荒川洋治はこの対談について、「実に羨ましい対談だった」と言っていました。網野善彦を失った二人は必死に、自分たちはどうしたらいいのか、何をすべきかを心から憂えており、夢中になって、なかば憑かれたように、網野善彦の辿った道筋について語っています。一期一会といってもいいような対談だと思います。

往々にして専門家による対談には注釈が必要です。そして本書には注釈がついています。しかし、より最適な注釈として『僕の叔父さん』をお勧めしたいのです。

二人は、網野史学について語ります。網野史学の特殊性、斬新性、そして異端性について、言葉を尽くして語っています。

中沢 網野さんの歴史学は大きな欲望に貫かれています。しかも強烈な欲望です。この欲望は現実に対していつも否定性としてはたらいています。(中略)みんなが簡単にこうだと思い込んでいるものに、強烈な否定性を突きつけてくるんです。(中略)現実というものは、いつも理解に抗うもので、理解されたものを否定していく力が強烈にはたらいている。この強烈にはたらいているものを、論理のなかに引き出してこない限り、マルクスのやったようなやり方で歴史を理解したことにはならない、と何度も語っていました。

赤坂 それが「いかんともなしがたい、えたいの知れない力」ですかね。

中沢 網野さん自身が、そのえたいの知れない力に突き動かされていました。ですから、網野さんと話をしていて、いちばんしっくりきたのはいつもヘーゲルの話をしているときでした。ヘーゲル哲学は否定性でできています。(中略)ヘーゲルの哲学も「欲望の哲学」でしょう。その意味で、網野史学も「欲望の歴史学」なんです。

二人は、次のようなことも語り合います。

  • 徹底的に批判された『無縁・公界・楽』に提示されていたテーマを、どのようにしたらさらに大きく発展させることができるか。その鍵は朝鮮半島を視野に入れること、にあるのではないか。
  • 定住と漂泊は段階的に発生したのではなく、同時に出てきたのではないか、という考え方は注目すべきである。漂白から、発展して定住となったのではなく、発生のときから共同体とその外部は対をなしている。定住と漂泊は表裏を成すものだと考えている。
  • 文献史学は、定住中心の思考にならざるを得ない。文字の史料を残すのは、定住を前提としている。漂泊・移動している人たちは、口頭伝承の世界を原理にしている。
  • よって、網野さんが抱え込んでいた漂泊する人々や非農業民の掘り起こしというテーマ自体が、実証を第一義とする土俵のなかで、そもそもパラドックスを抱えていた。
  • この「中心と周縁の構図」を壊すことを、網野さんはやろうとしていた。それは一時期の民俗学の動きと合致していた。しかし、その動きも潰えてしまった。

『僕の叔父さん』には、中沢新一の網野善彦叔父さんへの愛情が詰まっていますし、網野の人間的魅力が存分に描かれています。でも、中沢はやはり、歴史家網野善彦を心の底から追悼しています。

世界に堂々たる非人を取り戻すことによって、網野さんは人間を狭く歪んだ「人間」から解放するための歴史学を実現しようとしたのである。「百姓」を「農民」から解放する。人民を「常民」から解放する。この列島に生きてきた人間を「日本人」から解放する。そして列島人民の形成してきた豊かなCoutry's Beingを、権力としての「天皇制」から解放する。こうして、網野善彦のつくりあげようとした歴史学は、文字どおり「野生の異例者」としての猛々しさと優雅さをあわせもった、類例のない学問として生み出されたのである。

網野さんが、中沢新一の父・厚の妹・真知子のフィアンセとして、中沢家に登場してきたときの話は、とても心温まる素敵なシーンだ。まるで映画のよう。中沢新一は、この叔父さんに一目で魅了される。父・厚はコミュニストとして活動していた時期があり、中沢家は日常的に思想的な議論がされる家庭だった。そこで繰り返される議論の中で、叔父さんがさまざまなヒントを見つけたことを、たびたび中沢新一は目撃している。叔父さんは、地を這うような、驚くほどの粘り強い努力を重ねて文献を調べ、理論を組み上げていく。叔父さんが、どういう議論の中でどのような着想を得たのか、ということをつぶさに見ているなかで、叔父さんの発想法や目指すものを深いところで理解していったことがよくわかる。本書では、網野史学について、対談よりもより詳細に専門的な解説を展開しているが、たいへんに読みやすい。

網野史学が目指していた中世の捉え直しは、今後どうなるのだろう。

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コメント

赤坂憲雄は、網野史学を継承できる逸材だと思います。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2014年11月 9日 (日) 04:51

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