2017年3月26日 (日曜日)

3月25日(土)

・3:20就寝、6:10起床。夫は仕事なので、今朝は私1人で鍼治療。7:10にに車で家を出る。道路が空いていて、7:35分には目的地近くに到着。コンビニの駐車場でお茶を飲んで時間を潰す。8:00~9:15頃まで腰と顔の鍼治療。腰は刺されるとまだかなりの痛みが沈んでいるのがわかる。顔も今日は痛い。帰り道も空いていて、10:00前帰宅。

・明日は天気が崩れるというので洗濯2回。掃除機をかけ、部屋の片づけ少々。11:30過ぎに布団に入り、寝る。

・14:30過ぎまで眠る。合計で6時間弱か。まだ眠いけど。まもなく夫が帰宅。

・15:00~17:00仕事。

・義母から携帯。毎日の記録を書いているメモ帳が見つからない。先日、部屋を移動した際、私が見たかどうか、という電話だった。見ていないと言う。義母は探し物が苦手なので、あまり探し続けると疲れるから、次に私が行ったときに探してみるからね、と。そのほか、メリハリなく日々の報告が10分ほど続く。なんとなく気兼ねなく話がしたいのだろう。外づらを保つのは大変なのだ。

・今日は義母のところはパスと思っていたが、様子を見てあげたほうがよさそうだし、洗濯物を持ち帰り、次の入浴準備をしておくのもいいか、と思い、17:00過ぎに車で出る。17:20頃、3階の老健に。義母はちょうど食堂に向けて車椅子でやってくるところだった。「おかあさん、メモ帳、見つかった?」「見つからない」。冴えない表情である。「それじゃ、私が探しておくね」と言って、義母はそのまま食堂に。私は一番奥の義母の部屋に。

・メモ帳は結局、義母が電話で「ここに置いた」と言っていた枕元のCDウォークマンや携帯などを入れた細長い箱の上からすべり落ちて、ベッドマットと手すりの間に挟まっていた。義母の記憶は正しかったわけだ。持参した着替えやタオルなどを引き出しにしまい、次に着る服を選び、ソックス、下着、バスタオル2枚、浴用タオルを袋に入れてわかるように置く。洗濯物置き場から昨日着替えた服、タオル等の袋を引き取り、食堂に。義母の食事がちょうど運ばれてきたところだった。「おかあさん、あったよ~」とメモ帳とボールペンを渡す。「あら、よかった。どこにあった?」 見つけた場所を伝え、「おかあさんの記憶は正しかったわ。上からすべり落ちて、マットとベッドの手すりの間にはさまっていた。見つかってよかったね~」「よかった。やっぱりとみきちさんだね」と義母は一安心。「おかあさん、いろいろ気を使い過ぎじゃないの? ちょっと疲れている感じよ。もう少しのんびり、あまりいろいろ気にしないことよ。しっかりね。また来るからね」と言って辞去。

・17:45頃、2階の母のところに。テレビは大相撲を映しているが、母は横向きになって寝ている。起こすと、「ああ、とみきちちゃん、のどがカラカラで、痰がつまっている」と。体を起こして、のどを湿らせましょうと、テレビを消し、からだを起こす。一呼吸ごとに声を出してうなる感じで、母は苦しそうである。肺炎が良くなっていると言われても、これじゃあねえ、と思う。からだの位置の調節を自力ではまったくできず、ただただ苦しそうに横たわっているだけ。おそらく一日中、覚醒していないのだろうと思われる。まとまった話ができなくなっている。栄養がとれていないので、体力が落ちているのは確実である。かといって、のどや鼻から栄養をとる処置はしないと決めている。

・起こして、口の中をまず湿らせてから、水やお茶を少しずつ飲ませてみる。飲むと「疲れる」と言うが、「もう少し飲む」と言う。しかし、からだを起こしている姿勢が苦しいと言う。食事の前に入れ歯をはめようとするが、うまく入らない。一昨日まではうまく入っていたのに、入れても落ちてしまう。自分で入れ歯を持ってはめる力がない。看護師さんを呼んで入れてもらう。なんとか入るがすぐにずれてしまう感じ。歯茎が痩せて合わなくなってきていると看護師さんは言うが、これまでもカチカチずれていたけれど、それなりにおさめる力があった。入れ歯安定剤を使ったほうがいいのかどうか。

・食事はおかずも主食もデザートも全部ゼリー食。通常の1/3だが、その1/3も食べられない。美味しくないし、のどを通す力がないし。薬は、ついに眠剤が出ている。動脈硬化対応の薬はおそらく朝処方されており、夜は、最初はマグミットのみだった。それからアローゼンが追加されて数日経つ。そして、昨日は夕飯後に行ったのでどうだったかわからないが、今夜はロゼレム錠が処方されていた。これが溶けにくいので、口の中にずっと残ってしまう。しかし、今日はこの薬がまだ口の中に残っているうちに、母は眠ってしまった。息苦しさに抗うことで体力を消耗するのかと思われる。

・同室のSさんは「昼間もよく眠っていらっしゃいます」と言われる。「うなっているのがうるさくないですか。申し訳ありません」と言うと、「いえいえ、そんなことはないです。眠れるのがうらやましいです」と。Sさんはなかなか眠れなくて、入院前は眠剤も飲んでいたのだそうだ。義母同様、薬を山ほど飲まないと安心できないタイプだったらしい。今回は転んで怪我をしたことがきっかけで入院されたようだが、実はあれこれと病気があるようなことが、ご家族のお話から聞こえてきた。この際、この病院で一元管理していただこうということになったらしい。最初の数日あったせん妄もまったくなくなったようで、とても穏やかにお話しされる。話していると、若干認知症がある印象はあるが。

・19:30過ぎに見回りに来られた夜勤の看護師さんが、母に関する記録を見て、お小水が出ていないことを心配してくださる。記入漏れかもしれないが、としつつ、母にお茶を飲ませてくださる。母は随分従順に言うことを聞いて、「もっと飲んだほうがいい?」などと言って、頑張って飲んでいる。家族と看護師を頭の中で明確に仕分けしているのがわかる。看護師さんに対しては、優しい人なら安心して言うことを聞くのだが、怖い人はひたすら怖いようで逆らう気力も沸いてこないようだ。今日は体力の限界のようなので、19:50、看護師さんが上手に態勢を整えてくださったのを機に、「明日は午後来るからね」と言って、耳にラジオのイヤホンを入れ、Sさんにご挨拶して病室をあとにした。

・20:10頃帰宅。簡単夕飯をつくり、夫と食事。21:00~12:00頃までのそのそと仕事。

・母が体力、気力を取り戻すには何が必要なのだろうか。病院にいる限り、気力が復活、ということはあまり期待できない。しかし、介護認定が降りるまでまだ相当日にちがかかるだろう。病院に入って一安心と思ったが、ここまでガリガリに痩せて、気力も落ちると、なかなか大変。もともと食べることに問題がある人だから。食べられること、歩けることがどれだけ大切なことか、と思う。食欲も体力も人一倍ある義母でも、食べられない状態になったときの弱々しさは、母と同じ。ただ、体重も体力も食べる力も母の1.5倍はある人なので、復活するパワーもあるのである。やはり少しずつ食べ物を運んで、瞬間でも食べる喜びを思い出させるようにするのが一番かな。それにはまず内科医のお話を聞いてから。

・久しぶりに、佐藤尚之のブログを見たら、映画の紹介。「湯を沸かすほどの熱い愛」。うまいこと書くなぁ。心わしづかみされることが多いさとなおの文章。
http://www.satonao.com/archives/2017/03/post_3593.html

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2017年3月24日 (金曜日)

3月24日(金)

・4:45就寝、7:30に、珍しいことにふくらはぎの脇(前面にやや近い部分)がこむらがえりになりそうになり、痛みで目が覚める。脱水症状だ。水を飲み、ツムラの68番、芍薬甘草湯を飲み、再び布団に入る。11:00くらいまで眠るつもりだったが、なかなか起きられず、12:00過ぎにようやく。早朝鍼通いが始まると、睡眠時間が3時間を切る日が出てきて、いくら昼寝をするといっても、それが週に何日かあるとなるとやはり厳しい。

・食事。大洗濯。義母と母の着替えを持ち帰るので(特に義母は週にバスタオル4枚)、しょっちゅう大洗濯をしている感じである。母の部屋も片づけたり、洗濯をしたりしたいのだが、なかなかできない。生ゴミその他の処理はしたのだが、それ以上のことができていない。

・14:00から母の認定調査。調査員さん、慣れた方で、母がちょうど息苦しいと言っていたり、口がぱさぱさと言って、私が水を飲ませたりしているのをご覧になって、状況は把握してくださる。母の体がどこまで動くかということだけはやらなければいけないので、手を伸ばせるかとか、膝を立てられるかとか、そんなことを。寝返りもできない、食事もできない、歯磨きも何もかもできない、全介助状態であることは明白。認知については、短期記憶が著しく衰えていることはお伝えした。しかし、生年月日、季節などは大丈夫。今居るところの認識はできていない(短期記憶だから)、気持ちの表現、質問の意味の理解などは問題ない、という感じのやりとりだった。

・入院前の状態の説明もして、体の具合は非常に悪いなか、自己コントロールができるので要介護1であったが、できないことだらけであったことを説明。退院しても何かができるようになるとは思えないが、できるだけ早く病院を出て、介護を手厚くして暮らせるようにしたい、という希望をお伝えした。「なるべく早く出すようにします」とおっしゃって帰られた。

・その後、脳外科の先生から母の状態の説明を伺う。母の脳梗塞の起きたのは、心臓からいちばん遠い場所。そこに梗塞が起きる人は、首の頸動脈が細いケースが多いので、首のMRIをとったところ、左右とも(特に右)細くなっている。動脈硬化がこれ以上進まないように、現在はクラビットを内服している。この服用は続けることになるとのこと。

・肺炎についてはだいぶ改善しているとのご所見。私が伺いたかったのは、間質性肺炎について。入院当日の内科医のお話では、自己免疫によるもの、埃やカビ、羽毛布団などによる過敏性、あるいはアレルギー性のものなどがあるとのお話だった。それ以来考えていたのだが、母の可能性は、羽毛布団、加湿器、埃、自己免疫。脳外科医の先生はその点についてのご所見はなく、電子カルテを確認してくださったところ、自己免疫についての記録がないという話。肺炎については改めて内科医の先生のお話を伺うことにする。もし羽毛布団が原因だとしたら、また同じ状況の中に身を置くことになるわけで、そこは改善しなければいけない。

・母の脳梗塞の場合、病院にいなければ死に至る可能性が高いという状態ではなく(もちろん、いつ何が起きるかわからないのは当然だが)、命にかかわる状態だったのは肺炎のほうだったので、肺炎がおさまれば早めに退院するのがいいのではないか、とのお話だった。本人は苦しい、寂しいと言っているし、入院が長引くのはいいことではない、と。兄、兄嫁、夫にメールで報告。

・母の病室に。ラジオのイヤホンを耳に入れたまま眠っているので、「おかあさんのところに行ってきて戻るからね」と。3階の老健フロアに。ちょうどおやつの時間で、食堂に皆さん集まっているところだった。義母に「どう? 眠れた?」と聞いたら、「よく眠れました。本当にぐっすり眠れたわ」と。「よかったね~。どうかなと思って様子を見に来たのよ」と。今日は昼食後すぐにリハビリをして、そのあとお風呂だったのだそうだ。それでもちゃんと食堂に来ているのだから、休まったのだろう。部屋交換、今のところ成功である。「それじゃまた来るからね。何かあったら電話してね」と言う。

・ステーションにチーフのOさんがいらしたので、声をかけて、「よく眠れたと言っています。ありがとうございました」とお礼を申し上げたら、「いや、本当によかったです」と言ってくださり、お互いにひと安心。義弟たちとのラインに、昨日に続き報告。

・2階の母のフロアに戻ったところ、横から呼び止められた。義母の老健の相談員Mさん。にこにこされている。私が「あ、今、様子を見に行ったら、よく眠れたと言っていました。いろいろお手数をおかけしましたが、よかったです。ありがとうございました」と申し上げたら、Mさんも「私もどうでしたか? と伺ったら、もっと早くかわればよかったとおっしゃっていました」と。しかし、母が替わりたくないのに替わるよりも、皆さんがさんざん勧めてくださるなか、本人も納得して替わった、というプロセスが大事で、ありがたみをより大きく感じる結果になったのではないかと思うとお答えした。Mさんは気持ちを共有してくださる感じが、仕事っぽくなく、温かみがある方なのである。

・母のベッドに。寝ている。一度起こしたが、また目を閉じて寝てしまったので、15分ほどいてから、「夜、寝る前に来るからね」と言って辞去。

・15:30帰宅。特養見学の日を予約。来週月曜日に。仕事。一件完成してメール納品。年度内の約束の件。ああ、一つ終わった~。あと2件。

・19:00にまた車で家を出て、母の面会。夕飯時からいると2時間になるので、今日は1時間だけ。お隣のベッドの方はずいぶんすっきりした柔和な表情になって、私とも普通にお話しするようになってきた。母は私がそちらの方とお話ししていると、「とみきちちゃん」と呼ぶ。その方の声が低く、母の耳にはうまく届かないので、私が取られてしまう感じがするのである。姿勢によってはやはり息苦しさを訴える。首がおさまらない、頭が傾いてしまう、胸が苦しい、腕が重たい、腰がねじれているなどなど。この状態ではまだ帰れないなぁ。

・しかし、医師の所見を話し、「よくなっているんだって」と。でも、今のままではあそこにいきなり帰れないから、準備が必要だし、今日の認定調査の結果、新しい介護度が決まらないと、ベッドのレンタルやヘルパーさんたちに何もかも手伝っていただく体制がつくれない。ママはここでもうちょっと体力をつけないとね、という感じで話をしたら、真剣な表情で聞いていた。「帰りたい。ピアノが弾きたい」などと言うが、「帰れるかなあ」とも言う。もう少し食べないとね~。内科医に聞いて、家から食べ物を持ってきていいことになったら、少しずつ食べられるものを増やしていけたらと思う。隣のベッドの方も、食べ物の制限がないなら、一緒に食べていただければいいし。やはり人間、食べないと元気が出ません。

・ラジオの使い方は少し覚えてきたようだ。ラジオが見えないと、どうやって消すのかと聞くのだが、ラジオを見せるとスイッチの位置などを思い出す様子。「手に力が入らないからできない」などと言うが、「できる、できる。やってみて」とやらせる。夜勤の若い女性Tさん。もう何度会ったかわからないほどで、親しくなってきた。「いつも助かります」と。私は私で、忙しさ、夜勤の大変さをねぎらいつつ、「よろしくお願いします」と。

・20:10頃辞去。帰宅後夕飯の支度。21:00~22:45まで仕事。

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3月23日(木)

・3:00過ぎ就寝、6:00過ぎ起床。簡単朝食をとり、夫と共に7:00過ぎに車で家を出る。昨日に続き鍼治療。夫の坐骨神経痛はかなり良くなってきているが、私の腰痛より実は重篤。私の腰痛は腰だけで済んでいるので、しっかり治すように、とR先生。腰に続いて顔も治療していただく。スーパーで買い物をして10:00過ぎに帰宅。

・お腹が空いたのでブランチ。それから昼寝をしようとするも、義母から携帯に連絡あり。本日、義母は老健で部屋を替えていただくことになっており、その移動を私が対応するものと思い込んで、「何時に来ますか」という電話だった。物の細かい配置は私があとで対応するけれど、基本は老健のスタッフさんがやってくれるのだ、ということを説明しておいたのだが、思い込んで先方にもそう話してある可能性大。いつもお世話になっている相談員さんに電話をして、私の認識が正しいことを確認。改めて対応をお願いした。その際、特養申し込みのことなども話す。

・12:30~13:30、一眠り。14:00~15:30仕事。

・ショートステイでお世話になっていた特養のショートステイ部門に電話。義母のことをよく理解して対応してくださっていた、責任者のOさん(男性)がちょうど電話に出られたので、近況を報告。リハビリを頑張っていることや、老健に馴染んで生活していることなどを話す
と、「いやー、よかったー」ととても喜んでくださる。一応立ち上がれるようになっていること、頭の状態もそれほど悪くなっていないことを話す。そして、「どう? 帰れそう?」と聞かれ、次のように答えた。正直なところ我々夫婦が全面的に対応できれば、要介護4でも暮らせないことはないだろうけれど、私の母が入院したり、今後も様々なことがあると考えると、周囲の状況の影響を受けず規則正しく暮らせる施設の方が義母の日々を守ることになるだろうと考えていると。そして、義母が少しでも馴染みがあることから、そちらの特養に申し込みをしようと思うと話す。ショートステイと特養はまったく別のスペースで、日常的に交わることはなく、職員さんも別々なのだが。Oさんからは、見学は早めに予定を立てて予約をした方がいいというアドバイスをいただく。担当者のお名前も教えてくださった。見学に行く時は挨拶に寄るとお伝えする。

・16:30に家を出て、義母と母のいる病院に。まず、1階のリハビリ室に顔を出し、母の担当のI先生にご挨拶し、明日14:00から認定調査があること、脳外科の医師の所見を伺う予定であることもお伝えする。母の様子を聞く。こちらから考えていることを伝える。

・続いて3階の老健フロアに。今度の部屋は食堂から一番離れた角部屋で、同じ4人部屋でも大変広々としている。窓際のベッドを確保していただいており、遠く景色が見える。これまでの部屋は建物の中庭に面していたので、眺めはまったくなかったのだ。大変明るい雰囲気で、これなら良かったと思えた。義母は疲れてベッドの上に伸びており、部屋の移動をしてくださった女性ヘルパーのOさんが、明日の入浴に備えて着替えやタオルを準備しようとしているところだった。「私がいたします」と申し上げ、移動の諸々のお礼を申し上げる。

・収納力のたっぷりあるタンスに洋服を一通り詰めて下さっていたので、中身を確認する。
テレビがつくかどうか確認し、イヤホンを差し込み音が聞こえる稼動か確認する。CDウォークマンのアダプターをつなぎ、携帯電話のアダプターをつなぎ、ベッドの柵に S 字フックをたくさん引っ掛けて、手の届く範囲の荷物を整理する。

・続いて男性ヘルパーのNさんがやってこられて、足元のセンサーマットの設置についての相談。義母は、大腿骨骨折手術の後で脱臼等の危険性を考えてセンサーマットを使用していると認識されており、義母が夕食後に車椅子で部屋に戻った後、着替えのケアが来るまできちんと待つことができていることなどから、マットの必要性が低いのではないかとのご意見だった。私は次のように説明した。本人が落ち着いており、かつ、周囲も落ち着いているときは、ルールを守るつもりがあって、実際に守ることができる。問題は、周囲に気を使うあまりに判断力に問題が生じることである。同室の方やヘルパーさんが大変な時ほど、自分が手をかけてはいけないと考え、また、自分も何らかの貢献ができると考えて、突発行動を起こしてしまう、という説明をする。自宅でも、私がのんびりしている時は何事も起こらず、私が忙しいとき、疲れているとき、外出するときなどに、普段守れていることが守れなくなる。「これは特別」と勝手に判断して行動する。それが問題なのだ、と説明する。そのうえで、確かに終日センサーが必要だとは思わないが、人手のない時ほど危険度が上がるのだ、という話は理解していただけたようだ。また、周囲への気遣いから行動するタイプであることも納得されたようだった。

・センサーがストレスであることは確かである。しかし、義母の安全を守らねばならない。どこに線引きをするのが適切なのか、悩ましいところである。「ご判断はお任せします。一応今お話ししたような傾向があったことを踏まえていただいて、段階的に時間を区切ってセンサー無しの時間を増やしていく、ということでも結構です」と申し上げた。

・17:30を過ぎたので、車椅子を押して食堂に。食堂までの距離の長さに義母は驚いていた
。テーブルの方々にいつものようにご挨拶をして、17:40、今度は2階の母のもとに。母はちょうど息苦しさを訴えていたところだった。私が、母の体位を変えて対応するがなかなかうまくいかず。点滴も酸素もしていないので、どうかすると息苦しさが復活しているようだ。
今朝レントゲンを撮ったのか、リハビリをしたのか、訪問リハビリの M 先生がのぞきに来てくださったのか、質問しても何一つ覚えていない。昨日買って渡したラジオも、使い方を忘れているどころか、昨日聞いていたことも忘れてしまっていた。また一から使い方を説明する。

・食事が運ばれてきて、いつも通り食べさせようとするが、息苦しくない姿勢を作ることができない。一旦諦めてベッドの頭を20度程度まで下げて、看護師さんの助けを待つことにした。自称食事のプロの明るくテキパキとしたS看護師さんが、手際よく姿勢を整え、食べさせてくださった。しかし、3分の1も食べられない程度である。すべてゼリー食。ほんの一口ずつ口に入れても、飲み込むときに力が必要で、「疲れる」と言う。

・夜勤の補助の男性の Y さん、体が大きく声が優しい。母は「苦しいから助けて」と言ってYさんにすがる。優しく「また来ます」と言ってくださるが、母は「本当?」と言って手を離さない。夜勤の方が優しいときは、私も安心である。

・ラジオにスイッチとボリュームを示す文字と矢印赤サインペンで書いた紙を貼り、母に何度も練習をさせる。その時は上手にできるが、3分後には忘れてしまって、「消すときはどうするの?」 それでもラジオをずっと聞いていられれば、だいぶ気が紛れることだろう。テレビは1000円でテレビカードを買うのだが、からだを動かせず、自分で重たいリモコンの操作がうまくできないので、あっという間にカードがなくなってしまうのである。入院してからもう3枚(30数時間)を見てしまったことになる。ラジオの操作に慣れてくれるといいのだが。

・同室のもう一人の方は、少し落ち着いてこられた。やみくもに起き上がろうとしたり、点滴の針を抜いて血を流したり、ということはなくなっていて、拘束も昼間はされていない。たぶん夜は一応拘束しているのだろうな。母の肩を少し揉んだりして、20:00に辞去した。本日は約4時間の滞在であった。

・帰宅後夕飯の準備をし、仕事。仕事は山積みである。捗ってはいる。

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2017年3月23日 (木曜日)

近況。

・毎日の記録、下書きはあるもののアップできていないので、近況の概略を。

・連休中、みちくさ市に参加、父のお墓参りも夫と二人で。

・母、明日をも知れぬという状態からは脱却。いまだ、自分で食べず、寝返り打てず、短期記憶の衰え激しく。しかし、わがままが出てきたので、少し元気が出てきたということか。舌苔解消。手にしびれあるらしい。会話は成立。状況把握に難あり。終日だった点滴、酸素の量が減ってきた様子(推測)。水曜、木曜、続けてレントゲンらしい。金曜は認定調査。医師の説明をそろそろ聞きたいところ。

・義母、同室に入られた新しい方の頻回のトイレ、それに影響を受けた認知症状の方の独り言に眠れない日々。ついに部屋を替わることに。毎日、母の夕飯介助で2時間費やしているので、義母にゆとりをもって対応できない。

・仕事順調。楽しいし、親たちのために費やす時間が減っているので、その分仕事が進むのである。やはり施設や病院に入っていてもらえると、対応する時間が限定されるので、一日の時間の使い方がまったく違ってくる。

・鍼治療再開。水曜早朝から夫とともに。だいぶ疲れがあるが、座骨神経痛になってしまった夫よりは軽症だから、続けて治療して早く治そう、とR先生。火曜日に久しぶりに電話したら、「おう、とみきちちゃん! 今どこ? ロンドン?」って(笑)。ご無沙汰してしまったので。一日千秋の思いでいてくださったと(笑)。リップサービス健在。

・どうしても運動不足になるので、自転車を買って、病院面会やフィットネスにはなるべく自転車で行くことにしよう、と思う。が、買いに行く時間が……。

・確定申告、まだ手つかず。でも、最悪だった昨年よりは早く申告できるはず。

・最近は、仕事関連の本しか読めていない。

・「目トレーニング」サボり気味。体組成計には毎晩載っている。大きな変化はないが、若干、筋肉と骨量が減っている感じ。動かないと。

・『だるまちゃんとてんぐちゃん』、『だるまちゃんとかみなりちゃん』、『だるまちゃんとうさぎちゃん』の古本購入。懐かしくて。作者は加古里子さん。女性だとばかり思っていたら、「かこさとし」さんで男性なんですね! 90歳だそうです!http://www.ehonnavi.net/style/156/8/

だるまちゃんの顔が可愛くないのが、よいのです。そして行動も、大人受けする可愛さじゃないのが、よいのです。

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2017年3月17日 (金曜日)

3月17日(金)

・義母、昨日「要介護4」の通知。よかった。

・義母、本日、夫が付き添って術後1カ月のレントゲン検査(建物の1階が病院外来、3階が老健)。異状なしだそう。よかった。次の検査は3カ月後。

・母、本日からリハビリ開始。点滴されながらも車椅子で初めてリハビリ室に。ほとんど何もしないが、まずはリハビリ室デビュー。担当は、義母を3カ月ほど訪問してくださったことのある女性のI先生。よかった。珍しく義母が、老健用の5階のリハビリ室でなく、入院中に毎日通っていた1階のリハビリ室に来ているということで、I先生、急いで迎えに来てくださったのだが、点滴の処理その他で時間がかかり、母が到着したときは義母が老健に戻ったあとだった。残念。私も、1階のリハビリ室は久しぶりなので、「こんにちは~、今度は母がお世話になります。よろしくお願いいたします~」と何人ものPTさんにご挨拶。皆さん、義母と母とはタイプが全然違うなぁと思うでありましょう。母を訪問してくださっていて、病院で毎日3回ベッドサイドに来てくださるM先生から、I先生には引き継ぎが十分なされていると思われる。

・義母のリハビリ時、3年間通ってくださったM先生(こちらは女性)が、またちょっと寄ってくださり、明日、現在担当のY先生と一緒に義母のリハビリを見てくださるという。ありがたい。

・昨夜、母の夕食介助から帰るとき、義母の手術をしてくださったI先生にバッタリ。義母が老健で元気に過ごしていること、明日がレントゲンであること、要介護4が出たことを一方的に報告し、「本当にいろいろとお世話になりました」とご挨拶。ついでに、「今は私の実母が入院しましたので、またまた当分病院にもお世話になります」と。あっちにこっちにぺらぺらとあけすけに話をしているので、皆さん安心して声をかけてくださったりする。

・母、夕飯、ゼリー食だけれど、口に運ぶと昨日よりも食べる量が増えた(最初から通常の1/3量で、それでも少し残すけれど)。よかった。

・二人部屋でベッドが一つ空いていたのだが、昨日から怪我をされた方が入院。トイレに生きたがって起きようとするので、ついに今日は拘束されてしまった。その金具が背中に当たって痛いのである。起きようとするとずれて、体重がかかったときに金具に乗ってしまうことになる。気の毒なので、位置を調整しげあげて、「起き上がろうとすると、どうしてもここが当たるから、手すりにつかまらず、からだの力を抜いておいたほうがいいですよ。つらいですね。でも、少し我慢してくださいね。明日も来ますからね」と言って手を握った。昼間はご家族がいらしていたけれど、お一人でつらそう。母とは顔が合わないかたちでベッドが配置されているので、同部屋なのにおしゃべりができないので、母は「一度もお顔を見ていない」と言う。

・そして私は、木曜、金曜と少しのんびり起きて睡眠不足が解消できた。よかった。体調も大丈夫。しかし、腰の疲れあり。腰痛まではいかないが、フィットネスにも行かれていないから。夫が、関西から戻ってから早朝鍼治療に2度ほど行っているので、R先生には夫から我が家の様子が伝わっている。R先生、「とみきちちゃん、大変だったんだね。おかあさんが病院に入ってちょっとホッとしたね。腰は大丈夫かな」と心配してくださっているそう。来週は通えるかな~。

・仕事順調。入院翌日の水曜は、オーラルを休ませていただき(研究者ご本人がICレコーダ2本持って録音してくださった)、母のケアをしたが、木曜は予定どおり録音に行って、普通に仕事をした。今日も、14:00~15:40、18:40~20:00と病院に行ったが、住宅にいたときと違い、家にいるときは解放されているので、仕事は捗るのである。

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