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2008年4月20日 (日)

『岡本太郎の見た日本』 赤坂憲雄

「はじめに」で著者は、次のように述べている。「ここではひとまず、芸術家としての太郎はカッコに括る。わたしがひたすら執着を覚えてきたのは、思想家としての太郎であり、とりわけ「日本」について物語りする太郎であったからだ。その再評価こそが、わたしに託された仕事だと感じている。」

本書は、岡本太郎が残した膨大なテキストを丹念に読み解く作業から成り立っている。ときには、どこまでが太郎の文章で、著者の言葉はどこからなのか判別がつきにくいほどに、太郎と著者の文章は渾然一体となっている。パリ留学時代、中国最前線での戦争体験、縄文時代との出会い、東北、沖縄、そして朝鮮と移り行く太郎の目に映ったものを、著者は追体験することによって、太郎の綴った文章からその息づかいや込められた思いをくみ取り、現代を生きる私たちの前に、できるだけ忠実に再現しようと試みる。

大切に読みたい一冊。本書を読めば、岡本太郎の世界をもっと深く知りたくなるはず。

本書は、荒川洋治によって昨年Bunkamuraドゥマゴ賞を受賞した。雑記帳に書いておいた、その記念対談に行ったときのメモをこちらに再掲したい。

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赤坂憲雄の書いた『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)が、第17回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞しました。選考委員は荒川洋治。これまでの慣習をやぶり二度目の選考委員となったのは、今年の選考委員であった池田晶子の急逝を受けてという事情があったとのことでした。 10月16日に受賞記念対談を聞いてきました。以下、そのときに書いたメモです。

◆荒川氏が本書を選んだ理由

  • 詩人である荒川氏が民俗学者である赤坂氏の著作を選んだ理由。文学というのは「文章がつくる世界」を指していると考えると、本書は、人間のための言葉がつくる世界を広く見渡している。まず、文章表現としての本書に惹かれた。
  • 「岡本太郎がいったい何を考えていたのか」というのは、彼の道化的パフォーマンスなどに隠れて見えにくい。直感的に日本のさまざまな問題を先取りし、日本の位置づけというものを、本当に孤独な闘いをしながら確認していった。本書はそのことを丹念に読み解いた本である。
  • 赤坂氏は、自身の領域を広げ、太郎のドラマチックな文章を冷静に読み解き、日本というものを考察し、その直球を本書を書くことによって投げた。
  • 感性のひらめきがあり、客観的でもあり、一冊の書物としての完成度が大変に高い本。

◆受賞に対する赤坂氏の感想

  • 本賞の存在を知らなかったので、最初は驚いた。荒川氏一人の選考による受賞と知り、日頃から荒川氏の眼力に信を置いていたものとして非常に嬉しい。「民俗学とはおさらばだ。今日から文学者だ!」と言って周囲に笑われている。
  • 本書の第1章は、太郎が1930年代のパリで、バタイユと非常に親しい関係にあったことが書かれている。本賞の本家にあたるパリのドゥマゴ文学賞が、1933年に始まり、その選考委員の中にバタイユやミシェル・レリスの名を見たときに、太郎の導きを感じた。

◆本書執筆の動機など

  • 本書を書くことになる前の岡本太郎の印象はどうだったのか、という質問に対して。「最悪ですね。全く無関心だったので、亡くなったことも知らなかった。岡本敏子さんとの出会いがすべてでした」。
  • 民俗学者というのは、それまで興味のなかった新しいテーマに飛びつくことはあるのか、という問いに対して、「そういうことは滅多にありません」と回答。それに対して荒川氏、「太郎には動物的な直感があったと本書に書かれていますが、敏子さんからテーマを与えられてそこに飛びついた赤坂さんのその直感は、太郎につながるものがあるのではないか」。赤坂氏「そうかもしれません」。

◆赤坂憲雄について

  • 荒川氏: 赤坂さんとは6~7年前に朝日新聞の書評委員が重なっていたことがあって、そのときに会ったのが初めて。会うたびに、壬生忠岑とか、平安時代の36歌仙を思い出す。ボクはただの“村人”ね。
  • 赤坂氏: よく誤解されるが、本当ははなはだいい加減な人間。自分の書いたものにとらわれない。書き終えた本はもう他人なので、ほとんど読み返さない。

◆網野善彦について

  • 荒川氏: 網野善彦を追悼する中沢新一との対談『網野善彦を継ぐ。』には、人間の語らいとしてのすべてがあって、本当にいい対談。読んで羨ましく思った。網野は歴史家にしては“欲望”のある人だった。日本人の野性が最後に発揮されたのが、元寇の時であったと位置づけている。網野と太郎は、“欲望”のありようが似ているのではないか。
  • 赤坂氏: 泉靖一との対談の冒頭に太郎は、「これは日本文化論ではない。日本列島論である。いや、A列島でも、B列島でもいい」と最初に宣言している(『日本人は爆発しなければならない―日本列島文化論』)。 この時点で、太郎は網野のこだわった「日本」を相対化している。
  • 赤坂氏: しかし、網野と太郎の対談が実現していたら面白かったであろう。網野は歴史家でありながら、野性や暴力について、史料をもとに語りたいと試みた。そんなことは不可能であるのに。人間の中には、実証できないもの、ダイナミズムというものがある。それを、実証的なものをもとに語ろうという危険な領域に踏み込んでいた。
  • 泉氏との対談には、「ここで太郎居眠りから爆睡」といったト書きがある。それでも泉氏は平気でしゃべっている。そして、太郎が目が覚めてむくっと起きあがるところで対談が終わっている。太郎は、聞いていないようで、動物的に気配を感じ取る人間だ。
  • 赤坂氏: 網野善彦は孤独だったと思う。『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))』を書いたあと、肩をすくめて「実証」に帰っていったように思えてならない。
  • 荒川氏: 国木田独歩の「山林に自由存す」という詩がある。ワーズワースなどの影響を受けて書かれたもの。網野善彦は、中世の社会はやわらかい原理に満たされていた、と解釈している。無縁の場所、アジールがいたるところにあり、人そのものも無縁の人がいた、ということを書いている。あるとき、国語の先生を120人集めた集まりで講演をした。少し時間が余ったので、そこは東北地方だったこともあるので、網野善彦について少し話そうと思った。しかし、そこにいる国語の先生は一人も、網野善彦の名前を聞いたことがなかった。愕然とした。

◆太郎vsハマコー、身をさらすこと

  • 荒川氏: 昔、東京12チャンネルで、浜田幸一と岡本太郎の対談を見た。誰もが予想するとおり、全く対談にならない。最初から最後までかみ合わない。ハマコーほど人の言うことを聞かない人もいないし、芸術を全く頭に置かない、芸術から遠い人もいない。それでも太郎は汗をかきながら、必死に芸術について伝えようとする。その太郎の、「無理解」の前にわかっていてこうして必死に身をさらすことのすごさを感じた。芸術は、外からの無理解の中でいかに身をさらすか、ということが大事ということもある。
  • 赤坂氏: 敏子さんはいつもボクに『太郎さんって格好いいのよ!! 命がけで闘っていたのよ!!』と言っていた。身をさらして闘う太郎を敏子さんから知らされたことが、太郎に惹かれた理由でもある。敏子さんは人を励ます名人でもある。「しっかりしなさい。男の子でしょ!」といった調子。私もそうやっていつも抱きしめられ、励まされて、この本を書かされた。太郎さんはいつもそうやって敏子さんに叱咤激励されて、修羅場に立ち続け、無理解の前に身をさらして必死に闘い続けたのだろうと思う。

◆言葉を届けること

  • 国語の教師120人のうち一人も網野善彦の名前すら知らない現在の状況で、どうやって言葉を届けたらいいのか。
  • 赤坂氏: 太郎はある時期から活動スタイルを変えている。それまでは日本の芸術家のグループの中で活動していたものを、ただ一人で活動をするようになった。「芸術は爆発だ」といったパフォーマンス的なスタイルもその頃から始まった。それは、言葉が届かない相手、無理解の相手に対してなんとかして伝えようという闘いの始まりだったのか。
  • 荒川氏: 真壁仁(まかべ じん) が、84人の庶民の詩を集めて編纂した『詩の中にめざめる日本 (岩波新書 青版 610)』という詩集がある。 なんの訓練も受けていない人たちの詩である。しかし、生活の中から出てくる言葉は、全く素朴なものではなく、ドキドキするような現代詩になっている。結局、表面的な難しさ、易しさではなく、書いた人がどれだけ欲望を持っているか、それによって言葉は届くものだと思う。
  • 赤坂氏: 私の作品はいつも、難し過ぎるとご批判を受ける。昔書いたものに比べるとずいぶん易しくなってきているつもりだ。先日、吉本隆明の『共同幻想論』を読み返したくなって読んでみた。そして、拒絶されている気持ちになった。例えば『遠野物語』について、「重要なことはただこれだけである」と書かれている。その表現が随所にある。では、俺がこだわっているあの点はどうなるんだ?という気持ちが起きても、それについては後追いできないテキストになっている。こういうテキストは開かれていないと思う。
  • 赤坂氏: 太郎の文章は全く違っている。ethnologyの基本が貫かれているのがわかる。突拍子もない飛躍に見えても、納得できる。太郎の文体は開かれており、「生活」「生命」といったキーワードが生きており、そのみずみずしさが思考の流れを支えている。読者に呼応させる文章である。
  • 赤坂氏: 太郎の文体は、敏子の影響を受けているように思う。敏子と出会う以前の1940年代の太郎の文章は、もっともちもちしていた。出会ってから歯切れがよくなっている。「男の子でしょう、しっかりしなさいっ!」と言われて、太郎は走り続けたのではないか。岡本太郎研究の一つとして、敏子の果たした役割というのも大きなテーマになるだろう。

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くわえて、荒川洋治による選評の一部を抜粋。

この本は、岡本太郎への「ひとつの恋文のようなもの」と、著者は述べます。恋をつづるときのような柔らかな、ことばの光にみたされていますが、対象に向きあう著者の文章には距離感と客観性が終始保たれています。その清涼な視線にみちびかれて、読者は、岡本太郎個人のみならず、社会や文化とつながって生きるすべての人への新たな愛情と興味、そして日本人に残された心と目の課題を、深みとひろがりのなかに感じとることになるでしょう。
 この本には、人間を描くために、思うために求められる、構成、展開も含めた総合的な文章表現の、理想が実現されているように思われます。学術・芸術の枠を超えたところにひらかれた、この著作の心は、とうといものであり、たいせつなものだと感じました。

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コメント

赤坂憲雄さん、初期の売り出しの頃に著書の評文を書いたことがあります。苫小牧民報の文芸欄に三段ぬきで。編集長の畑山剛の親戚だということでした。いいセンスの作家でしたね。ヽ(´▽`)/

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2014年8月10日 (日) 23:32

>根保孝栄・石塚邦男さま

コメントをありがとうございます。

>著書の評文を書いたことがあります。

そうですか。本書の、ではなく、別の著書ですか? 「いいセンス」というのは、文章を書く人としてという感じなのでしょうか?

本書の価値については、荒川さんの慧眼のとおり、と思いますが、東日本大震災における具体的、現実的な対応をするにふさわしい方なのかどうか、というのはなかなか難しいところなのかなと感じます。

文章のセンスと、現実の把握のセンス。
どこに価値を置くかということにもよるでしょうけれどね。

投稿: とみきち | 2014年8月11日 (月) 23:30

赤坂憲雄さんのデビュー当時の本でした。
30年前のことです。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2014年10月28日 (火) 03:10

網野史観・・赤坂史観・・

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2016年7月29日 (金) 03:05

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