著者(な行)夏目漱石

2009年7月31日 (金)

『明暗』 夏目漱石

以前読んだのは一体いつのことだったのか、思い出せないくらい長いときが経過しての再読。ご存じのとおり、朝日新聞連載中に漱石の死去により、絶筆となった作品である。

読み始めてまず気付いたのが、文末の「った」の連続。ほとんどの文章がこのかたちでしめくくられている。前に読んだときに気付かなかったのが不思議なほど。地の文はことごとく「であった」「○○した」。意図的でないはずのない、この文末攻撃に、リズムが合うまで少し苦労したが、読み進むうちに、まったく気にならなくなった。物語に引き込まれるというのは、読む側のリズムの主張がなくなり、小説のリズムに自然に寄り添っていくことでもある。相性はもちろんあるが、優れた小説の条件の一つに、多くの読者を物語のリズムに引き込む力をもっていることがあると思う。

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2009年7月12日 (日)

『坊っちゃん』 夏目漱石

何十年ぶりでしたっけ、というぐらい久しぶりに読んだ。今読み返して、しみじみとその価値を感じたことは二つ。一つは、その小気味よい江戸っ子弁と、豊富な語彙。もう一つは、明治時代の日本の暮らしぶりの描写。

江戸っ子弁の悪口は、軽佻浮薄な感じだけれど、何ともいえず滑稽な感じがして、だいいち調子が良くて面白い。新米教師である自分をはやしたて、いたずらをして困らせる生徒について腹を立てているところでは……

こんな卑劣な根性は封建時代から、養成したこの土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底直りっこない。(…中略…)向でうまく言い抜けられる様な手段で、おれの顔を汚すのを抛って置く、樗蒲一(ちょぼいち)はない。向が人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰として何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常の手段で行くと、向から逆捩(さかねじ)を食わして来る。

樗蒲一(ちょぼいち)というのは、注によれば、中国渡来のばくちの一種だそうだ。転じて、間抜け、抜けた奴などの意味に使われるという。「逆捩を食わす」とか「義理がわるい」とか、講談を聞いているような感じ。

当時の風物の描写はいろいろあって面白いが、ここでは物価に注目。松山では皆、城下から汽車に乗って10分ほどの住田という町にある温泉に行く。銭湯代わりである。当時の汽車には上等と下等があり、上等は五銭で、下等が三銭ということがわかる。住田には料理屋も遊郭もあると書かれている。遊郭の入り口にある団子屋で二皿の団子を食べて七銭だったという描写もある。小説の最後に、松山から東京に戻って、ある人の周旋で街鉄の技手になったら、月給は二十五円で家賃は六円だったとある。金銭のことだけでなく、建物の描写、まちの様子や、人の身なりなど、端的に、豊かな語彙で表現されているので、時代を想像しやすく、読む楽しさが倍増する。

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