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2008年4月20日 (日)

『歴史を考えるヒント』 網野善彦

日常的に、日本の伝統とか、日本らしさとか、日本人的とか、そんなふうに「日本」という言葉を使うとき、いったいわれわれはいつの時代の日本を頭に描いているのだろう。現在につながっている文化的なものの基準は、室町あたりに始まったものが多いと一般的には言われている。でも、何の話をしているかによっては、明治以降のことだったり、場合によっては、ほんのつい100年ぐらい前に始まった習慣を「日本らしい」ものと考えていたり、そういうこともおおいにあるだろうと思う。

本書は次のように始まる

日常、われわれが何気なく使っている言葉には、実は意外な意味が含まれていることがあります。あるいはまた、われわれの思い込みによって言葉の意味を誤って理解していることもしばしばあるのです。歴史の勉強をしていると、そういうケースに直面することが少なからずあります。

しかも、そうした問題を考えることによって、従来の歴史の見方を修正せざるを得なくなったり、現代に対する理解が変わって、世の中がこれまでと違って見えてくることさえあるのではないかと考えます。そういった経験を重ねているうちに、私は史料の中に現れる言葉の一つ一つに対して、以前よりもさらに神経を細かく使って接するようになりました。

著者の甥である中沢新一氏によると、網野氏は一つのことを考え始めると、驚くべき集中力と愚直とも言える粘り強さで、その事柄にまつわる史料を集め、調べて、自明のことなど一つもあり得ないという前提から一つの考えを一から積み上げ、構築していくタイプだったという。そして、「すぐに理屈で理解する」のは「頭のいい人」のやることであって、そうした態度を忌み嫌ったという。

そうした立ち位置から、網野氏は次のようなテーマについて本書の中で語っている。

  1. 「日本」という国名
  2. 劣等の多様な地域(日本国の範囲など)
  3. 地域名の誕生(関東と関西のテーマは、彼の一大テーマの一つ)
  4. 「普通の人々」の呼称  人民と国民 柳田学と渋沢学 平民 土の意味
  5. 誤解された「百姓」  ひゃくしょうとひゃくせい 百姓の多様な生業 農本主義重商主義 貧困な歴史学の用語
  6. 不自由民と職能民
  7. 被差別民の呼称  この6と7は著者の生涯のテーマ
  8. 商業用語について 商業取引の高度な伝統 金融も一大テーマ
  9. 日常用語の中から  落とし物 落書 中世における自由

歴史家でありながら、興味の対象もアプローチの仕方も限りなく民俗学に近い。一般読者からは大変な反響をもって迎えられ、大いに読まれた『無縁・苦界・楽』をきっかけに、歴史学の世界でものすごい批判の嵐にさらされた網野の専門は、中世。

被差別民と天皇や貴族とのかかわりかた、東国と西国における差別のあり方の違い、北海道と沖縄には差別がなかったことなど、被差別民の問題を日本全体で一律に考えてはならないという前提に彼は立つ。そして、これらの研究はまだまだ十分ではないと主張する。そして、批判を招いたとされる考え方の一端が、以下の部分にあらわれているのではないかと思う。

被差別身分の問題は、従来の歴史学においては農村に即して考えられてきました。つまり、被差別身分の人々は土地を所有することができないがゆえに貧しく、土地を所有するようになれば賤民の身分から解放されるという考え方が、歴史家の間でも最近まで、常識として通用していたのです。それはやはり、百姓イコール農民という誤った思い込みが深く浸透したことにより、近代以前の日本社会は概ね農業社会だったとされ、あらゆることが土地に即して考えられてきたためだと思われます。

しかし、実際には土地を所有し、財産を持ち、豊かなのに、被差別身分からは解放されていない人々の事例は少なからず見出すことができます。私は、被差別身分の問題は基本的に都市の問題であることは明らかと考えておりますが、百姓イコール農民という図式がもたらした歪みと偏りは根深く、このような問題にまで及んでいたのです。

この考え方は、これまでの歴史学の欠点の指摘につながり、大きな対立の火ぶたを切って落としたようだ。しかし、網野氏の語る歴史は、その時代に、人々が実際にどのように生計を立て、どのように時間を過ごし、どのような日々を送っていたのか、ということに思いを馳せるところから始まるのである。彼は、ある時代をある一つ理屈でもってきれいに説明することを目的としていないし、またそのような説明をもって歴史と認めることもない。そのことは、一つひとつの言葉を丁寧に考えるというこの講義からとてもよく伝わってくる。

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