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2011年9月 4日 (日)

『想い出の作家たち』 文藝春秋編

1990~93年にかけて「オール讀物」に連載された、元「文藝春秋」編集長の岡崎満義による作家の家族への聞き書きシリーズ。『想い出の作家たち1』(1993)、『想い出の作家たち2』(1994)を編纂して、文春文庫におさめられたもの。お値打ちの1冊です。

同じ回想でも、聞き書きは、家族自身が書き下ろしたものとは異なる良さがあると思う。書き下ろしとなると、書き手は、単にエピソードを書くだけでなく、それについての自身の評価、感想を書かなければならないという心境になると思う。そこで、父は、夫はこういう人であったとか、私にとってはこういう存在であったとか、ある種、評価的なまとめを書かざるを得なくなる。聞き書きとなると、家族はそうした“まとめ”から自由な立場にいることができる。思い出すままに出来事を語る。「そういえばこういうことがありましたね~」。語りっぱなしでよいのだ。エピソードをつなぎ合わせて読み物にするのは、聞き手(編集者)の仕事だからである。その出来事の意味合いを考えることから解放された家族が語るエピソードこそ、読者の知りたい初めての事実である可能性はきわめて高い。

「すばらしい夫でした」、「子どもに対する愛情に満ちた親父でした」。家族自身の筆でそんなふうにまとめられてしまったら、「そんなことないでしょう」と読者が突っ込むことはできない。しかし、聞き書きであれば、そうした陳腐な一行感想、一行のまとめを書いてもらわずとも、エピソードそのものから作家の雰囲気、体温、存在感を読者は感じることができる。それがすぐれた聞き書きの最大の強みである、と思うのだ。

家族が、その意味合いを総括せずに語る、ちょっとしたエピソード。それを丹念に拾い上げて、一つひとつの出来事を輝かせ、積み重ねて、具体の作家像を築き上げていく。それが、聞き書き&評伝の醍醐味であり、聞き手(編集者)の腕の見せ所。その意味で、本書は、家族から珠玉のような回想を引き出し、まとめ上げている。すぐれた仕事だと思う。

回想されるのは次の作家たち。

  1. 下母澤寛(明治25~昭和43年、76歳)  語り手:三男
  2. 江戸川乱歩(明治27~昭和40年、71歳) 語り手:長男
  3. 金子光晴(明治28~昭和50年、80歳)   語り手:長男
  4. 尾崎士郎(明治31~昭和39年、66歳)   語り手:夫人
  5. 今東光(明治31~昭和52年、79歳)    語り手:夫人
  6. 海音寺潮五郎(明治34~昭和52年、76歳) 語り手:次女
  7. 横溝正史(明治35~昭和56年、79歳)   語り手:夫人
  8. 山本周五郎(明治36~昭和42年、64歳) 語り手:次男
  9. 井上靖(明治40~平成3年、84歳)     語り手:夫人
  10. 新田次郎(明治45~昭和55年、68歳)   語り手:夫人
  11. 柴田錬三郎(大正6~昭和53年、61歳)  語り手:夫人
  12. 五味康祐(大正10~昭和55年、59歳)   語り手:夫人
  13. 立原正秋(大正15~昭和55年、64歳)   語り手:長女

明治の中期から後期生まれの作家が中心。その素顔は大変に魅力的。第一に、文句なくスケールが大きい人が多い。この時代に筆で食べていこうなんていうのは、それだけですでに無頼な人生ということになるわけで、世間体がどうだとか、他人と比べてどうだとか、そんな料簡はハナから持っていないのだろうと思われます。

長男絶対、男子絶対の価値観の世の中、どんな亭主、父親であろうと、妻が子どもが絶対服従するのは当然とばかり、日々のなかで当然のごとくわがままを通しながらも、身分の貴賤と無関係に人に遇する精神が自然に備わっている人が多く、それがワンマンであろうとも魅力が感じられる所以かなと思ったのでした。

よって、亡き夫、亡き父を語る家族の言葉の端々に、素直な尊敬の念がにじみ出ていることが多く、「家」というものが力を持っていた時代の良い面が読み取れるのです。自身の人生の幸不幸が結婚した相手によって決まってしまう時代の女性にとって、尊敬できる夫であるかどうかというのは、大きな大きな問題です。豊かな生活ぶりがしのばれる作家も一部にはいるものの、貧乏チャンピオン争いみたいな話が多く、ぼろはまとえど心は錦、という言葉に意味のあった時代だなぁと感じます。

ちょっと面白かった文章をピックアップしてご紹介。

◆江戸川乱歩

長男は語ります。

 「……いつも若い人を五、六人つれて、自分は大して飲めないのに、方々を飲み歩いていました。自分が飲めない分、余計に若い人たちに飲ませたのでしょう。若い人の話を聞くのが愉しみだったのですね。ときどきはうちのおふくろも連れて、いっしょに行っていたようです。」

 「母には必ず書いたばかりの原稿を、声を出して読ませていました。自分は寝床に寝そべって聞いているわけです。そして、「そこ、おかしい」と、直すんです。耳ざわりの悪い文章を直すんですね。昔はそういう習慣があったのではないでしょうか。お偉方が横になって、書生に本を読ませて聞いている。小説に限らず、どんな本でも耳で聞いたのかもしれませんね。父の場合もその習慣の流れかと思いますが、とにかく耳ざわりのいい文章を心がけていたのでしょう。」

◆金子光晴 

 息子の乾の召集逃れのための山中湖暮らしについて、乾はこう語ります。

 「山中湖の三年間は荒れ地を開拓して、トウモロコシやジャガイモを作ったり、あとは売り食いでした。(…中略…)その三年間はぼくらはほんとに仲が良かったな。両親は二人とももの書きだから、絶えず競争心をもってるわけですけれど、その頃は、たとえば芥川賞の作品が発表されると、親父が声を出して読んで、母とぼくがそれを聞く。そして今度の芥川賞はどの点がよくて、どの点が悪いと批評しあったりしていました。母が小説を書くと、父が読んでここが面白い、そこはこうした方がいい、なんて、この時期はほんとに仲良くやってました。しかし、ぼくはもうインテリ女性はぼくでたくさん(笑)。ぼくの家内はふつうの人で、浮気もしないし、お茶を点てて喜んでますから、まあ水か空気みたいで、ぼくは気楽でいいですよ(笑)。」

 「昭和二十八年にぼくはフランスに留学することになって、神戸から船で発ったのですが、父は波止場まで見送りに来て、珍しくオイオイ泣きました。ヨーロッパは面白くて、一年のつもりがどんどん長くなったのです。すると、あの筆無精の父が三カ月に一度は「日本こそすばらしいところだから、一日も早く帰ってきてくれ」と書いてよこすのです。」

自身は、3歳の乾を妻の三千代の両親に預けっぱなしにして、長いあいだ海外を放浪しておきながら……。

◆尾崎士郎

 「ぼつぼつ原稿も書いていましたが、稿料はわたしの手元には入ってきません。主人はこんなふうに言うのです。「男というものは、女に言えない金の使い方がある。いくら理解のある気前のよさそうな女房でも、千円誰かに貸してあげよう、ということになると、うちも苦しいから八百円にしてくれと必ず言うものだ。だからおカネはわたしがすべてあずかっておく」 そんなわけで、尾崎が渡してくれるおカネで家計のやりくりをしていたので、どれくらい収入があるか、皆目わかりませんでした。おカネがなくなって、どうにもならなくなると渋谷の実家へ帰って何日か泊めてもらうのです(笑)。」

宇野千代との離婚が成立する前から同居していて、「人生劇場」が売れるまでは、猛烈な貧乏生活である。

「本気で作品を書くときは、ペンをもつ前にわたしにいろいろ話をしてくれるんです。話をしながら、ストーリーを作り、構想をかためていったのでしょうね。それで書き上げると、夜中であろうとわたしを起こして、「出来たから聞いてくれ」と読んでくれました。わたしは聞いてもよく分からないことがありましたが、自分で声を出して読んで人に聞かしていると悪いところが分かっていい、と言っておりました。でもあの人は女の人が描けないんです。いろいろな女のタイプを研究したみたいですけど、いつも同じ型になってしまうんです。着物っていうと棒縞の着物と決まってる(笑)。」

「尾崎は気が弱いというのか気がやさしいというのか、原稿を頼まれると断れない人でした。あまり気のすすまないものでも、つい引き受けてしまう。見過ぎ世過ぎの原稿が少し多過ぎたですね。(…中略…)髙橋義孝さんが「あの人は褒めると何でもくれる人だから、奥さんを褒めたらほんとにくれるかもしれない」と冗談に書いていらっしゃいました(笑)。庭の石灯籠を褒めたらどうぞ持ってって下さいといわれて困った、とおっしゃってました。」

◆今東光

「結婚したときは貧乏のドン底、坊さんの資格をもってる人だなんてまるで知らなかった。何か書いていましたけど、小説家といえるほどではないし、年はいってる、カネはない、家はない、何にもないのドン底時代でした(笑)。何がなんだか分からないままに、いっしょになってたんです。(…略…)わたしは女房、というより毎日、留守番していたようなものです(笑)。ずっとそんな人生です。

「あれぐらい賑やかなことの好きな人はいないです。哀しいこと、お涙頂戴なんて大っ嫌い。そこが彼のいいとこでもありました。だから八尾のお葬式はいつも賑やかでした。涙がない、笑いの絶えない寺でした。ふだんから台所には誰かしら来て、何かしら食べてる(笑)。いまから思うと七円五十銭のお布施で、どやってヤリクリしていたか分からない。とにかく檀家は全部遊びに来ましたからね。ミカンを食べてるから「あら、どうしたの?」って言うと「上がってまんがな」。仏さんにお供えしてあったのを、勝手に下ろして食べてるんです(笑)。」

◆海音寺潮五郎

「父を見ていると、本を読むのがいちばん好き。書くのはあまり好きではないけど、妻子の生活のこともあるからやらざるをえない、という感じでしたね。仕事をすると決めて書斎に入っても、あれこれ調べものをしているときがいちばん楽しそうでした。」

「原稿を書き上げると、まず母親に読ませていました。そうすると、うちの母親は、頭から尻尾までを褒めるんです。「これは面白い。傑作です。素晴らしい」って(笑)。わたしなんか生意気ですから、「文章、堅いんじゃない? ここ、分かんない」なんていろいろ言うんです。それでもお母ちゃんはどうかしてるんじゃないかと思うぐらい、心から褒めていましたね。母親は父親の最高のファンでした。作品だけではなくて、要するに何でもお父ちゃんが世界一なんです。母親がたまにいっしょに何かの会合に出て帰ってくると「お父ちゃんがいちばん立派だって」って言うんです。(…略…)母が死に、父が亡くなってみると、父を育てたのは母親だったな、とつくづく思いますね。(…略…)母親がうまくあやしながら育て上げたのに違いありません。」

……という具合。まだまだ紹介したいものはたくさんあるが、この辺までに。

業の深い作家というものの家族が亡きその人を語るとき、この家族あっての作家であり、作品だったのだ、ということがよくわかる。周囲を巻き込む磁力のめっぽう強い人たちであるから、その家族たちは世間一般とはあまりにも異なる生活の中で、それをおもしろがり、時には斜に眺めながら、その渦に巻き込まれて生きることを「運命」として引き受けた人たちであると言える。その家族たちの回想を通して、作家の在りし日の日常の姿を浮かび上がらせることに成功した、屈指の聞き書き集だと思う。

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