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2009年7月12日 (日)

『坊っちゃん』 夏目漱石

何十年ぶりでしたっけ、というぐらい久しぶりに読んだ。今読み返して、しみじみとその価値を感じたことは二つ。一つは、その小気味よい江戸っ子弁と、豊富な語彙。もう一つは、明治時代の日本の暮らしぶりの描写。

江戸っ子弁の悪口は、軽佻浮薄な感じだけれど、何ともいえず滑稽な感じがして、だいいち調子が良くて面白い。新米教師である自分をはやしたて、いたずらをして困らせる生徒について腹を立てているところでは……

こんな卑劣な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底直りっこない。(…中略…)向でうまく言い抜けられる様な手段で、おれの顔を汚すのを抛って置く、樗蒲一(ちょぼいち)はない。向が人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰として何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常の手段で行くと、向から逆捩(さかねじ)を食わして来る。

樗蒲一(ちょぼいち)というのは、注によれば、中国渡来のばくちの一種だそうだ。転じて、間抜け、抜けた奴などの意味に使われるという。「逆捩を食わす」とか「義理がわるい」とか、講談を聞いているような感じ。

当時の風物の描写はいろいろあって面白いが、ここでは物価に注目。松山では皆、城下から汽車に乗って10分ほどの住田という町にある温泉に行く。銭湯代わりである。当時の汽車には上等と下等があり、上等は五銭で、下等が三銭ということがわかる。住田には料理屋も遊郭もあると書かれている。遊郭の入り口にある団子屋で二皿の団子を食べて七銭だったという描写もある。小説の最後に、松山から東京に戻って、ある人の周旋で街鉄の技手になったら、月給は二十五円で家賃は六円だったとある。金銭のことだけでなく、建物の描写、まちの様子や、人の身なりなど、端的に、豊かな語彙で表現されているので、時代を想像しやすく、読む楽しさが倍増する。

さて、物語はご存じのとおり、直情径行で、損得勘定一切抜きの坊っちゃんによる単純な勧善懲悪のお話。とはいえ、正確にいえば悪を懲らしめきれない。悪いやつはそのままのさばり続け、山嵐と坊っちゃんは、つきあいきれない、さようなら~とばかりに退散するわけだ。でも、ともかく筋書きとしてはいちおう勧善懲悪風ではある。

ということなので、主人公の善悪の価値基準、人間の高等・下等の判断基準が、これでもか、これでもかと、あっけらかんと書かれている。多くの読者が坊っちゃんを応援し、溜飲を下げたことだろう。しかし、うーん、やはり明治時代だなぁと思うのは、田舎や田舎モノをバカにした表現もあちこちにあること。これはユーモアとして書いたのか、本当に松山なんぞは全く田舎で嫌なところだという漱石の本心が、坊っちゃんの口をかりて吐き出されたのか、そこはちょっとわからない。

「清(きよ)」が『坊っちゃん』の隠れた主人公であることは言をまたない。坊っちゃんが生まれ育った家で十年来召し使っている下女の清である。ぼっちゃんの心のふるさととして描かれている。

どういうわけだか兄よりも自分を盲目的に可愛がり、立派な人間になるだろうと予言し、自分の代わりに土下座して父に謝り、父の目を盗んでお小遣いをくれたりする清のことを、最初はこのように紹介している。ああ、この文章に含まれた痛いほどの愛情。漱石は、2歳で養子に出されるが、養子先の夫婦が離縁したため生家に戻った。しかし、両親の愛情を受けずに育った。そのことが、彼の人格形成に一つ、影を落としていると言われている。しかし、この「清」が坊っちゃんに注ぐような絶対的な愛情の存在を知っていたし、それを体現する人物を書き表すこともできたのだ。

清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌(きらい)だと云って人に隠れて自分だけ特をする程嫌(いや)な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので御兄様(おあにいさま)は御父様が買って御上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固だけれども、そんな依怙贔屓はせぬ男だ。然し、清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺れていたに違ない。元は身分はあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔屓目は恐ろしいものだ。清はおれを以って将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに遭っては叶わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌なひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見もなかった。然し清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿々々しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考もなかった様だ。只手車へ乗って、立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと云った。

漱石がこの部分を書いているときの気持ちを想像すると、泣けてくる。『坊っちゃん』という作品を書いているあいだじゅう、漱石は自分が生み出したこの清という人物による無限の愛情に包まれていたに違いない。

このあとの作品の主人公の憂鬱と好対照を成すという意味でも、『坊っちゃん』は非常に重要な作品。そして、書き出しも、結び方も、ともにすばらしい。傑作である。

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コメント

はじめまして、加藤といいます。
初めて来たんですが、好きな文章だっ、と思って得したというかうれしい気持ちになりました。
今後ちょこちょこ寄らせていただきます。

追記・「坊っちゃん」は文庫の解説を八割写した感想文が小学生の部・県代表に選ばれかけて泣きそうになった思い出があります。

投稿: とーる | 2009年7月15日 (水) 05:56

>加藤さん or とーるさん


はじめまして!
コメントをありがとうございました。

更新頻度が恐ろしく低いブログですが
よろしければまたお越しくださいね~。

>文庫の解説を八割写した感想文が小学生の部・県代表に選ばれかけて

あらら~、選ぶほうの眼力の問題でしょうね。


とーるさんは、ネット書店の管理人さんなんですね。時々覗かせていただきます。

投稿: とみきち | 2009年7月15日 (水) 12:11

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