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2013年2月23日 (土曜日)

金曜日。

2月22日(金) 猫の日、ニャーニャー。

午前4時半就寝(うううう……)、7時半起床。義母の部屋は電気がついているのに寝ていた。さあ、急ぎましょう。それでもなんとか8時には夫と3人で朝食スタート。無事に8時50分に入浴デイサービスに送り出す。当然寝ている暇などないわけだが、体調が急激に下り坂。こりゃ、寝ないとまずいでしょう、というわけで、そういう場合は即座に方針変更して寝る。が、いつものことながら、お腹がいっぱいで、朝の「おはようモード」に頭がスイッチしていると、そう簡単にオフにはならない。10時前になんとか寝付いて、12時前に起きた。3+2で5時間は寝たわけだ。12時20分に義母帰宅。

明け方までかけて完成させたエクスマセミナーを、パワポファイル等を一式セットにしてメール納品。その際にはもちろん感想などを添えるのが、私のこれまでの流儀。昨日のセミナーの感想含めて、私なりの個人的な感想をメール本文に書いて送信。

その後、チーム仕事の言語学仕様の問題のメールあれこれ。実質の仕事を進めるには時間的余裕が必要。というわけで、別件インタビューに着手。

夜の外出に備えて、昼食は暖かいご飯を炊いてたっぷりと。夜は義母一人なので、買ってきたサンドイッチとインスタントスープ。それから、義母が喜びそうな和菓子を。

ギリギリまで仕事をして、6時前に家を出る。今日は、『7つの動詞で自分を動かす』(石黒謙吾著、実業之日本社)の新刊記念トークショー。本書もとても参考になる(というか、私自身の発想と似ていて共感度が高いのです)本なのだけれど、トークのお相手が佐藤尚之(さとなお)なのである。楽しみ、楽しみ。偶然だけれど、このお二人と私は同い年。というわけで、世代感覚もわかるし、この時代にこういう環境で育ち、こういう経験を経ているのであれば、こういう感じね、というなんというか所属感みたいなものまで皮膚感覚で想像できる方たちなのである。

はたして……。トークショーは大変に充実した内容だった。お二人の人となりもわかるし、新刊の内容と、そこに込めた意図のようなものも感じられた。話しているお二人が、そのトーク自体を(ギャラリーをきちんと視野に入れつつ)楽しんでいることが感じられた。満足、満足。

個人的には、私のイメージしていたさとなおさんより現実のさとなおさんは細身で繊細で女性的だった。最近筋肉トレーニングを続けて体の改造をされていることも影響しているとは思うけれど、ナイーブさといい、少年ぽさといい、おぼっちゃん風な感じといい、細やかなセンスの良さといい。もっと精神面でも体育会系のある種のアバウトさももちあわせた人かと想像していたら、まったく違っていた。さまざまな要素が無秩序に存在するタイプではなく、きちんとお行儀よく教養や文化的素養等々を豊富にたたえた上品な生き物だったのね。

石黒さんは、魅力も能力も本来はオーソドックス路線なのに、何かスイッチが入ると色物になることで自分を守ろうとするタイプなのかなぁという感じがした。ものすごくまっとうなところ、熱いところがあって、触媒によってそういう面が出ることもあるでしょうけれど、そうでないときは少々自虐的な感じがあるのかなぁという印象だった。

二人とも、原稿を書くつらさ、その非効率性について嘆いていたけれど、あれは本音でしょうね。頭にあることが自動的に文字になる、ということはないわけで、思考が文字化されるときのタイムラグというか、その非効率性は、確かになかなかないものかもしれない。

勝手な感想。さとなおさん、好きだわ。思索的で、バランスを取ろうという意識もあり、能力も高く、悩む必要もないのにあれこれ心配したり先回りしたりして悩む、律儀に悩み落ち込むタイプの人、好きなのかもしれない。 行動力もあるのにね。私は、自分が他人との比較をまったくしないので、自分なりの価値観を持っているのに、それでも自分の中に悩みや落ち込みの要因を持っている人が好きなんだな、たぶん。他人との比較や自分の境遇をバネに、「なにくそ」とか「見返してやる」と思うタイプの人は、「好き」にならないのだ。その気持ちがわからないわけではないけれど、好きかというとそうではないのだろう。

そして、常にスポーツをとことんきわめている人(例えばマイケル・ジョーダンや過去の貴乃花など)が好きなのは、人との比較でなく、自分を、あるいは自分のプレーを見つめる中でストイックに試行錯誤しているところに共感するからかもしれない。今日、そのことに気づいた。

となると、本書の終章にあるテーマにピッタリではないですか。

僕が以前自分に言い聞かせるために思いつき、よく使うフレーズにこんなものが。「相対は人を不幸にし、絶対は人を幸せにする」

誰しも、自分と他人を比べ、相対的に見て自分は不幸せだと思いがちです。過去の自分と現在の自分を比べるのは向上だと考えます。しかし、他者と比べて自分をネガティブに捉えたり、充足できなかったりしては、ストレスが増えるばかりで幸せにはつながりません。

私は常に、こういうふうに考えてきたなぁ、という気がする。意識してやってきたわけではないけれど、このごろは意識するようになった、かも。

誰かが何かをしてくれるのを待ったり、時代の流れや人の評価を追ってあっちこっちと受動態で目移りするのではなく、プリミティブで単純な感情の発露として、具体的に自分を動かしましょう。そのために自分の言葉を持ちたいのです。

最後のところは、少し飛躍している感じはあるけれど、自分から動く=結果に責任を負う覚悟をもつ、ということだなと思う。私は人間関係においては、「待つ」ことができず、必ず自分から動く。動き過ぎて、相手を追い込んでしまうことがある。必要なのは、私がどういう人間であるかということを理解してもらっているかどうかを見極めることだと思う。そこを見切り発車すると、相手が追い詰められる一方になってしまう。

スポーツが例にとられると共感度が高い。例えば野球の場合、よく打つバッターでも、10回に7回は失敗しているわけですよ、という話。そうそう、私はいつも挫折に弱い人を見たり、たいしたことのない失敗に落ち込む人を見たりすると、ああ、スポーツをしていないのだな、と思うのです。スポーツって、自分の能力を常に思い知らされる時間の連続です。できないことのほうが多い。一つの動きもできないことのほうが多いし、一対一の勝負では負けることのほうが多い。そういう姿を衆目にさらしながら、言い訳せずに努力するのがスポーツ。この経験の有無は大きいと思う。特に若い頃、自意識過剰のteenageの頃に、しっかりとスポーツをすることの意義は、自分の相対的な地位を受け入れること、チーム内での役割を認識すること、共通の目標に向かって力を合わせること、などなど、限りなくたくさんある、と思うのです。

あ、本題からそれました。今日の対談は、「ぶつける」ことの重要性にも言及されていました。最近は、打数を増やすことよりも、結果的に打率がそこそこいくようにと考えて、不利な勝負を避ける傾向にある、という話があって、体育会系の私は大きくうなずきつづ聞いていたのでした。このへんも世代感覚がかぶります。

さて、本書の話でしたね。「能動的になる」=「結果に責任を負う」=「言い訳や責任転嫁をしないで済む」という、本書の肝の部分に心から共感できるのでした。どうしても、何かを恨む気持ちが捨てられない人、ひがんだ気持ち、被害者意識から脱却できない人、嫉妬心の強い人が、本書を読んだらどう思うのかなぁ。反感を覚えるのか、へえ、そういうものかと思うのか知りたい。

質問コーナーではSNSに関する質問が。それに対するさとなおさんの答え、まさに昨日のセミナーの趣旨とピッタリ同じでした。SNSはツールです。何を目的として使うのか、ということが大切です。便利なものができたなとは思うけれど、とにかくツールという位置づけです、とのことでした。インターネット黎明期から先駆的に使いこなしているからこそ、その言葉に説得力があるわけですけれどね。

さとなおさん、これからも(勝手に)ついていきます♪ 同い年にこういう人がいることが、ものすごく心強いです。心の奥がボワッと暖かくなります。

友とお茶もお酒もすることなく直帰。9時半でした。義母は無事。それから少々仕事。10時半過ぎに夫を迎えに行き、11時から夕飯。今夜は仕事はできず。体調下り坂。まあ、更年期なので仕方ないです。明日はやはり7時過ぎには起きなくてはね。

2月は短い。アセアセって感じです~。

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