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2012年6月 3日 (日)

「本の島」をめぐる対話vol.3 堀江敏幸vs吉増剛造(2)@青山ブックセンター本店(2012.5.26)

(吉増氏の解説が読めるのは文庫です)

「本の島」をめぐる対話vol.3の続き、第2話です。

◆『おぱらばん』執筆の経緯◆

   ☆うわごと電話

「本の島」の着想者である津田新吾氏と堀江敏幸さんは、堀江さんが第1作を世に出した後、わりあいにすぐに出会うことになります。第1作というのはwikipediaによれば、「1994年より、フランス留学経験をエッセイ風に綴った『郊外へ』を白水社の雑誌「ふらんす」に連載。1995年に単行本化され、小説家デビューを果たす」とありますから、1995~96年頃でしょうか。当時、津田氏は青土社の編集者ですが、堀江さんとは面識も何もありませんでした。

ある日、堀江さんに一本の電話がかかってきます。電話の主は小さな声で名乗りもせずに、「本読みました。すばらしいです」と話し始めます。堀江さんはてっきりいたずら電話だと思うわけですが、ガチャンと切ることもせずに聞いていると、相手はうわごとのように作品についてあれこれと感想を述べるのだそうです。

15分ほど一方的に話したあと、「ついては、第1作と同じような感じで書き下ろしを書きませんか?」と言うんですね。堀江さんは、「いったいあなたは誰ですか?」と尋ねます。電話の主も相当変わっていますが、いたずら電話と思いつつ、途中で名前を尋ねもせず、切りもせずに聞いている堀江さんも相当変わっていますね~。「あ、失礼しました。私、青土社の津田新吾と申します」。

こうした「うわごと電話」から、津田氏と堀江さんの関係が始まりました。

☆「移民論」だった『おぱらばん』

「うわごと電話」の津田氏の依頼の趣旨は、「第1作の感じをなくさないようなかたちで移民論を書きませんか?」というものでした。しかも津田氏は、書き下ろしでなければ良い作品にはならないという信念の持ち主でもあるのでした。

 当初、津田氏と堀江さんはしょっちゅう喧嘩をしていたそうです。津田氏は治療困難な病気と闘いながら編集者の仕事を続けていたことも関係していたのかどうか、これぞと自身が思う作家には熱をもって迫り、自身のつくりたい「本」のイメージを断固主張し、絶対的な共感と協力を求めるタイプの編集者だったようです。

 「移民論」という論文スタイルのものを書くことも、書き下ろしを書くことも無理だと感じた堀江さんは「それは無理です」と断わるわけですが、そう簡単に引き下がらないのが津田氏の津田氏たるゆえんです。果てしない押し問答の末、ある日堀江さんのもとに『ユリイカ』に連載枠を取りました、という連絡が青土社からもたらされます。

 津田氏は書き下ろしは諦めたのです。しかしその枚数を聞いて、堀江さんはそれもまた無理と言って断わります。ある程度の枚数があれば、自分なりの遊びを入れた文章を書けるかもしれないが、その短さで要求されたものを仕上げる自信はない、と。

 その後文字数についてもやりとりがあり、ついにアクロバティックな方法に決着します。それは『ユリイカ』の「編集後記」の文字と同じくらいのポイントで、かつ、三段組みにするという方法でした。堀江さんには、ポイントを落とせば枚数が増やせるし、かつ、誰も読まないだろう、という魂胆があったのだそうです。トークの最後のほうに、実はこの文字サイズでの連載については社長の許可はとっていなかったのだ、というような裏事情の暴露や、原稿料は文字数に応じて支払われたのか、あるいはページ数だったのか、といったツッコミもあり、笑い話にオチがついたのでした。

☆『おぱらばん』と移民

 「移民論」というイメージからスタートしていることもあり、『おぱらばん』はよく読むと、パリに活動しているさまざまな国の人々の様子を活写しています。これは小説ではないのだと思って読んでいくと、描かれている景色や出来事に急激に自由度が増す印象です。


 吉増氏が「この始まり、すばらしいね~」と言って朗読をした「おぱらばん」の冒頭を転記します。

数年前の天安門事件がまだ尾を引いていたのか、それともなにか他の政治的理由でフランスが独自の保護政策を打ち出したのか、当時私が暮らしていたパリ郊外の宿舎に、中国人留学生が大挙して現われたことがあった。強力なコネクションを頼りに落ちつき先を見つけるまでのあいだ一カ月ほど滞在して、こちらがようやく顔を覚えた頃にふっと姿を消し、ほどなくするとべつの中国人が空き部屋に入る、そんなことがしばらく繰り返された。

 それを受けて堀江さんは、「確かに政治の切れ目に寄り添う形で書かれたものが多いですね」と。「うわごと電話」の趣旨から離れないようにという気持ちは常に持ち続けていた、ということでした。

☆「のぼりとのスナフキン」

 『ユリイカ』への原稿の締切がダブルブックになったことがあったそうです。『ユリイカ』に連載した『おぱらばん』で1冊の本を編むには、まだ枚数が足りない。よって追加でもう一篇書くようにという要請が津田氏から来ました。しかし、そのときトーベ・ヤンソン氏来日か何かをきっかけに、『ユリイカ』でトーベ・ヤンソン特集を組むことになり、堀江さんはトーベ・ヤンソン氏関係の原稿を依頼されていたのです。津田原稿の追加は青天の霹靂。堀江さんは津田氏に事情を説明して「両方は無理です」と言うのですが、「書き下ろし」信仰のある津田さんにとっては本にすることが何よりも大切なこと。納得するわけがありません。一方、雑誌担当の編集者は当然ですが雑誌の原稿を優先してくれと言い、双方一歩も譲ってくれません。どちらか一つを書くという自由が与えられない堀江さんは、「ルーペの必要な活字サイズでの連載」に継ぐ苦肉の策を考えつきました。それは、「ムーミン原稿がそのまま『おぱらばん』の追加短編を兼ねられればいいのではないか!」というアイデアです。こうして「のぼりとのスナフキン」が生まれました。

 この話を聞いた吉増氏、「ああ、それでなんだかあの作品だけ感じが違うんだね」とこれまた大変に嬉しそうなのでした。



□■□■ 第3話は、堀江さんの「おそるおそる」について書く予定です。

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