一仕事。
お昼前に地元駅に来てもらって、まぶだちとようやく会うことができたよ~。前回会ったのは3カ月ぐらい前かな~。当初は仕事がめちゃめちゃ忙しく、その後は義母が倒れ、母が倒れで、約束を何度も反故にして会えなかったのだ~。
ランチを食べながらおしゃべり。こちらの様子をいろいろ聞いてもらったあと、今度は彼女の様子を聞くと、それはそれはまた大変なことになっており……。気苦労が絶えないなぁ。まあ、お互い踏ん張っていくしかないねと、気持ちのエールを交換。元気がチャージされたのだった。根っこのところで信じ合える人がいてくれるっていうことを確認できると、心にビタミンがチャージされるのであります~。
さて、病院に。父が3時少し前に到着。ナースさんには、母は弱虫なので先生の話を聞かなくてもいいと言ってもらえたけど、麻酔医から本人も来なさいと言われたと別のナースさんに言われる。母は渋々車いすに乗り、三人で話を聞きに一階の指定された部屋に。麻酔医は萩本欽一みたいな感じの人だった。怖いというか、勢いのいい人。母が、頭のふらつきがあって8年も外に出ない生活をしていたことが、麻酔医には伝えられていなかったので、「検査もしていないとなると、問題だ。もしも脳に何か重大な問題があったら手術はできないかもしれない」ということになり、即座に頭部CTを撮る手配。そして、「僕は聞いていなかった」と、まるでこちらを責めるように言うので、「入院の際に申し上げました」と言うと、「胃腸科の先生はお腹のことしか診ないんだから」と口をとがらせて、まったくもって理不尽なことを言う。
そこはとりあえず黙っておく。率直で一生懸命なのだろうと思うが、自分は90歳以上でなければ年寄りとは認めない。本来だったらあなたは車いすになんか乗ってここに来るべきでない。もっと元気であるべきだ、みたいな説教(笑)。もちろん怒っているわけじゃないけれど、母のこれまでのことを何も知らないのに、決めつけた感じ。インテリジェンスが足りないな、田舎くさいセンスだな、などと頭の中で思ってしまう。
麻酔医の言うことはもっともなのだ。だけど、それを今説教してどうする、って感じ。母が控えめに、「頭ではわかるんですが、病院が怖くて」。「そんなこと言って、子供じゃあるまいし。こんなに悪くなったのは、言っちゃ悪いけど、身から出たさび」。
この言葉を聞いた段階で、私が静かに反撃開始。「先生、全くおっしゃるとおりです。おっしゃるとおりですけれど、今、それで母は手術を受けるような状態になったわけです。今さらそのようなことをおっしゃられても何にもなりませんので、どうぞこれからのお話を進めてください」。心の中では、医師が、弱って助けを求めている患者をつかまえ、その人のことを何も知らないのに型にはめて決めつけて、上から正論をぶったところで何の意味があるのか、と思っていた。
すると、私のそういう言いぐさに腹を立てるでもなく、「それもそうだ」という感じで、「それじゃ、これから説明しますね」と、淡々と、むしろ温かい調子で熱心に説明してくれた。その対応の変化には好感を持った。最初は確かに、「怖いだなんだと自分勝手なことばかり言うふざけた患者にはびしっと言ってやらなくちゃ」という態度で臨んでいたに違いないけれど、途中で、その必要はなかったと判断したのだろう。体裁だけで威張るということではなく、病気と闘う気概をもって早く元気にならなきゃいかん、という強い信念を持っている人なのだ、たぶん。
しかし、不安や心配を抱く患者の気持ちというものをもう少し配慮すべきだな、とは思う。最初、怒られたかに感じた母は怯えていた。怯えさせる医師なんて、治療の前の段階の問題としてどうなのか、と思いますよ。
私は、途中で混ぜ返したりして、場を和ませたりして、主導権をこちらに持ってくる努力を。その効果があったのか、それとは無関係なのかはわからないが、その後の説明は、非常にわかりやすく、また、不要な恐怖感を与えないように配慮されていた。おかげで最初は凍り付いた母も納得できたようだった。
結局は人と人の問題なのだ。コミュニケーションの問題なのだ。患者が、この先生の言うことなら間違いはない、お任せします、と思うことが大切なのだ。その信頼関係がまだ何もできていない段階で、脅したり追い詰めたりすることの無意味さを思う。それどころか、百害あって一利なしでしょう。
CTを終えて病室に戻ってきた母に意思を確認すると、主治医の説明も一緒に聞く、と言う。麻酔医の説明がクリアできて、覚悟ができたのだろう。その後に聞いた主治医からの内容は、麻酔医から聞いた話などとは比べものにならないほどシビアなものだった。
すべての可能性を説明するわけだから、もちろん癌であること、そのステージ、腎臓摘出の可能性、人工肛門になる可能性、術後の問題、エトセトラ、エトセトラ。状態はかなり悪いということだ。手術そのものが成功しても、その後、腸がきちんとつながるかどうか、栄養が足りない状態であるためにそこに不安があるとのこと。
主治医に「手術当日、私、泊まらせていただきます」と言ったら、「ありがとうございます」と言われてしまった。やはり重篤患者なんだなぁ。
しかし、入院して二週間。毎日二回、チューブと腸の湯煎をしてくださる主治医に対して、母はすでに親近感を持っているため、非常に厳しい内容の説明を聞いても、それほどぴんときていないようだった。現時点で母がこういう精神状態でいられるというのは、上出来と言えるだろう。
病院を出て喫茶店で一服しながら父は、母が本格的な治療を受けられる状態になって心底ほっとした、と言っていた。あとはお腹を開けてみてからの話。あ、その前に、脳に重大な問題がないことが明らかになってからか。
帰宅後、兄嫁にメール。今日の一大仕事が終わった。明日、美容院を予約した。
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