2018年8月13日 (月曜日)

8月11日(土)、12日(日)

◆8月11日(土)

・昼食時、義父の病院に。食べたがるものを少しずつ持っていったら、今日の昼食メニューは、義父にとってはまだましだったようで、私の持参したもののほか、病院食も少し食べることができて、本当に一口一口なので最終的に「たくさん食べた」とはいかないが、50分くらいずっとお箸を休めることなく食べ続けた。本人も、「今日は結構食べられた。よかった~」と喜んでいた。「今夜は来られないからね」と言ったら、義父は「それは当たり前だよ」と笑っていた。「午後はリハビリがあると思うけど、頑張ってね~」。

・夕方から、友とご飯。今日は新しい展開で都会とは反対方向に。からだに優しい野菜中心の和食メニューと日本酒で。お蕎麦があるかと思ったら、事情があってお蕎麦はやめてしまったとのこと。そうなんだ、ネットでは「お蕎麦屋さん」という触れ込みだったけど。

・あれやこれやとたくさんしゃべって、二軒目でもたくさんしゃべって解散。楽しかった。モグラ叩きのようにあれこれのタスクが降り注いでくるが、お互い大丈夫だね、頑張ろう、と。

・帰宅後、ワインを追加飲みしながら、たまったメールの返信などを。

◆8月12日(日)

・寝不足が高じて、起きる気力なく午後まで寝る。

・夫と、お墓参りのはしごの予定だったが断念。

・義弟夫妻が昼、義父の面会に行ったら、昨日とうってかわって……。朝食のときに、人参がのどに詰まって窒息しそうになり、自分でコールして吸引してもらったと。怖かった。ということで気落ちして、お昼ご飯は食べたくない、という状況。コンビニにコロッケを買いに行ったら、中だけほじって食べたそう。夕飯からはミキサー食だそうで……。あー、なんとか食べる気力が出れば、入浴、リハビリと少しずつ慣れてきたから、体力も徐々に回復するかもしれない、とうっすら期待していたのだが、また逆戻りだ。中心静脈栄養の点滴が入っていたら、特養には入れない。食べなくなると、ますます嚥下の力が落ちる。マイナスのループに入り始めている。

・夫と、二十七回忌の祖母のお墓にお参りする。お花は少し豪華に。好物だったイチジク、チョコレート、コーラ、そして和菓子も買いそろえて。掃除をして、お花とお供えをして、お線香をあげて、「おとうさんとおかあさんをよろしく」とお願いする。祖母の享年は92歳。義父母ともその年齢を超えてしまった。

・お鮨と焼き鳥を買って帰宅。おひたしを作り、炊いてあったカボチャの煮物とで簡単夕飯。

・夜は仕事。しかし、パソコンの動きが悪く、何かというと「このアプリは応答していません」、くるくるくる~~~~となる。あなたも調子が悪いのねえ。そういうときはシャットダウンして、しばらくコードなどを抜いてそっとしておく。そして再起動すると、機嫌がなおることが多い。今日もそんな感じ。連続インタビュー第55回をひととおり打ち終えられる予定だったのに、おかげで半分しか進まなかった。

・明日は、鍼、そして特養に電話。夫は義母の主治医のお話を伺いがてら、義母面会。私は夕飯時に義父のところに行くかなぁ。火曜日は義父主治医のお話を夫が伺う予定。

・義父宅片づけの段取り青写真を義弟達に連絡。基本的に計画はこちら(=私)の役割なので、私が思考停止すると、すべてが止まる。ちょっとオーバーフロー気味になったら寝ることにする。それができなかったときに、いつも体調を崩していた。眼病、じんましん、腰痛、ヘルペス、味覚障害、顔面麻痺、難聴、手・肩のしびれ……。ホントに寝る暇がなかったからねえ。今はその頃に比べれば、やっていることは三分の一以下だから、病気にはならない感じである。そんなことを昨日友と話していた。「大丈夫だよね~、あたしたち」みたいなノリで(笑)。そして頑張っていると、時々人から「すごく強い」と思われて、うとまれたりするんだよね。でも、まあ、仕方ない、そういう役回りなんだものね。

・さーて、今週は、どれだけ予定どおりに事が運ぶでしょうか。新しいモグラが顔を出すでしょうか。一応、両親のお墓参り、特養T(包括Tさんのところ)の見学と申し込み、特養C(以前義母が入所決定したところ)の申し込みをこなし、仕事も進める予定。8月末の締切の座談会まとめがこれから時間を大きく食うことになるだろうから、そのほかのことを前倒しでやっておきたい。モグラ君たちなるべく顔を出さずにおとなしくしていてね~。

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2018年8月11日 (土曜日)

8月10日(金)

・2時間強寝て5:30起床。簡単朝食後、夫とともに、6:00過ぎに車で夫の実家に。粗大ゴミ9点を収集場所に出しに行く。

・いったん帰宅し、7:00過ぎに車にて一人で鍼治療に。8:50~9:45頃。

・帰宅後、洗濯、掃除。

・10:30~13:30まで昼寝。昼寝中に、義母のいる施設のケアマネMさん(昨日お会いした)から携帯に着信。対応できず。

・昼食。

・Mさんに電話。昨日の時点では結果が出ていなかったので話せなかったが、血液検査の結果が今日出た。それについて主治医のN先生からお話があるので、来週ご足労願えないか、という話。必要がない限り、血液検査含めた検査類は一切しない施設である(名称は病院だが)。やはり急激な体重減少には何か原因があるのだ。夫も私も薄々感じているところではあった。少しくらいのことではわざわざ連絡は来ない。かなり悪いということかもしれない。夫と相談。来週前半、夏休みなので、夫がお話を伺いに行くほうがいいということになる。Mさんに電話。月曜日の夕方、N先生のアポを。

・重なるときは重なるの法則。この土日から月火水と夫は夏休みなので、その間に私の両親のお墓参り、27回忌をできなかった夫の祖母のお墓参りをしようと相談していた。しかし、毎日のように義父の食事を届けること、私が週3日鍼治療に通っていること、週一回はそれぞれ義母の面会に行っていることなどから、二人揃って平日に長時間空くということは滅多にない。どうしようかしらね、と言っていたところだった。結局、月曜は義母主治医、火曜は義父主治医と面談である。

・郵便配達の時刻を過ぎたので、ポストを見に行ったところ、介護認定通知が市役所から届いていない。それなら電話をしましょうと、市役所の介護認定係に電話、「8月8日の認定審査会で審査していただいたはずのOですが……」。義父の生年月日、私の名前やら何やらを確認されたあと、「介護度は、要介護4です」。えっ! 要介護3でも御の字と思っていたら、なんとなんと4がつきましたか。へ~~、有り難い。有効期間は7月3日から来年の7月31日まで。義母の要介護4に比べたら、まったく元気だし、頭もしっかりしている要介護4だ。まあ、年齢が96歳であること、独居であること、頭はしっかりしているが、清潔保持その他、生活面が平常とは言えないことなどを勘案してもらったかな。とはいえ、介護認定において最も大きな力を発揮するのは医師の見解。義母に始まり、ずっと診ていただいてきたK先生のご所見の力もきっと大きかったに違いない。我が家は何のコネも財力もないので、何ひとつ特別なお願いや立ち回りをしたことはない。ただの一人の患者とその家族という立場である。そのなかで、「この人には制度の恩恵を十分に受けてもらえるようにしてあげよう」と、それぞれの立場の方が強く思ってくださって、それが重なっていくと、そういうふうになっていくということなのだとこれまでも感じてきた。結局は人なのだなぁと。

・義弟たちに、義母についての心配な情報と、義父についての少しホッとできる情報をLINEで送る。

・包括支援センターのTさんに電話で、介護度を報告するとともに、入院中の義父の様子、中心静脈栄養の点滴の是非についての見解を伺う。Tさんは、胃ろうなどと違って点滴だから、一時的に栄養を補給するためにすることに大きなデメリットがあるとは思えない、というご見解だった。しかし、専門ではないので、同じ組織にいらっしゃる看護師さんにも意見を聞いてみて、何かマイナスのことがあるようでしたら連絡します、と言ってくださった。また、要介護4については少し驚いておられた様子。私が、特養に申し込みをすると言ったところ、賛成してくださった。義母が入所の決まった特養にはもちろん事情を話して申し込みをしようと思うが、Tさんのところも特養がある。確認したところ、「うちは個室の特養です」と。夫も私も訪れたことがないので、一度見学させてもらったうえで申し込みをしようかと思う、と話す。「ええ、ぜひいらしてください」と。見学は担当の方のご案内が必要なので、予約してからということに。

・そして、義母がさんざんお世話になって、結局入所を断念した特養に電話。事務の女性(何度も電話ではお話しした方)が出た。名前を言うと、変わった苗字なので先方は覚えておいでだった。相談員のSさんは今も在勤でいらっしゃるか尋ねたところ、今も変わらずお勤めだとわかり安堵する。ただいま休暇中で、次のご出勤は月曜日とのこと。お電話させますと言ってくださるが、用件をお伝えしないと、悪いニュース、いいニュース、単なる挨拶……とあれこれ想像させてしまって申し訳ないことになると思い、簡単に状況をお話しさせてもらった。義母が11月の入院よりこれまで、体調を崩すことなくずっと安定していたこと。それがここのところ体重が落ちて、来週主治医の話を聞きに行くこと。しかし、お電話をしたいちばんの目的は、独居をしていた義父が体調を崩して入院、初めて要介護状態になり、今日「要介護4」とわかったため、直ちにそちらに申し込みをさせていただこうと思い、まずはご無沙汰しているSさんにご報告がてら、ご挨拶をと思ってお電話した、ということを申し上げた。

・話しているうちに、先方もいろいろ思い出してくださったようで、「そうでしたか。わざわざご丁寧にありがとうございます。では、そのように伝えます」と。月曜日にこちらからお電話させていただくと申し上げ、念のため、申し込みの仕方について確認した。既に施設内の説明等は受けているので、まずは書類を提出するだけでよい、とのことで一安心。

・義母はショートステイで長く利用させてもらっており、「Oさんなら是非」ということでいろいろ便宜をはかっていただいたわけだが、いくら家族とはいえ、義父については先方は未知の人である。義母のときのように優遇していただくわけにはいかないだろう。しかし、そうはいっても、家族がどのようにサポートをしているのか、義母が今どのような状況なのか、ということを知っていただいたうえであれば、100人なら100人の待機者がいる中で、顔のない100人のうちの1人ではなく、「Oさんの家族」という顔のある1人になることは間違いないと思う。まったく同じ条件であれば、ポッと空きができたときに、「Oさんに声をかけてみよう」と思ってもらえないとは限らない。近々申込用紙をもらいに行こう。

・延ばし延ばしにしていたある礼状の下書きと、挨拶状の返信を書いていたら、あっという間に夕方に。義父の夕飯のおかずをあれこれ持って、自転車で義父の病院に。17:45に到着。義父は寝ていた。夕飯が届き、「おとうさん、ちょっとお久しぶり。2日間来なかったけど、寂しかった?」「いや、全然。とにかく忙しいんだ」とのこと。今日もまたお風呂に入れられたのだそうで、それでお疲れだった。しかし、前回よりもまだましな様子。お風呂が午前中だったこともあると思うが、少しだけ慣れたのかもしれない。

・運ばれてきた食事は、やはりほとんど食べられそうなものはない。ペーストではなく刻みにはなっているが。持参したセブンイレブンのコロッケ(ソースをたっぷりかける)、白身魚のみそ漬け焼き、トマトとブロッコリーのマヨネーズがけ、高野豆腐を並べる。義父はいきなりコロッケに取りかかる。「どうして病院はこういうものを出さないのかな」と。休まず食べるが、口に入れる量が少ないので、はかがいかない。結局、私が食べるであろう普通量の3分の1も食べない感じかなあ。それでも40分くらいはかかっている。「美味しいのに、ある段階でパタッと食べられなくなる。心臓も胸もどこもかしこもしんどい」。これが、食べたいのに食べられない、消化機能の落ちた高齢者の現実なのかもしれないなあと思いつつ、「しんどいよねえ」と相づちを打ち、服薬、口ゆすぎを促す。口内を消毒綿で拭いて、「はい、お疲れさま」とキャッチアップしたベッドに座ってもらう。自分で態勢を変えられるのだから、要介護4は高過ぎると思うけれど、この状態で独居と考えたら、やはりそのくらいの介護度をつけなかったら、サービスが足りないということなんだな、とも思う。家族がいれば、要介護2でもおかしくないくらいだ。入れ歯を洗い、タオルケットや布団のかけ具合を確認、サイドテーブルの位置、上に乗せてあるものの確認等々を済ませる。

・義父が、入院している自分の心持ち、気遣い、気疲れなどについて語る。「本当にそうよね。おとうさん、私たちの予想をはるかに超えて適応していてすごいと思う。よく頑張っているわよ」「ここから出られるのはまだ先かなあ」「ご飯食べただけで疲れているようだと、やっぱり心配よね」。しかし、入院前の状態よりは良くなっているのだということを説明する。体調というのは、一気に悪くなることはあっても、急激に回復するということはない。少しずつ、だんだんに良くなっていくようにもう少し頑張ろうね、という感じで話す。気持ちの面については何も否定しない。しかし、ぬか喜びをさせるようなことは言わない。安全第一、よく頑張っている。体は、家族には治せない。やはり専門の方たちの力を借りて、回復し、安全に過ごせるのは病院。つらいこともあると思うけど、体のためにはやはり病院。もう少し我慢してね、という感じ。

・「とみきちさんと一緒に帰ろうかな」「おとうさん、それじゃ、自転車に二人乗りで帰ろうか?」「ああ、自転車なのか。それじゃ駄目だ」「明日はお昼に来ますよ」「ああ、お昼に来てくれるの。今日はありがとう、ありがとう」。

・荒ぶる気持ち、イライラする感じはない。しかし、我慢をずっと続けているのだ。そういう人ではないので、どこかで爆発しないとバランスが取れなくなってくるだろう。なんとか風穴があくような展開になったらいいのだが。しかし、ベッドに横向きに座っているとき、背筋がピーンと伸びていて驚くほどだ。小柄だけれど、強い体だ。点滴の力を借りていいから、頭と体幹、気持ち、そして字や絵を書く力を失わずにいてほしいなあと思う。頑張って、落ち着ける特養に入れたら、義父はもう少し穏やかな最晩年を不安なく送ることができるのではないか、と期待している。義母はもう少しずつ命の火が弱まっている感じがするが。

・帰宅したのが17:45頃。LINEで報告をしてから、夕飯の下ごしらえをして、21:00前から仕事。座談会の記録の編集作業。それなりに進んだ。

・23:00前に夫が帰宅。食事。義父母のことを話しながら。心落ち着ける日々はなかなかやってきませぬなあ。寝不足が高じている。そろそろ撤収だ~。

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2018年8月 9日 (木曜日)

8月7日(火)、8日(水)、9日(木)

◆8月7日(火) 立秋

・3:50就寝、7:00起床。8:00過ぎに家を出て、オーラルに。夏休みのせいか、電車はすいている。各駅停車に座ってゆく。秋立ちぬ。猛暑はいなくなり、涼しい。なんと昼間の気温は21℃だったらしい。極端なこと。オーラル第3回、10:00~12:00。波瀾万丈の日々のお話。とても共感できることがたくさん。

・13:30過ぎ帰宅。昼食。寝不足でへろへろなので、14:30~17:00まで昼寝。

・17:30に義父の夕飯差し入れを持って、自転車で病院に。義父は寝ていた。夕飯は食堂に行かずにベッドサイドで。届くまで15分くらいあったので、そのまま寝かせておく。18:00前に起こしたら、「ああ、来てくれたの」。力なく報告を始める。午前中はリハビリを頑張った。午後、お風呂だった。「今は嫌だと言って、喧嘩のようになったが、男性の介護士が無理やり連れていった。機械に寝かされたまま湯船に入った。からだじゅう洗ってもらった。風呂は若い頃から大嫌いだが、からだじゅうをこんなにきれいにしてもらうのは初めてで、それはそれでよかったと思う」とのこと。喧嘩のようになったというのは、だいぶ抵抗して、実際にあらがったようだ。しかし屈強の男性だったのだろう、抵抗空しく、しまいに「それならやりたいようにやってくれ」と開き直ったのだ、と自分で言っていた。大変なことだ。介護の現場でお風呂を嫌がるのは圧倒的に男性が多いとよく聞く。介護する人をひっかいたり、押し倒そうとしたり、というのは珍しいことではない。

・義父は連れていかれる前は抗ったようだが、その後はおとなしくしていたのだと思われる。しかし、そんなこともあって余計に疲れたのだろう。好物の牛肉とタマネギを煮たものや、イワシの蒲焼きを見て、お箸をつけて、少し口に運ぶのだが、「好きなものなのに、美味しいものなのに、食べられないのはどうしてかな」と。結局、病院の食事はほとんど手つかず、私の持っていったものも、ほんのちょっとなのに半分も食べられず、「しんどい、しんどい」。

・40分くらい座っていたかな。飲み物の目先を替えて少しずつ飲んでもらったり、おかずもあと一口、という感じでだましだまし食べるように促したりしたが、放っておいてもいろいろ食べるときに比べると、体が拒否しているのだろうと思われる。服薬して、口の中を掃除して、ベッドをキャッチアップした状態にする。「ああ、助かった」と本当に疲労困憊の様子。「とみきちさん、せっかく美味しいものを持ってきてくれたのに。食べられなくて悪かったね。ありがとう」と。テレビを見る元気もなく目を閉じているので、19:00前に退散した。LINEで報告。

・自転車で戻り、エレベーターに乗せようと、共同玄関のスロープを上がるところで、お隣のファミリーに遭遇。お兄ちゃんのR君がまず気づき、「あっ、とみきちさんっ!」。妹のHちゃんが「あっ、とみきちさんっ」。お父さんは仕事帰り、お母さんは胸にもうすぐ1歳になるM君を抱っこ。全員で車で帰るお友達に向かって手を振っているところだった。エレベーターに同時に乗れないので、先に乗ってもらい、自転車を外廊下に置き、チェーンをして家に入る。洗濯物を畳んだりしていたら、ほどなくピンポーン。Hちゃんとお母さんがドアの向こうに。先ほどのお友達家族が川の釣り堀か何かで釣ってきたニジマスをたくさん届けてくれたそうで、我が家にもお裾分け。Hちゃんが嬉しそうにぶら下げた袋を渡してくれた。ちょうどいいからと、義父に買ったけれど食べてもらうチャンスがないままになっていた、coopのミニあんドーナツの袋をお礼に。いつも、「こういうもの、食べられる?」と聞くことにしているが、あんドーナツもOKだった。お母さんが「わらしべ長者みたいです」と(笑)。「Hちゃん、お魚があんドーナツに替わったよ。よかったねえ」と。でも、R君はお魚がちょっと苦手だけど、Hちゃんは食べられるのだという。しばらくHちゃんから、保育園での出来事の報告などを聞き、なごむ。抽象的な単語もわかるようになってきてすごい。まだ4歳なのに。「うちの家族はねえ……」とか(笑)。うちの中をのぞいて、「おばあちゃんは?」 私が必ず、「おかあさん、お隣のR君とHちゃんが来てくれたから」と義母を呼んで、義母が杖をついて廊下を歩いてくるのがならいだったからねえ。「おばあちゃんねえ、まだ帰ってこられないの」「なんで?」「病院にいるのよ」「病気なの?」「ちょっとね、まだ歩けないの」

・20:00過ぎから仕事。結構進む。でも、まだ寝不足。

◆8月8日(水)

・2:50就寝、6:15起床。夫と二人で鍼治療に。台風13号の動きが心配される一日。風雨が時々強まるものの、台風そのものはまだ伊豆諸島くらいか。関東に上陸するかどうか、という感じ。そのほかにも台風のタマゴが南の海上にあり、油断できない。

・夫は先週、義父の転院があったので、鍼は二週間ぶり。「いたたたた~」。

・9:00過ぎに帰宅。ただちに寝る準備。9:30過ぎに布団に入るも、また寝付くのに少々苦労する。10:00前から14:30まで何度も寝直した。

・今日と明日は、義妹が昼間、義父の病院に行ってくれるので、私は自分のことだけすればよい、ありがたい一日。近くのスーパーで買い出しをしたあとは蟄居。仕事、おおいに進む。

・義妹からは写真とともにLINEで報告。お昼は割合よく食べたらしいし、リハビリを頑張ると言っていたということで、一安心。お風呂の疲れは取れたのかな。夜、熟睡できないと言っていたが、さすがに昨夜は眠れたのではないかと。

・4月に、10年ぶりくらいに打診があったシンクタンクから、案件の受注が正式決定したということで、「テープ起こしの依頼も正式に発生する。ついては、改めて見積りを出して」というメールが。この夏から定期的に数回開催される審議会みたいなものと思われる。

・私は、介護状況が厳しくなり、自分の健康も危うくなった段階で、仕事の整理をした。アセスは一部を除いて全部友人の速記会社に引き継がせてもらい、エクスマは、中途半端なところで私が体調を崩したことによって継続できなくなって離脱した後、エクスマ自体の展開が変わったこともあり、そのままフェイドアウトした状態。商業ベースのものは悉くお断わりしてきた。シンクタンクからのご依頼も、行政関連も、座談会、シンポジウム的なものもすべてお断わりしてきた。大事に続けてきたのが、大学の研究者からのご依頼。中心になるのがオーラル・ヒストリー、そしてシンポジウム、座談会。

・この10年ぶりの案件をお引き受けすることで、またぼつぼつそういったものが増えていくことになるのか。まあ、簡単な見積りをメールで出した段階なので、どうなるかわからないが。

・台風13号の影響は、千葉、茨城等では大変だったようだが、こちらのほうまではあまり大きくなくて済んで助かった。

・仕事進む。

◆8月9日(木)

・4:00過ぎ就寝、8:00過ぎに目を覚ましたら、夫がゴミ捨てをしておいてくれたので、二度寝と思ったが、うまく眠れず、メールチェックしたり、布団の上で体操をしたり。起きたほうがいいかなと思ったのだが、やはり時差ボケのようなもので、11:00~13:30までぐっと深い眠りに落ちた。社会人としてどうなんでしょうか、このメチャメチャなリズムは。

・晴れた日は午後からでも乾くから洗濯。

・義妹からLINEで報告。午前中リハビリを頑張ったのでお腹がすいたと言って、頑張って食べている、という報告。写真を撮って見せたら、「いい顔をしている」と自分の顔を褒めていた、と相変わらず(笑)。その写真を見ると、落ち着いた感じではある。96歳になって、生まれて初めての長期入院、しかも転院してリハビリやら機械浴やらを初めて経験しているわけだから、よく頑張っていると思う。

・15:30過ぎに車で家を出て、義母面会に。義母に会う前にケアマネMさん、栄養士Tさんと面談。義母はとても落ち着いていて、大きな変化はないのだが、主食(お粥)を全量食べないので、摂取カロリーが少ない。おかずはいつも完食なのだけれど。必要カロリーは1315kcal程度、実際に食べているのが750kcal程度だという。いや、本当に最近どんどん痩せてきており、6月には30キロを大きく下回ってしまっていると。7月末から、痰が自分で出しにくくなって吸引を時々してもらっているというし、何しろ腕の細さ、顔のやつれ方ときたら。。。私からは、持参したお菓子の食べ方はそれほど変わっておらず、水ようかんにしても、プリンにしても休まず食べるから、食欲がなくなったわけではないのだが、だんだんと嚥下や消化の力が落ちてきているのかもしれないと。しかし、ご飯を食べる量はおそらく増えないだろうと思う、と申し上げて、「補食のアイスクリームとか、少量のおかずを一皿増やしていただくとかすると、食べるかもしれない」と伝えた。大きな器にどかっと入っているものはもともと好まない傾向があるので。また、おかずについての文句などはまったく言っていないこと、行事食は喜んでいることをTさんにお伝えした。細やかに対応してくださってありがたいことだ。

・ケアマネMさんからは、特に大きな変化はないので、ケアプランに変更はありません、ということだった。義父の様子を簡単に報告した。「男性は女性に比べていろいろ大変な方が多いですね」と。

・義母は目を閉じて静かに横になっていた。また一回り小さくなったなぁ。「具合はどう?」と聞くと、「ちょっと風邪気味」と言う。「そうなのねえ。台風も来たりして変なお天気だし。で、水ようかんをお持ちしましたが、召し上がりますか?」と言ったら、「嬉しい」と。ベッドをキャッチアップして、テーブルを渡して、とろみづけしてもらったコーヒーと水ようかん。今日も忘れずに義母の好きな花の形のお皿に移して、「はい、どうぞ」。もしも本当が食欲があまりないのに、私を喜ばせようと思って無理して食べたらよくないので、「おかあさん、多かったら無理しないで残してよ」と言うのだが、「多くありません」と言って、休まずに食べた。

・「全財産を入れている」と皆さんに言われる布の手提げを、今日は新しいものと交換。中にはカレンダー、メモ帳、ハンドクリーム、筆箱、ハンカチ、ティッシュ、マスクなどなどが入っており、それを食堂に行くときも常に持っていくのである。そこに、今日発売の『週刊文春』を入れた。食堂に行っても配膳まで待つ時間が長い。その間、雑誌を眺めて過ごすわけだ。

・とりとめのないおしゃべりをして笑って過ごし、夕飯のお迎えが来て、車椅子に移乗したあと、「それじゃ、また来るからね」と手を振って辞去したのが、17:20頃。きめ細やかに対応してもらえるし、義母も穏やかな日々を送ってくれているし、看取りまでしてもらえる病院だから、その点は本当に安心。LINEで報告。

・帰宅後、洗濯物を畳んだり、メールの返信を打ったりして、さて、仕事を本格的にと思ったら、今度は義父の病院の看護師Mさんから電話。義父が、家族が持ってきたおかず等を含めても余りにも食べる量が少ないので、そのことで先生からお話があります。いつお越しいただけますか」と。「明日でも伺います」と言うと、明日は別の病院に行かれているという。結局いちばん早くて、三連休のあとの火曜日か水曜日と言うので、空いている時間の中から最も早い14(火)16:00に一応アポを入れてもらった。

・お話の主旨を尋ねたところ、経口の栄養では不足しているので、太い血管から栄養を点滴で入れたいということで、家族の了解が必要ということだった。中心静脈栄養というものだ。寝たきりになったり、認知症が進んで口から物が食べられなくなった場合などに、胃ろう、中心静脈栄養といった選択肢をどうするか、ということが問題になるわけで、義母の病院では、そういったものは一切望まない、という一筆を書いている。とにかくなるべく長く口から栄養を摂れるよう、そして苦痛が少ないように、穏やかに最期の時間を過ごしてもらいたい、というのがその病院の方針なのである。そのために、食べようと思えばもう少し普通のものが食べられる状態で入院した義母にも、粗刻み食以上のものを提供しない。嚥下の力がないなかで誤嚥性肺炎を起こしてはいけない、ということなのである。しかし、義父のほうは、まだ体の力があり、立ち上がることもできるし、ベッドに自分でのぼり、態勢を整えることもできる。しんどいとは言うものの、車椅子に座って歌っていることもできる。しかし、そういう行動をする体を維持するのに必要な栄養が摂取できていない、ということなのである。食べたいものなら食べるのだろうが、ちゃんと飲み込めない、ちゃんと消化できない、ということは医学的に見ればあり得るわけで、病院としては(特にリハビリ病院で、家族が在宅復帰を望んでいるわけだから)、それなら高カロリーの栄養を静脈から入れなければ、と考えるのは自然なことなのかもしれない。

・どうしたものだろう。LINEですぐに報告をした。中心静脈栄養については、幾つか参考になるサイトを紹介し、ネットで情報を読んでおくように義兄たちには伝えた。これまで、義母についても、義父についても、病院、介護関係の対応はすべて私たちがしてきたし、私は母の看取りもしているので、彼らよりは幾分知識がある。とはいえ、この段階での判断をどうすべきか、正しい判断をする自信もなければ、義父とは血のつながりがない。夫と義弟、それから例えば義父の妹の意向というのも大事になってくる。

・明日には義父の介護度決定通知が届くはず。さて、「こうあったらいいな」ではなく、現実の問題として、義父のこれからをどう考えるのか。そのためには何をしたらいいのか、ということを考えていく段階に来たと思う。体の状態や安全のことだけを考えたら、義父がもう少し社会性があり、かつ、経済的に余裕があったなら、義父が食べられるような食事を提供してもらえる老人ホームに入ることが望ましいのだろうと思う。が、老人ホームへの入所という選択肢は経済面からあり得ない。特養は、介護度にもよるが、近々の入所は到底望めない。どこか新しいところに入ったとして(例えば老健)、適応に時間がかかり、また食事の問題が発生するだろう。しかし、在宅に戻った独居の義父を支えられるだけの充分な介護サービス体制を整えるのは無理なのではないかと思う。

・火曜日までまだ時間があるが、選択肢が少ないなか、中心静脈栄養を始めてしまって大丈夫なのかどうか……。一度始めてしまったら、抜けなくなるのではないか。包括のTさんにも、明日介護度通知が来たら、それも含めて報告し、ご所見を伺ってみよう。

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2018年8月 7日 (火曜日)

8月4日(土)・5日(日)・6日(月)

◆8月4日(土)

・義父は、病院の食事に絶望しており、ほとんど食べられず。頬が見る見るこけていく。土曜日、夕飯時に行き、ほとんど食べられない。「こんなことなら死んだほうがまし」みたいなこと。確かに、見るからに食べたくないよね。でも、そうはいっても、諦めてはいけない。「気持ちはわかるけど、病院としてはこういう意図があって……。とにかく回復しなければ家には帰れない。これから少しずつ食べられるものを出してもらえるようにするから、難しいとは思うけど、頑張って。ここは頑張りどころ。おかあさんも、ママも、同じようなものを食べて耐えていたのよ。おとうさんは知らないでしょう。私はずっとそういうおかあさんとママを見てきたのよ。つらいのはわかるけど」と。

「美味しいものは期待できないけど、ここは病院。家にいるなら好きなもの、食べたいものを食べる自由があるけど、具合が悪くなって病院に入っている以上、医師の判断が優先するのは仕方ない。肺炎を再発しないようにということで、呑み込みやすい食べ物を当面出すというのは、病院側の判断としては無理もない。つらいのはわかるけど、お父さんはまだ体力があるし、体を起こしていられるんだから、大丈夫、回復するから、諦めないで頑張って。ここは頑張りどころ」と必死に伝える。

「つらい」「食べたくない」という気持ちをいったん受け止めたうえで、本気で言う。その迫力にちょっと気圧された感じ。毎回毎回、そのつらさの訴えを受け止めて、その都度本気で対応すると、こちらの本気度だけは伝わる。「そうか、頑張らなくちゃ」と思ってくれる。そこに賭けるわけだ。そして、週末はしょうがないが、週が明けたら、「食べられないので、持ち込みを許可する方向にならないか?」と交渉しようというわけ。

前の病院と違い、医師との面識もないなか、とりあえずは先方の指示を守りながら、義父対応に関する家族のあり方への信頼度を高めていく、という方針。ルールを守ることは大事。2カ月お世話になるわけだから、ルールの適用範囲をこちらから広げるのではなく、向こうから広げてくれるかたちが望ましいと思う。

◆8月5日(日)

・義父宅のゴミ処理。燃やせるゴミ、燃やせないゴミ、紙、布類を相当量捨てたので、少しスペースができてきている。今日は粗大ゴミ9点を10日に出す下準備。椅子の汚れ、キッチンワゴンの汚れなどを拭き取り(並大抵のことではない)、汚れた敷き布団、掛け布団、電気毛布を畳んで縛り、ごみ袋に入れ……市の指定する金額のゴミ処理券を貼ってという作業。夫と2人で2時間ほどかけて終了。今週は台風が来るので、ガラス窓はしっかり閉めて退散。まだまだ捨てるものがあり、それから掃除をしたり、ベランダの排水溝の掃除をしたり、使える電子レンジその他の掃除をしたり……。本当によくもここまで……(以下略)。

・帰宅後、シャワーを浴びる。

・夜は会食。美味しいワインと気軽なイタリアン。汗をかいたせいか、酸っぱいもの、辛いものが美味しい。

・昼間、義弟夫妻が、義父転院後初めて面会に行ってくれた。LINEで頼んでおいたら、義弟が義父の髭も含めた散髪をしてくれた。さらに、リハビリも一緒に見学してくれて、義父はご機嫌だったようだ。よかった~。PTのOさんも、私たり夫婦以外の家族も来て、リハビリを応援しているということを知って、安心したことと思う。義父は昔からお風呂嫌いなのであるが、せっかくヘアカットしてもらったのに、ぺたっとなっているのを鏡で見て、「お風呂に入らなきゃ」と思った様子。すべては外見から始まる人なのである(笑)。清潔にして、というのは、義母も苦労していたが、やってもらえる環境にあるのだから、ほんとに言われたとおりにお風呂に入ることをお願いしたい。

◆8月6日(月)

・3時間睡眠で鍼に。今日は広島原爆の日。73年になるんだな。R先生宅で、顔に鍼をいっぱい刺されたまま慰霊祭をテレビで見る。核の問題を、自分の家族と関連づけて考えたら、誰しもが即座にNo Nuclearと思うだろう。しかし、既に多くの核保有国が存在するなかで、自国をいかにして守るのかというときに、本当に有効な手立てはこれだ、と言えるものを持っていて示すことのできる為政者がいるのだろうか。自国が武力や核によって攻撃されたときに対抗するすべがなくても、「それでも核はNo。自国が核にやられても、やはり持たないことが正しい」と言い切れるのだろうか。同じ過ちを繰り返さないため、惨禍について伝え続けることの重要性は言わずもがな。しかし、国をあずかる立場になったとき、既に保有している核を何らかのかたちで凍結する、廃棄するという決断をするのが正しい、と言い切れるのか。核の傘下に入らずに、自国をこうやって守るのだと言い切れる国はあるのだろうか。弱い人の立場になってみる想像力は、人が持たねばならない大切な力の一つだけれど、逆に為政者の立場、責任ある立場に立ってみる想像力も必要なのではないか、と思うこともある。

・帰宅後、3時間睡眠。

・雷雨の予報を気にしつつ、洗濯。

・夫は昨日から(もう少し前から)あれこれの歯車が狂っている。影響されないようにと思うのだが、完全に切り離してそれぞれに、というわけにもいかず、影響を受けてしまう。

・義父面会に行き、ナースステーションに寄り、持ち込み食材について聞いてみたところ、看護師のSさん(初対面)が出てきてくださり、「お電話しようと思っていたんです。何でもいいので、とにかく召し上がっていただきたいので、ご家族に持ってきていただきたいと思うんです」と。院長の指示だったようだが、Sさんは私たちに会ったことがないので、そういう対応を頼むことのできる家族なのかどうか、ちょっと疑心暗鬼だったようだ。ちょうどよいタイミングで私からの問いかけがあったので、ほっとしたご様子。昨日、一昨日など、病棟の看護師Kさんには、かなり杓子定規に「この飲み物は許可を得たものですかっ、きっ!」という感じの対応をされたので(苦笑)、念のために、「食べ物に何か制限はありますか? 結構看護師さんによってはいろいろ気にされるので」と言ったら、「病院で出しているようなものでしたら大丈夫です。刺激物や、これはどうかなと思うものについてはちょっと相談してください」という感じ。はい、言質を取りました~。こちらが無理に頼んだのではなく、向こうからの指示ですからね。

・エレベーター前でPTのOさんにバッタリ。「あっ、こんにちは、昨日はおとうとたちが見学に来てお世話になったみたいで、ありがとうございました」と言うと、「はい、昨日頑張りましたよ。今日も午前中、ちゃんとリハビリできました」と。おう、ワンダフル。そして、さらに驚いたことに、食堂での集団リハビリにも参加していた。顔がやせこけているし、目に力がない。長く入院している高齢者患者の一人の雰囲気になってしまっている。でも、色鉛筆で塗ったというぬりえは、さすがプロ、単なるぬりえではなく、陰影があってすばらしい。当然だけど、私にはできない芸当だ。「なまえ」欄に名前を書いてあるのがなんとなく悲しい。

・一緒に、発声練習、舌の運動などの老化対策を。時間が余ってしまって、それでは歌を歌いましょうということに。義父はいちばん前に座らされていたので、「何を歌いますか」と聞かれたときに、義父の好きな歌をいろいろ言ってみる。例えば「椰子の実」とか、「白いブランコ」とか……。残念ながらなかった。そのかん、無難なところで倍賞知惠子の歌とか、何だか知らない曲がかかったあと、義父が急に「朧月夜」と言うのでリクエストしたら、CDがあった。歌詞が皆さんに配られて、さて、歌い始めたら、結構多くの人がちゃんと歌えて、なかなかよい雰囲気だった。リハビリ病院なので、認知症の方ばかりではないのだ。男声も後ろのほうから元気よく聞こえていた。これなら、「夏の思い出」とか「ふるさと」とか、あの方面の歌なら皆さん歌えて、演歌や軍歌よりもいいかもしれない。

・義父に「おとうさん、おかずを持ってきていいと言われたので、1回帰ってまた来るからね」と言って、自転車で急いで帰宅。義父が言っていた「ハンバーグだ、コロッケだ」というものを持っていくべく、スーパーに行って材料を買う。量は食べられないけれど、種類を増やすのが大事。小さいハンバーグにおろしソース、ブロッコリー、トマト、それからコロッケを少々。ミニミニタッパーに詰めて18:00に再び病院に。

・すでに食堂で着席させられていた義父は、周囲のトレイと自分の食べ物が違うのでお冠で、食べるのをボイコットしていたところだった。ちょっと遅かったか(笑)。食事担当の看護師さん(倍賞知惠子似)に「食べないので、持ってくるようにと言われて」と言ったら、「今、自分だけお肉がないと怒っていたのでちょうどよかった」と言われる。車椅子を押してもらって部屋に戻してもらい、なんだかんだと文句を言っている義父をなだめつつ、持っていったものを広げて、「はい、どうぞ」。義父、大喜びで食べる。「とみきちさんが来てくれなかったらどういうことになったんだ。大変なことだ。こんなもの食べられるわけがない。周りはみんな肉があって……」。はいはい、気の毒でしたね。

・「ゆっくり食べてね~。美味しい? よかったね~」。だんだんと穏やかになっていく。やれやれ。量は食べられないけれど、お箸で少しずつ真剣に食べている。食べる気力があるのは、私の母と違うところ。食べたくないものを一切受けつけないのは一緒なんだけど。

・「お電話しようと思っていました」の看護師Sさんが、最初に確認してくださったときは空きがないとのことだったけれど、なんだか交渉して空けてくださったらしく、「食堂の冷蔵庫の場所を一つ確保してお名前をつけておきましたので」と。ありがたく持ち込んだのりの瓶詰めとふりかけを入れさせていただくことに。義父母とも、味のしないお粥は食べられなくて、のりの瓶詰めやら何やらをかけて、濃い味にしたいのである。

・18:50には食べ終わり、服薬し、口もゆすぎ終わって、「しんどい」。ベッドに移って、キャッチアップした状態で一休み。「おとうさん、私は帰宅させていただいてもよろしいでしょうか」と聞いたら、笑って、「どうぞお帰りください。ありがとう」とにっこり。「毎日は来られないけど、また来るから頑張ってね」。エアコンが強く効いていて、義父は寒がっており(家では恐ろしく低い温度に設定していたのに)、鼻水を垂らしている。ちょっと風邪気味だな。下痢もしたらしいし。義妹にLINEをして、「昼間でいいので、行かれる日を教えて」と言ったら、今週は水木とのことなので、明日の夕飯時も私が行くことにした。とにかくリハビリのために入院しているのだから、PTさんが40分とはいえ、毎日1対1でついてくださる機会を無駄にせず、なるべく休まずに取り組んでもらいたい。

・仕事はあまり進まず。

・台風13号が心配だ。歩みが遅く、影響が拡大するおそれがあるらしい。

・いろいろなことがあり、今後の自分の生き方を考えてしまう。そして、でき得る限り自分の言葉に責任を持てるようでありたい、と思う。

・明日は午前中からオーラル。第3回。これがまたね~、人生というものを考えさせられるグッとくる内容なんです。人は、自分一人では生きていかれない。家族、そして周囲の多くの人に支えられて生きている。必要とする支えが得られないことも多いけど、それでもやはり支え合っていきるのが人間だ、と思う。そして、支えられている人、無力と思われる立場にある人が、健常者、支えている側にいる人に教えてくれることは大きくて深い、と思う。

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2018年8月 4日 (土曜日)

8月3日(金)

朝、鍼治療。ものすごい寝不足。眠ったのは実質2時間半くらい? 本日、R先生、悩み満載で、あれこれ問わず語りに私に語っていた。「大変ですね~」と相づちを打つ。

帰宅後、大洗濯。突然掃除気運が盛り上がったので、トイレの壁やら便器やらをセス炭酸ソーダでゴシゴシ。きれいにはならないけど、汚さが減った。ふぅ。洗濯物はどんな干し方でも、数時間でパリパリに乾くほどの暑さ。湿度は高いけど、灼熱によって乾く感じ。

昼寝11:00~15:30。何度か目は覚めるが、爆睡。

起きてから、本日納品予定の仕事の仕上げ。集中できるわ~。睡眠万歳。

18:00頃メール納品し、請求書等で確認が必要なことがまだあったけれど、義父面会に。昨日も夜行ったら、「絶望的な気持ちになっている」という状況だった。ご飯がまったく美味しくなくて、どうしても食べられないのだ。前の病院は、「病院の食事は第一に栄養剤ではあっても、美味しく食べてほしいという気持ちが感じられた。努力があった」のだが、「この病院はそういう意識が一つも感じられない」というわけ。転院の日、昼食時にはまだ病院にいたが、私は食堂の中にまで入らなかったので、トレイを眺めていない。でも、義母と母がお世話になったC病院の食事も、元気なときでも相当つらいよなぁと思うようなものだったから……。また、初日の運動能力テストで頑張った反動で、また足の筋肉痛が悪化していて、昨日はリハビリができていなかった。今日は本当ならリハビリや食事に付き添って、状況を把握して、改善してもらえるところは意見具申をし、また、早めに持ち込み食の許可を得たほうがいい、と思ってはいたのだが、納品が終わらないことには……。

結局、18:30過ぎになってしまった。雷鳴があちこちで轟いていたが、降られないだろうと踏んで自転車で。「ああ、とみきちさん、来てくれたの」。だいぶパワーダウンしている。しかし、「語る」義父である。今日の出来事、自分の気持ち。病院たるもの……etc. 「そうねえ。うんうん、わかるわかる。つらいねえ」という相づちとともに、10分以上聞き役を。

自販機で買った冷たいココアを「飲む?」と。食事はしないし、水分の摂取も足りないとみえて、今日は点滴が始まってしまっていた。リハビリのために入院して、脱水や熱中症になったり、脳梗塞を再発したりしたら大変ですものね。

義母入院中の施設のケアマネさんから電話があったが、応答できず留守電に。ケアプランを更新したので、次に昼間来たら声を掛けてください、印鑑が必要です、という連絡。病棟からは、入れ歯の固定剤がそろそろなくなります、という伝言。こちらが落ち着いてくれているから、本当に助かる。義父の退院後のことを考えると、頭が痛い。義弟たちは、介護保険の仕組みその他、スケジュール感が現実のものとしてわかっていないので(これまで未経験)、在宅復帰にしろ、施設に入るにしろ、とにかく8月後半から9月にかけて、時間もエネルギーもかかる。そしてその後はお金がかかる、ということを予告しておく。しかも、黙っていて物事が進むわけではない。方向性を決めて、その方向に進めるための道筋作りをしなければならないのだ、ということも伝えたい。そしてその間、義父自身の気持ちをずっと支え続けることも必要。介護にお休みはない。介護を必要とする高齢者は、一日たりとも介護が不要な日はないのだから。

夜は、座談会記事まとめの仕事に着手。たたき台の文字起こしをベースに、きちんと聞き直し、話の流れ、ポイントを頭に入れていく作業から。

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