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2009年3月18日 (水)

『未見坂』 堀江敏幸

短篇集。大変にすばらしかった。誰かが欠けた家族の中で育つ子どもが、大人の事情を感じ取りながら、与えられた小さな世界の中で、未知の世界、初めて出会うタイプの人、生まれ育った家にはない価値観、などに出会う時間を、丁寧に描いている。物語の舞台の設定が周到で、登場人物の書き分けが見事。短編は、その物語の設定を読者に納得させられるかどうかが勝負。その場面の匂いや音、時代や気分が、各短編の冒頭から、映画のように広がる。その世界に長くとどまっていたいと思うことから、堀江作品の長編は好きだけれど、完成度という点では、短編がまさるかもしれない。『バン・マリーへの手紙』よりも、文芸的な作品が並んだ。『雪沼とその周辺』の後続作品との位置づけらしいけれど、私は、本書のほうが断然良い、と思った。

『滑走路へ』 本編は特に好きな作品。冒頭をご紹介。

出かけるの、と母親がきいた。約束があることを、まだ話していなかったのだ。話せない事情があったわけではないし、話すなと口止めされていたわけでもない。ただ、なんとなく秘密にしておいたほうがいいような気がして、わずかな迷いを抱えているうち、つい言いそびれてしまったのだ。しかし母親に黙って遠出をする習いも少年にはなかった。きかれれば、いや、きかれなくても、だれとどこで遊ぶのかくらいは、いつも素直に伝えていた。

これだけの文章で、主人公が誰で、何歳ぐらいで、どんな感じの人か、今どういう状況なのか、がわかる。すばらしい。父親が出ていってしまってから、小学校四年生の少年は母親との二人暮らし。母親の様子が最近ちょっと変わってきた。気になる。一方、少年は今、昨年転校してきたクラス違いの友人と一緒に自転車で遠出する予定なのだ。父親の仕事を誇りにしているらしい転校生。彼との時間は、これまで知らなかった世界を少年に見せてくれる。少年は友人に従って、ある場所を目指して自転車をこぎ始める。

ふたりはひとこともしゃべらずに、ペダルを漕いだ。母さんは、もう家を出ただろうか。遠足の服を買うだけなら、そんなに時間はかからない。食材を仕入れてすぐに戻るのか、それともどこかに寄って夕方に帰ってくるのか。出かけるの、ときいてきた声の調子が、いつもよりほんのすこし浮き立つふうだったのが気になるのだが、しかしそんな雑念も、腿の張りと疲れに負けてしだいに消えていった。

子どもは子どもの世界で毎日を生きる。しかし、圧倒的に不利である。大人の事情にあらがえず、巻き込まれる。意味がわからなくても、わかることはたくさんある。意味がわからなくても、納得できることとできないことがある。それを言葉にするすべを知らない子どもたちは、心の中にわき起こる不安や不満、理不尽な思いを、無理やり飲み込むか、どこか別の場所で吐き出すか、無意識のなかでねじれたかたちで代償を求めるか、するしかない。

『苦い手』の主人公は、子どもではない。年老いた母親と二人暮らしの独身中年男性、肥田さんである。肥田さんと母親との暮らしの中に闖入してきた新しい家族は、電子レンジ。酔っぱらうと、何でもかまわず「持って行け」という課長に持たされた代物である。キッチンのテーブルに置いてみたら、思いもかけない大きさで、その存在をアピールする。困ったな、という感じである。しかし、翌日、帰宅すると、事情が少し変わっていた。

昨日の夜とおなじ順序で車を入れる。朝、出て行くときともちがう音が車体を包む。ただいま、と引き戸を引いて、明かりの漏れている台所兼食堂に顔を出したら、母親が朝とは反対の席にぽつんと腰を下ろし、なにやらおいしそうに飲んでいた。

「おかえり。やってみたよ」

「なにを?」

「電子レンジだよ。ふたりで黙っているのも気まずいから、コンセントつないで、牛乳あっためてみたのさ。案外、いけるじゃないか」

昨日、あるいは今朝方とはずいぶん様子がちがう。

「ひとりでやったの?」

「絵があったから、カップに牛乳入れてね、扉を開けたら皿があったのでそこに置いて、スタートってのを押した。そしたら中の皿がまわって、ピーッて音がしてさ、急に切れた。あっと言うまだね」

(中略)

ふたりで黙っているのが気まずいなんて、電子レンジ相手にずっとここにいたのだろうか。黄色い明かりがともると唸りながら円盤がまわりはじめ、数十秒経過したところで、母の言葉どおり、ピーと音がして止まった。

これまでいた人が一人欠けること、あるいは一人増えること(電子レンジも含む)。それが受け入れ難いことであっても、唐突な出来事であっても、どうにかこうにか折り合いをつけて、毎日をつむいでいく。それが家族なんだな、なんて思わされる。

『戸の池一丁目』の冒頭。

「これはお菓子だから、買っちゃだめ。これもお菓子だから、買っちゃだめ。これもお菓子だから、買っちゃだめ。みんな、買っちゃだめ」

三つか四つくらいの男の子が元気のいい声で言う。大きな袋菓子の棚をめざとく見つけてその前で両脚を踏ん張り、麦わら帽をかぶるのではなくかぶられた頭を上に向けて人差し指でひとつひとつ確認しながら、買えないものばっかり、と母親を振り返った。

場所は、泰三さんが営むよろず屋。バスを待つ親子連れ(後に、母親の妹、すなわち叔母であることがわかる)が、次のバスまで時間があるというので、言葉を交わすうちに、どこの家の人であるかがわかる。姉夫婦はぬきさしならない事情があって、息子を一時的に家から離したほうがいいということで、実家に預けることになり、妹である彼女が送り届けることになったのだという。

「さっき停留所から見えたんですけど、裏手にあるのは、古いバスですよね」

「そのとおり」

「ほら」彼女は勝ち誇ったように甥っ子に顔を近づけた。「言ったとおりでしょ」

「もっとも、動きませんけれどね。ずっとむかしに、わたしが使っていたものです。もうそんなものはご存知ないかな、あれで移動式のスーパーをやってましてね」

もしかしたら、あの伊東の奥さんを救った武勇伝を、宗一さんの奥さん、つまりお姉さんを通じて聞き知っているかとこっそり期待したのだが、なんの反応も引き出せなかった。

「じゃあ、ぼく、そのバスでいい」

「だから、楡くん、もう走れないバスなんだって」

「さっきと、ちがうバスに、乗る!」男の子はあきらめない。「乗ってあげないと、かわいそう!」

まったく、乗ってあげないと、バスがかわいそうだ。

泰三さんは、古いバスを置いてある裏手の土地を利用したいという申し出を受けて、迷っている。男の子の「ぼくは、信じないよ!」という口癖も、「乗ってあげないとかわいそうだ」という言葉も、内心の悩みに呼応して、そのとおりだなぁと思い、それをきっかけに、知らぬ間に物思いにふけってしまう。時代から取り残されかかっている、小さなまちでの営み。壊れかかっている家族の中で生きる都会の男の子。バスを通して彼らが一瞬出会い、他愛ない会話から、それぞれの思いが揺れ、そして別れる。一瞬の時間を切り取った見事な短編。

どの作品も、描かれる子どもも、おとなも、それぞれ違った理由で不自由な状況にある。しかし、どこかに何かのつながりがある。思い出であったり、言葉であったり、血のつながりであったり、共有した時であったり。そのことに気づくとき、あるいは明確に気づかないまでも、身を寄せて、身を任せたときに受け止めてくれる場所がある、と感じたときに広がる安堵感のようなものがある。

それが、この短篇集のもつ温かさ、だと思う。

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