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2008年11月25日 (火)

『漱石の思い出』 夏目鏡子述・松岡譲筆録 『父・夏目漱石』 夏目伸六

松岡譲は、漱石・鏡子の長女筆子の夫である。その松岡譲・筆子夫妻の四女、半藤末利子が『漱石の思い出の』解説を書いている。夏目伸六は、漱石・鏡子の六番目の子供(次男)であり、『父・夏目漱石』の解説を、前出、半藤末利子の夫、半藤一利が書いている。漱石は、どれほど本を読まない人であっても、たいがいの日本人なら名前ぐらいは知っているほど有名な作家である。お弟子さんたちにも著名な人が多い。しかし、まあ、この漱石の家族の日々は、本当に大変であったことだ、と、妻、末息子(下に生まれた五女は赤ちゃんのときに亡くなった)が語る様子を読むだに思う。

その大変さの一つは、貧しさであった。作家として売れたのは晩年のほうであり、特に結婚当初の漱石の家の経済状態はピーピーであった。また、漱石は、小説を書くうえで呻吟することはなく、実に苦もなく原稿用紙に向かい、さらさらと書いていたようだが、「頭が悪い」状態になると、妄想にかられ、家族に手を上げるし、妻を追い返そうとするし、それは大変だったようである。神経衰弱のせいである。

漱石の極度の几帳面さと、妻・鏡子のあっけらかんとしたのんきさとはよい対照で、悪妻と言われようが何であろうが、家族は、この妻あってこその漱石だったと感じているふうなのが、読んでいるとほっとするし、何しろ、鏡子自身が、漱石のことをとても大切に思っていることがよくわかるのが、何よりも胸に迫るのだ。漱石は、生まれ落ちた家庭で愛されることもなく、人を愛することも知らずに育ったけれど、これほどまでに妻に大切に思われて、幸せだったのではないか、と人間としての漱石については思うのである。

鏡子夫人は、問われるがままに、漱石とのお見合いのこと、新婚時代、漱石が留学しているあいだの留守宅の経済事情、その他、本当に臆することなく、何でもさばさばと話している。そのきっぷのよさには感動する。結婚当初からどうしても朝寝坊がなおらない妻に対して、規則正しい生活を送る漱石は常に腹を立てていたという。

「おまえの朝寝坊ときたら、まことに不経済で、第一みっともないことこの上なしだ」

「しかし一、二時間余計にねかせてくださればそれで一日いい気持ちで何かやります。だから無理をして早く起きていやな気持ちでいるより、よっぽど経済じゃありませんか」

すると夏目が申します。

「また理屈をつけて四の五のいうが、おまえのような細君は旦那一人だからそれでつとまるようなものの、もし姑があったらどうするつもりだ。つとまりっこないじゃないか」

「その時はその時で、ほかのほうでちゃんと埋め合わせをつけて、私でなければ夜も日もあけないというふうにしてみせます」

私もまけてはおりません。と夏目がこんなことを申します。

「おまえはそれでいいかもしれないが、第一おまえの寝坊で、おれがどれだけ時間の不経済をやってるかわからない、おれは一時間も前から目をさましているんだが、細君より先に床を離れるのは不見識だから、おまえが起きるまで床を離れない。これを長い間に見積もるとたいへんな損害だ」

しかしこうしたお小言も毎々のことではありましたが、とうとう死ぬまでこのお寝坊ばかりはなおりませんでした。

こんな具合で、とてもとても面白いのです。悪妻と名高い鏡子夫人は、「この人はこういう人だから」と、おおざっぱだけれども、おおらかに、そして実は非常に的確に漱石という人間を理解し、許容していたと思われる。亡き夫を語らせて、これほどに飾らない話を聞かせて、聞く者の心をほこほこと温めるような人物はなかなかいないのではないかと思う。できることなら、(漱石はちょっとご遠慮申し上げるけれど)、この鏡子夫人には是非一度お会いしてみてかった。

さて、夏目伸六という人は、漱石について語るときに、ある種、斜めに構えてみせなければ気が済まないような心持ちをもった人のようだが、文章は非常に巧いし、その冴え渡る観察眼は並々ならぬものがある。父親としての漱石については、心が通じ合うとか、無条件に可愛がられたという確信を持てぬまま、若くして他界されてしまったという思いからか、どうしても距離を置いた、冷ややかな心情を書き留めずにはおれない様子である。それに対して母親の鏡子には、こちらもストレートな表現ではないけれど、非常に強い愛情を感じていることが垣間見られるのである。

その伸六氏、いったん漱石という人物の客観的な描写を始めると、非常に公平で、かつ、広い視野のなかで、尊敬の念さえもって漱石を位置づけていることが感じられる。漱石の几帳面さとだらしない弟子とのやりとりの描写などは、父の性格を慮って気の毒がってみているし、社会的存在としての漱石に対する伸六氏の思いには、愛情と誇りが混在しているという印象を受けた。

父・漱石が、文豪「夏目漱石」でも何でもなく、ただの一人の人間であり得た、家族以外の相手は、満鉄の総裁となった、同級生の中村是公さんであった。「父と中村是公さん」という短い文章は、是公さんへの父・漱石の親しみを、そのまま伸六氏が受け継いでいてとても良い。

森田草平さんの「誰が一番愛されてゐたか」の中にもある如く、小宮豊隆さんは、誰にも増して父を愛し、誰にも増して父から愛されたと、自他共に許していたようであるが、実を云えば、彼もまた単なる才幹の心酔者に過ぎぬのであって、父はむしろ、本能的に自分を愛する者、才能と名声を度外において、ただ一個の人間として自分を愛する者に、遙かに暖い本来の愛情を感じたのではないかと思う。

父の作物がどんなものであるかさえ、全然わきまえなかった是公さんにとって、父は勿論「猫」の漱石でもなければ、「草枕」の漱石でもなかった。それは昔二畳の部屋で肩を並べて同じ釜の飯を食った、単なる「夏目金之助」に過ぎぬので、しかも一個の人間「夏目」に対するこの変らざる愛情の中に、父は初めて、余裕のある真の友情を意識したのに相違ない。

幼い頃に、突然の怒りにまかせて自分を打擲した父を理解できなかった伸六は、漱石という人を捉え直すことによって生きていく道を選んだかのようである。

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