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2008年9月 7日 (日)

『懐かしい日々の想い』 多田富雄

2002年8月に本書は発行されている。1934年生まれの多田富雄氏、68歳の年である。2001年5月に脳梗塞で倒れ、2カ月のあいだ、半身不随で動くことができず、経管栄養だけ。声も出せない。知能は侵されなかったのは幸いであったが、意識もはっきりとあり、どれだけの恐怖や絶望を感じていても、それを訴えることもできない。そういう状態に陥った。病状が少し落ち着いたとき、それまであちこちに書いたエッセイを、自分が死ぬか執筆不能になったときの遺稿集として出したいと考え、その構想がまとまって生まれたのが本書である。

2008年現在も、著者は声は出せず、固形物を食べることはできない。車いすで移動する。文字を書くための右腕はきかない。しかし、左手を使ってワープロを打ち、トーキングエイド(キーボードの操作によって言葉を伝える機器)によって会話する。何冊もの本を出し、ついさきごろ第7回小林秀雄賞を『寡黙なる巨人』が受賞した際には、授賞の連絡の一時間後に、記者会見会場であるホテルオークラにきちんとした服装であらわれたという。

著者は、世界的に有名な免疫学者であり、文学に心を寄せる人でもあり、お能に親しみ、病を得てからも、新作能を作っている。精力的に海外に出かけ、新しい都市にいけば必ず小学校と市場を見るような人物である。美味しいもの、美味しい酒が好きで、人間関係もオープンで、友人が多い。人間のトータルな知というものを重んじる立場は一貫している。

さまざまな分野についてエッセイをものしていて、それぞれに心を打つような、あるいは、はっとさせられるような、厳しく、人間のあるべき姿を見据えた、人生哲学を感じさせる。病を得てから、リハビリを含めた日本の医療行政のあり方については、他の著作物で重点的に書かれているので除くとすると、科学に関する考察と、そして、江藤淳の自死について、医者として客観的に真摯に考察したエッセイが心に残った。それぞれ一部分を紹介したい。

科学というのは、芸術とちがって別に何か創造するわけではない。一般には、もともと存在していた事実やルールを改めて再発見する仕事である。すでに自然の中に存在していたものを初めて見出し、そこに働いていた原理を知る。そういう発見によって自然は広がってゆくのだ。

(中略)

美しいとは、そもそも何だろうか。私は、自然が時間とともに作り出したものこそ美しさの原型なのではないかと思う。あらゆる芸術は、自然を眺めたときの人間の感動から始まる。(中略)その自然の中に人間は生きている。自然には崩壊してゆくもの、消滅してゆくものも含まれる。生まれくるものと同時に、滅び消滅してゆくものにも人間は美を感じる。(中略)時間が自然の中に作り出したものを発見してゆくことも、人間にとって美であろう。だから科学と芸術には共通のものがある。いずれも自然や人間を深く観察し、想像力によって新しいものを発見してゆく営みである。発見はさらに自然を広げる。

私は、自死を否定するものではない。自死は人間の究極的な選択のひとつである。それは弱いから行われるのではない。自死のためには強靱な力がいる。江藤氏はその強さを持っていた。

一方、これに対応する医師の立場はどうであろうか。医師は少なくとも、患者の心情や意志とは無関係に、病態として現れるSOSの徴候を冷静に察知し、身体的危険を防がねばならなかった。患者は、強い喪失体験のあと、愛着を脱することができないでいる高齢者なのだ。さらに、死の欲望にブレーキをかけてきた社会参加の役割を自ら放棄したという事実がある。七月八日の日本文芸家協会理事長辞任は、自らを「形骸」と見るうつ病のサインだった。この状況下で、患者の経歴や知性などを過信してはならない。ひたすら職業人として、医師に求められる病態把握の役割を果たすべきであった。江藤氏のSOSは見落とされた。

何を言っても、もはや結果論に過ぎない。しかし、江藤氏の自殺は、医療側にもさまざまな問題を投げかけている。死を看取る医療のむずかしさ。そして残された老人の心のケア。江藤淳のような栄光に満ちた人物でなければ、同じような例は無数にあるのかもしれない。

若い頃、著者が所属していた同人誌に、江藤淳が本名で作品を発表して以来、敬愛していた著者は、江藤淳の生い立ちや初期の作品の中に、愛する女性の喪失、死の誘惑といったものがあることを読み取っている。江藤淳を生につなぎとめていたのが、妻の存在と、行動する作家としての立場であったと考えるのである。

著者の持論は、現在の医学部が、心の問題を扱わないこと、死について考える機会がないこと、一般教養を学ぶ機会がないことは問題だ、というものである。また、一般の大学であっても、理系と文系とに分けてしまって、科学者が哲学や歴史などを学ばないこと、文系の人間が理科的な発想を学ばないことについても疑問を呈している。本エッセイは、江藤氏への個人的は思いは封印して、医師として、病と死を考えて書いたのであり、「当事者に責任があるなどと言っているわけではない」と結ばれている。

多田富雄について、大変にわかりやすくまとめているのが、松岡正剛の『千夜千冊』の中にある『免疫の意味論』のエントリー。ぜひご一読を。

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