著者(た行)チョン・セラン

2020年4月18日 (土)

『フィフティ・ピープル』 チョン・セラン(斎藤真理子訳)、亜紀書房 2018年

読者としての感想を一言で言えば、「面白かった」!!。

再読したのだが、読み終えた途端、もう一回読んでもいいなぁと頁を繰ってしまうような連作短編集。テレビで連続ドラマを見たあとに、「ああ、終わっちゃった」と名残惜しさを覚え、「あのシーン」「このシーン」と思い出すのと似たような気持ちになった。また、韓国小説を読んだことのない人の韓国小説デビュー作としてもイチオシ。「何か面白い本、ない?」と読書習慣のない人に言われたときにも、本好きの人にも安心してオススメできますよ。是非是非。

どんな作品かということを丁寧に説明しようと思うと、「訳者あとがき」がこれ以上ないほどの充実ぶりなので、正直なところ、「訳者あとがきを読んでください」と言ったほうがいいくらい。が、それでは身も蓋もないので、私なりの感想を以下ランダムに書いてみたいと思う。

帯の惹句をご紹介。
「痛くて、おかしくて、悲しくて、愛しい。50人のドラマが、あやとりのように絡まり合う。韓国文学をリードする若手作家による、めくるめく連絡短編小説集。」
異議なし! とはいえ、これでも手がかりが少ないですね。解説を試みます。

「痛い」――ある地方都市の病院とその周辺を舞台としているため、登場人物が病院関係者、あるいは入院患者であることも多く、大怪我や殺傷事件の被害者、病人なども多く登場するし、死にまつわるエピソードが多いということで、文字通りの意味の「痛い」シーンが多い。また、社会情勢、家庭環境が原因の心を痛めずにいられない現実が描かれているという意味での「痛い」もあり。

「おかしい」――人物設定・人物造形、会話のユーモアが秀逸。人生のペーソスと裏腹というか紙一重と言うべきか、そういうある種の「おかしさ」をたたえた小説でもあります。

「悲しい」――悲しみは至るところに散りばめられています。「描かれているのは悲しみばかり」と言ってもいいかもしれません。

「愛しい」――読む人それぞれに感じていただければ。

「50人のドラマ」――個人名のついた49編(うち、3名の連名が1編、これで51人)+「そして、みんなが」の最終編の全部で50編で成り立つ一冊です。

韓国の人名は日本人にはピンと来ないので、各編の冒頭にそれぞれの主人公の顔のイラストが。これは訳者の提案だというが、とても助けになる。ソフトカバーのカバーにもそのイラストが可愛らしく並べ配されている。このイラストのせいもあると思うが、読んでいる最中ずっと『プチ・ニコラ』を思い出していた。日本とは違う世界の、ちょっとシュールだったり、不可思議な価値観や感覚が支配していて、安っぽい情緒に流されず、厳しめな出来事の多い日常が繰り広げられる、という点が似ている気がした。そして知らず知らずのうちに引き込まれてしまう。

ドキドキしたり、ハラハラしたり、ギョッとしたり、小さな拒否感を覚えたりしながら、どうしても目が離せず、人ごとじゃないという感覚で読み続けることになる。一篇が10ページ前後と短いので、思い入れをしても、途中ではしごをはずされるというか、深入りできないまま、もう少しこの主人公のことが知りたいと思っているところで「続く」となってしまう連続ドラマのようだ。でも、これは連続ドラマではないので、主人公のその後が気になったまま、また別の主人公の話にお付き合いすることになる。そして、また新たな主人公(のいずれか)に気持ちを重ね合わせて読んでいき……。その繰り返し。ぐいぐいと読ませる吸引力、磁力のある一冊である。

しかも、51人のメインの登場人物が微妙に時々交錯するのである。この仕掛けと按配が心憎い。「ドラマ」と称される所以である。覚えのある人物が違う文脈でさりげなく登場すると、「あっ、しまった。さっきちゃんと読んでいなかった」「この人のこと私はしっかり把握していなかった」「軽く読み流しちゃってた。ごめん」みたいな気持ちになって、慌てて前のほうを読み返すなんていうこともしばしば。その時点で作者の術中に見事にはまっている。何故そんな気持ちにならなきゃならないのかわからないけど、一人ひとりの登場人物をリアルに感じているからなんだろう。だから脇役を見落としていたとわかると、「大変大変、大事なところを見落としていた」となるのだ。

考えてみれば、隣の国なのに韓国のことってほとんど知らない。帰化して日本人として暮らしている人とは知らないうちに知り合っていたし、韓国に留学した友達を頼ってソウルに遊びに行ったこともあるけれど、日常についてはまったく知らないと言っていい。第一名前も覚えられないし、ハングル文字も読めないし、知っている言葉は2つ3つ程度である。知っている有名人も少ない。韓流ドラマも見ていないからなぁ。とにかく何にも知らない。そういう国の話なのに、まるで月9を見ているときのように「〇〇さん」の気持ちに同化したり、「△△さんみたいなこういう人、いるいる。困っちゃうのよね~」なんて自分の身に引きつけて感じたりする。小説っていうのはすごいなぁと思う。

これはひとえに、作者が登場人物を観念のみで作り上げていないからだろうと思う。今を生きる生身の韓国の庶民の状況をきちんと把握し、それを過不足なく書き込んでいるからこそ、「登場人物がここでこういう気持ちになり、こういう台詞をはき、こういう行動をとる」という一つひとつに違和感を覚えずに読めるのだと思う。日本人と比べて、好悪の感情がはっきりしていることや、男性は女性に比べてやや優柔不断で頼りなく描かれていること、世代や親の職業その他の環境要因に左右される度合いが日本よりも大きいこと、映画館ではポップコーンだけでなくするめを売っているんだなとか、日常に突然降って湧く大きな事件がこれでもかと書き込まれているけれど、本当にこんなにいろいろな事件が起きているのかな、などさまざまな感想を持ちながら、いつの間にか登場人物を応援している。10ページ前後の分量で。

異文化を理解するというのは、あるいは、理解するまではいかずとも、少しずつ慣れていくっていうのは、こういう小さなディテールの積み重ねのプロセスがあって初めて可能になるのではないかと思う。

ありがたいことに、韓国社会独特の習慣や社会のルールなどについて、本文に簡潔な注を入れてくれている。例えば「ワカメスープを飲ませた」とあれば、ワカメスープはどういうときにどういう意味で飲まれるものなのか、という注が入っている。また、医師養成課程についての詳細な説明が巻末にある。今は、何度も何度も友達の紹介で異性に会うソゲッティングをしなければならない風潮があるとか、住宅事情とか、結婚式、お葬式の習慣とか、韓国の人には当たり前でも日本人にはわからない社会習慣や今の流行、価値観などにも注釈を付してくれている。本文中に挿入された二行分かち書きの注を最初に見たときパッと思い出したのが、小学生の頃に読んだ少年少女世界文学全集。「これは日本とは違うところのお話なんだ」とちょっと興奮したことを思い出す。海外文学を読むってこういうことだったなぁ。実際のところ、当時は注を読んでもよくわからないことが多く、想像力の限界に落胆したことも多かったのだけど。

本書の冒頭には苛酷で苛烈な医療現場を描いた作品が幾つかあって、こういう場面や出来事が続くのかと一瞬ひるむのだが、途中には、ほのぼのと心温まる人と人の心の交流や、さまざまな試練をかいくぐってでも明日に向かって力強く歩もうとする主人公や、へまばかりやっているけれど、この人はいずれしあわせになるだろうと予感させるような話も出てくる。大きな事件もなく、人間関係の継続を望むのか望まないのか、微妙な駆け引き自体がテーマの話もある。こんな感じのところが好き、というところを具体的に引用してみます。(ネタバレです)

「オ・ジョンビン」という作品。オ・ジョンビンは小学生の男の子。パパが交通事故に遭って植物状態になってしまっている状況。実は、ジョンビンのママは前のほうの「チャン・ユラ」という作品で、夫のホニョンが雨道でスリップしてセンターラインを越えてきた25トントラックに襲いかかられて寝たきりになった、という話の主人公として登場している。ジョンビンは、そこでは母親から見た6歳の息子という存在で描かれていた。

今度は「オ・ジョンビン」であるから、彼が主人公。放課後、おばあちゃんが迎えに来るまで、鉄棒のところで一緒に待ってくれている同級生のダウンに「ママは僕のこと、あんまり好きじゃないみたい」と話すところから始まる。ダウンは同級生たちからは「いつも同じ服を着ている子」として軽んじられているのだが、ジョンビンにとっては、ダウンは優しくて大切な友達だ。そのダウン自身にも心配事はある。実は未熟児で生まれた妹は病院にいるし、パパはどうやら家にはいないらしい。でも、悩みがいっぱいあるはずのダウンはいつもにこにこ笑っている。そんなダウンをジョンビンはうらやましく思っている。歩くのが遅いから迎えに来るのも遅いおばあちゃんがようやくやって来ると、ダウンとは手を振って別れる。

「あの子は誰も迎えに来ないの?」
おばあちゃんが尋ねる。
「うん、ダウンちは……ちょっと複雑なんだ」
「あらあら、複雑なんて言葉使うとは、大きくなったねえ」

学校から帰るとジョンビンは、通いたくないお絵かき教室に行き、「いちばん仲のいい友達を描いてみよう」というテーマを与えられてダウンを描く。おばあちゃんの発案で、その絵を額に入れ、裏に名前と電話番号を書き、ジョンビンにプレゼントしたところ、ダウンは期待以上に喜んでくれる。この短編のエンディングはこうだ。

「何回目の「うわー」を数えながら、ジョンビンも嬉しくなった。プレゼントをあげることが恥ずかしくなくてよかった。
「トッポッキ、食べる? お礼に僕がおごるよ」
「ううん、いいよ。おばあちゃんに食べさせてもらおう。うちのおばあちゃん、何か買ってくれるの好きだから」
「お前んとこのおばあちゃん、好きだな」
「うん、おばあちゃん、いいよ」
そうして二人は鉄棒にぶら下がっておばあちゃんを待った。ダウンが歌詞の間違っている歌を歌いはじめ、二人はそれに合わせて脚を揺らした。おばあちゃんが来るのは遅くて、おやつを食べたくなったけど、もうちょっとぶら下がっててもいいなと思った。

泣ける……。
「うん、おばあちゃん、いいよ」
がいい。
語彙のまだ少ない年齢の子ども同士が、少ないことばに気持ちを込めて、そして相手への思いやりを持ちながらコミュニケーションをしていて、それが成り立っているところがグッとくる。大切な人にどうしても伝えたい、つながりたいという気持ちがあれば、おばあちゃんを含めて、年齢や社会的立場を超えた真のコミュニケーションが成り立つこと、安心できる場が形成されること。そのことがこの3語であらわされていて見事だと思う。

これが「オ・ジョンビン」。
そして、忘れた頃に「チョン・ダウン」。つらい現実が容赦なくダウンの身に襲いかかる。しかし、心のつながりが示す一条の光、ジョンビンの描いた絵もここ登場。ジョンビンのママの違う横顔も見られて――。

同居している姉妹の話が描かれる「チョン・ジソン」も好きなストーリー。寄り添い、かばい合う感じがどこかせつない。

一つひとつの話、一人ひとりに心を奪われながら読み進むうちに、自分がこの街のいろいろな人をよく知っているような気分になってくる。知り合いが増えてきて、だんだんと「そろそろあの人が出てくるんじゃないか」とか「トカゲ(特に意味はないけれど、皆を結ぶ一つのキャラクター、シンボルのようなものとして時々ランダムにあらわれる)が、ほら、出てきた」とか、「映画館はどうなる?」「ベーグルショプはどうなる?」という調子で、全体を俯瞰する視線も醸成されてくる。そして、「韓国の工事現場は本当に危ない」とか、「道路事情も住宅事情も改善の余地あり」とか、「職場での差別、人権軽視の状況は言語道断、まったく腹が立つ」とか、「親と子の職業意識、倫理観は相容れないことが多いものだけど、儒教をもう少し良いほうに活かせないものか」とか、「人生の節目の決断の難しさにはくじけそうになるものよね」とか、「ひどい家族に生まれ落ちてしまったら、それは自分のせいじゃない。逃れるしかないだろう」とか、主人公とともになんとか解決策を探そうと思うし、主人公をかばいたくなる気持ちにもなってくる。なんとか幸せになってほしいと願ってしまう。ひとごととは思えなくなってくる。気づけば心は既に易々と国境を越えているのである。

本書全体の舞台は、光と影、格差や差別が厳然と存在する生きづらく、閉じられた小さな社会である。血縁関係における不条理や愛憎がゆえの圧迫感や居場所の無さなど、出口がないように思える日々。そんななかで、近くにいる人、偶然出会う人同士の触れ合いやつながりがほんの少し運命を変える要因になることがある。必ずしも深い愛情があるわけでなく、ちょっと気にかけているというだけであっても、それがふとした拍子に思いもよらぬ結果を引き起こすことになったりする。

大きな解決には結び付かなくとも、人はどこかで交差し、何かの偶然で言葉を交わし、助け合い、支え合うことがある。どの人も小さな存在だけれど、そういう人たちが無数に集まっているのが社会なのだ。今与えられている居場所になじめず、息苦しさや恐怖を感じている主人公たち。さまざまなひずみがあらわれる家族や職場。ひずみは弱いところに集中する。本人のせいではなく現代韓国の問題である。しかし悩みや痛み、苦しみを覚えるのは常に個人である。

訳者あとがきに、「渋谷のスクランブル交差点をビルの上から眺めているとき、大勢の人々が一斉に行き交うようすをとても美しいと感じ、「私が小説に描きたかったのはあれだ」「お互いがお互いの人生と交錯している様子を描きたい」と思ったそうである。」とある。俯瞰してみれば、一日いちにちを悩み傷つきながら生きる51人が、ほら、今日も、こうして偶然に交錯しているでしょう。見えない力で人と人は出会い、影響し合って生きているのだ。作者はそんな景色をこの一冊で見せてくれた。

思いつくままに書いてみたけれど、読み物として抜群の出来だと思う。一つの話が10ページ前後でコンパクトに完結する。絶妙な台詞や気持ちの描写で人と人の間に広がる溝や共感をあらわすのが巧みである。しかもバラエティに富んでいるため、飽きずにぐいぐい読み進められる。途中でやめてもわからなくなることがない。読書を楽しみたいと思うすべての人に安心してお勧めできる一冊だ。あ、そうそう、『プチ・ニコラ』とともに安野光雅の絵本も思い出していた。巡礼者である主人公の姿や、有名な童話やキリスト教のエピソード、隠し絵などを探すのを楽しみながら何度も眺めた「旅の絵本」。「あっ、ここにこんな仕掛けが!」と見つけたときは、作者と直接やりとりしている気持ちになった。

そして最終話。そうか、映画館ね。病院ではなく、こちらがスクランブル交差点だったのか。

2回読み終えた今も、「この人はどういう人だっけ?」とまた頁を繰って確かめたくなっている。それにしても人名は覚えられないなぁ。作者のチョン・セランという名前はようやく記憶に定着した(たぶん)と思うのだけれど(笑)。

最後になったけど、斎藤真理子さんの翻訳のすばらしさは言うに及ばず。

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