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2018年9月10日 (月曜日)

9月9日(日)

・9月9日(日)の午前3時過ぎ、電話が鳴った。義母のお世話になっている病院の看護師の男性から。少し前に巡回したら義母の呼吸が止まっていた、ということだった。義弟に連絡をしてから、夫の運転で車で病院に向かった。

・9月8日(土)は、私は出張録音の2日目。夫が仕事帰りの19:00頃義母の病院に寄り、20:00過ぎに義父の病院に寄ってくれた。

・9日(日)も、私は午後、英語の勉強会に参加予定だったので、夫が面会に行くとき、主治医の先生から特別に許可された、義母の所望した小さく切ったマグロのお刺身かネギトロをもっていってもらうつもりで、土曜の仕事帰りにネギトロを買って帰ってあった。

・4:00に病院に到着。義母の部屋に。口を開いた状態で姿勢よく仰向けに横たわっていた。義母は話もできたし、ナースコールもできたこともあり、酸素を鼻から入れてはいたが、心電図などはつけていなかった。1:00頃ナースが回ったときに、本人の要望もあって痰の吸引をしたという。次に回ったのが3:00頃。その時点で呼吸が止まっていたと言う。苦しかったり痛みがあったりしたときはコールを自分で押していたので、おそらくは眠っている間に心臓が急に止まったのではないかということだった。両手も特に力が入った様子もなかった。

・顔はすでに冷たくなっていた。かつてふくよかだった人がこんなに痩せるのかと思うほど。しかし、骨格はしっかりしていて、姿勢よく、美しい94歳だ。肌も驚くほどきれいだし、痩せても、顔のしわが少ないのは魔法のようだった。

・義弟たちが到着する前に、当直の医師(主治医のN先生ではなかった)が死亡を確認。9月9日、午前4時4分、94歳10カ月を生き抜いて旅立っていった。

・父、母で、身内の死を初めて経験したあとであることもあり、義母については、もちろん至らないところはたくさんあったとはいえ、自分でできること、思いつくことはできたと思っているので、「とうとう」というよりは、「ようやく」こうして見送ることができた、という気持ちのほうが強いかもしれない。旅立ちをその場で見送ることができなかったけれど、ちょうど当直だった介護士の世話焼きおばちゃん、Sさんは、「私が当直だったのに、気づくことができなくて……」と悔やむようにおっしゃって、私がなぐさめるような感じにも。

・義弟夫妻が4:30頃到着。霊安室に移していただき、そこから葬儀の相談。葬儀屋さんすら決めていなかったので、なんとなく目星はつけていたけれど、スマホでその場でいくつかピックアップして、「ここにしようか」と決めて電話。7:30に遺体を引き取りに来てもらえることになった。

・荷物をすべて片づけて、朝出勤してきた顔なじみの介護士の方たちにお礼を申し上げて、葬儀屋さんの車を待つ。義母の遺体の横で、義妹と久しぶりに長くあれこれしゃべった。義父についても悩ましいね、という話、来週の義妹の父上の七回忌のことなど。

・7:30より早めに来られて、遺体を見送り、一度解散。10:00に葬儀屋さんで打ち合わせとなった。日曜日なので義弟たちにも予定がなく、4人で打ち合わせに参加できることになった。義母はちゃんとよい日を選んでくれた。私の出張録音は終わっているし(記録作成は今まさにねじり鉢巻き状態だが)。

・実は、土曜日の夜、私の高校同期の学年同窓会が4年ぶりに企画されており、出張録音先からそのまま直行すればちょうど間に合うくらいのタイミングだった。しかし、仕事のスケジュールがタイトということもあったが、なんとなく参加してはいけないような気がして、ぎりぎりまで迷ったけれど、欠席と返事を出しておいた。幹事の一人から「事情が許すなら当日参加でもよい」と連絡をもらっていた。当日の朝、「やっぱりやめたほうがよさそう」という気持ちがして、「やはり参加はあきらめます。ご盛会を」というメールを送った。義母が呼んだのだなと思う。

・帰宅後、豆をひいてコーヒーを入れ、サンドイッチでおなかを満たしたあと、少し体を休めようと思ったが、横になってもやはり眠れない。

・9.30過ぎに再び車で家を出て、葬儀会社に。家から車で10分かからない近さである。打ち合わせは時間がかかったが、幸い、皆の予定に無理がない日の式場、火葬場の予約ができた。一つひとつの相談が大変である。

・一日葬にすることにしたが、前日のお昼から納棺式があるので、それに立ち会うことに。そして、夕方から祭壇の用意が始まり、その時点でお通夜もできる状態にまで整うので、僧侶を呼んでの儀式は行わないが、故人のそばにいたいということであれば、家族であっても家族以外でも訪れることが可能とのこと。

・帰宅後、親戚に連絡。完徹の夫は14:00過ぎからひと眠り。と思うと、電話連絡があって起こされて。私は洗濯をしたり、仕事を少ししたりしたあと、16:00前から17:30頃まで眠った。昨夜も、入浴前にダウンして2時間ほど寝てしまったのだ。それから入浴して、今度こそちゃんと寝るぞと思ったら、病院からの電話だった。結局4時間寝ていないことになる。

・夕方、夫は、美容室に行って髪をカットし、市役所に死亡届を提出し、火葬許可証をもらってきた。私は葬儀費用を銀行から下ろそうと思ったのだが、ATMの引き出し限度額が低すぎて撃沈。明日、銀行の窓口に行かねば。

・夕飯の食材を買って、夕飯の支度。同時に、金曜土曜の録音を起こす。とりあえずこの部分だけでも早く、というところをなんとか形にしたい。「無理なさらなくて大丈夫です」と言ってもらっているが、頑張らないと限りなく遅くなりそうだし。

・義母と過ごした時間は長いので、いくらでも思い出話がある。今のところ寂しさよりは懐かしさのほうが優勢。本当にいくらでもおしゃべりしていられたし。危険がわからないことについては本当に大変だったけれど、それ以外の点では、楽しい同居人だった。義母も我が家の変則生活を十分に楽しんでくれたと思う。外に出かけられないのは気の毒だったけれど。6年間ずっと一緒に過ごしたわけだ。相当濃密な時間だったと今になって思う。新しいところに行ったら、義母の良いところを出してあげられるように、最初の導入のところを手伝えば、あとは義母のもともと持っている人を引き付ける力で人気者になっていった。そういうお手伝いをいろんなところでやっているうちに、義母は私を頼りになる保護者と思うようになったようだった。義母の考えずに突進するところと、私の考え過ぎるところとが、ちょうどうまくマッチしたコンビだったと思う。エネルギッシュで、自信がある人なので、手加減しないで済んだのが楽だった理由の一つ。姑と嫁でここまで遠慮がないのもちょっと珍しいというくらいだった。義母が書いていたノートやメモをそのうち読み返そうと思う。まだまだ胸の底に深く沈んで動かない母を見送った悲しさが、少し相対化されるかもしれない。

・入院中の義父には、義弟夫妻が面会に行き、義弟が伝えてくれた。義父は悲しい、かわいそう。自分が先に死にたかった。夫と義弟は母親を亡くしたのだからさびしいだろうね、と。こういう話は本当によくわかるのである。が、現実に立ち向かえない、受け止められない。入院中でよかった、と皆思っている。義父自身もそうだろう。葬儀に参列して、お悔みを言われ、そこで妻を見送った夫の役目を演じ続けるなんていうことは、義父には耐えがたいことだ。「ママちゃんにお別れの手紙を書く」と言っていたそうなので、明日、本当に書けるのか、書くつもりがあるのか、見に行ってあげないと。

・家は片付かないままだ。この混沌の中に義母はもうすぐお骨になって帰ってくる。どこにいてもらったらいいかなぁ。

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コメント

長い期間の手厚い介護ほんとうにご苦労様でした。
お悔やみ申し上げます。
昨日母はの三回忌でした。
出来たことは少なかったと改めて思いましたが
きっと怒ってないとも思いました。
風太郎さんにもお悔やみお伝えください。

投稿: 遠藤です | 2018年9月10日 (月曜日) 12:16

>遠藤さま

ご無沙汰しております。
お悔やみのお言葉をおかけくださり、ありがとうございます。
御礼申し上げます。

子どもが親にしてもらったことに比べて
子どもができることは少ないですね。

でも、この子がいてよかった、と思ってもらえたら、
それで親孝行なんじゃないかなと思います。
遠藤さんは、お母様にとって、可愛い可愛い自慢の
末っ子さんでいらしたことでしょうね。

義母はあまりに存在感の大きな人でしたので、
2年近く前に骨折で我が家にいなくなったとき、
既にその喪失感を味わっていまして、今回とは
意味合いが違うものの、少し予行演習ができた
感じもしています。

生きるのも、この世を去るのも、どちらも大仕事
ですね。

遠藤さんもどうぞおからだ大切になさってください。

投稿: とみきち | 2018年9月10日 (月曜日) 16:48

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