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2018年10月 8日 (月曜日)

10月5日(金)、6日(土)、7日(日)

◆10月5日(金)

・午前中、夫と2人で義父の主治医T先生の説明を伺いに行く。熱が定期的に高くなるスパイクフィーバーの状態。これは、IVH(中心静脈栄養カテーテル)から入ったばい菌による感染症のためと思われる。ISBLではないが、やはり耐性菌であるぶどう球菌が血液検査では出ている。その菌に効くと思われる抗生剤で対応しているが効きが悪い。経口栄養が摂れることが望ましいが、高熱が出ている状態ではそのトライができない。血圧は安定しているが、SATが低い。酸素を吸っていてもなかなか上がらない。「家に帰りたがっていますね」「家に帰って必要なものを取ってきたい、とここ数日言っています」「そういうことですか」。炎症があるのでCRPは5.2。肺は、やはり左側に肺炎がある。水がたまっている。また食べ物のかすと思われるものも見える。これは誤嚥性肺炎によるもの。嚥下の力が落ちるのは、脳の影響もある。硬膜下出血が、その後引いたという所見だったが、脳のCTを取ると、周囲に相当水と血液がたまっている。過度の飲酒の影響もあると思われるが、脳がかなり萎縮している。こういう状態になると、体の動きも悪くなり、嚥下にも問題が出てきたりする。この状態を見ても、経口栄養はやはり厳しいと思われる。白血球は9870。栄養状態もやや落ちてきていて、アルブミンが3.2。尿の問題があったというが、たんぱくなど出てはいるものの腎臓そのものの値は悪くない。肝臓の状態は良くない。

・近いうちに中心静脈栄養カテーテルを抜く必要がある。その場合、代わりの栄養補給の方法をどうするか決めてほしい。経鼻経管栄養か胃ろうか、あるいは十分な栄養補給にはならないが抹消血管点滴。医療的には胃ろうが管理は楽だし、つなぎ服を着れば手袋をはめる必要はない。経鼻経管は手袋が必要、末梢点滴も拘束が必要になるかもしれない。胃ろうの場合は、まず胃ろうが可能かどうか胃カメラ検査、その他の検査をする。可能となれば、現在の病院ではできないので、近くの大学病院に3日ほど入院して行なう。体力的には何とか耐えられるのではないか、というのがT先生の判断だった。「いつ頃お返事すればよいですか」「なるべく早く、週明けにでも」と言われた。

・義父は、酸素カニューレをしているなか、私と夫によく話をした。前日FMラジオで懐メロをたくさんやったと言って、越路吹雪、菅原洋一、「夜明けの歌」を歌った人は誰だっけ。スマホで調べて岸洋子と言ったら、「そう、岸洋子」。「一緒に歌ったの?」と聞くと、「歌った」と。そして、菅原洋一らしき人に、駅のそばで落としたお金を拾ってもらったエピソードを話してくれた。手をしっかり握って、「また来るからね」。

・午後、義妹が面会に行ったときは、それまでは静かに寝ていたのに、気づいたあとは「暑い暑い。窓を開けて。うちわがないと困る。痛い、痛い」が始まったそう。うちわをなんとか探して渡したという報告だった。

・帰宅後、夫からラインで義弟夫妻に報告をしたうえで、こちらとしては、現在の病院にずっといられるのであれば、新たな処置をするのは義父にもつらいことだけれど、長くは居られないことから、期間を定めず最期まで看取りをしてくれる義母のいたS病院に入るのが安心だ。そのためには、経鼻経管か胃ろう、あるいはもう無理に栄養を入れないという選択肢がある。しかし、感染症がある状態では入れない。やはりカテーテルを抜くために胃ろうを選択するしかないのではないか、という考えを伝えた。義弟も、発熱や痛みを逃れるためにはカテーテルを抜き、別の手段を考えるしかない。心身の負担を抑え、できる限り穏やかな日々を送ってもらいたいから、やはりS病院でお世話になるのがいい、という返信が来た。それならそのつもりでいましょう、ということになった。

◆10月6日(土)

・お昼過ぎ、近くの映画館で『日日是好日』を見た。黒木華という女優さん、初めて見たけれど、とてもすばらしい。樹木希林を相手に伸び伸びと演じており、表現力も豊か。底知れぬ力がありそう。良い映画だった。

・そのまま自転車で義父の病院に。あれ? 酸素が、カニューレではなくマスクになっている。ステーションに行き、「マスクになっていますね。何か変化がありましたか」「SATが下がってきているので、酸素を5リットルにしています」「えっ、5リットル?」。それはちょっと……。熱37.5℃で下がらないようだ。「話しかけていいですか」「はい、大丈夫です」

・少しベッドの横に座っていたが、気がつかないので、肩をトントンとしたら、「ああ、とみきちさん」「おとうさん、お熱があってちょっと苦しいのね。つらいねえ」と言ったら、うなずき、酸素マスクの中で、ぜえぜえしながらも「熱がある、そう」。それでも、私の顔を見ると、家に帰る話が始まる。「いつになったら家に帰る許可が出るかな。とみきちさん、頼んでくれますか」「おとうさん、おうちに行って、いろんなものを取ってきたいのね。気になるねえ。わかる、わかる」「そう、一緒に行ってくれますか」「そうね、おとうさんの体が大丈夫になったらもちろん一緒に行くけれど、今はちょっと難しいんじゃない?」「今は無理?」「うん、だって、今はちょっと息が苦しそうだし、熱もあるでしょう? まずベッドから降りるのも大変だと思うわよ」「そうね。ずっとこの階にいるだけだから、下の様子はよくわからないしね」「うん。だから、とりあえずは私が代わりに行ってきますよ。おとうさんはここでお留守番」「えーー? 行けないかな」「今はちょっと無理だと思うよ。外にはばい菌もたくさんあるし、おとうさんは今体が弱っているからばい菌をもらっちゃってもっと具合が悪くなったら大変。もう少し我慢してね」。とてもがっかりした顔をする。

・繰り返し、その話なので、「明日は風太郎も私もちょっと用事があるので、夜、おとうさんのおうちに寄りますね。それで月曜日に風太郎がおとうさんの腕時計を持ってくるから」「明日の夜? 夜だったら○○時計店はやっていないね」「うん、夜行くのはおとうさんじゃないわよ。風太郎と私」「ええ? 風太郎ととみきちさんだけ?」「そうそう、とりあえずはね」「そうかぁ。自分で見たら、必要なものが全部選べるのに」「そうね。それはもう少し体調が戻ったらにしましょうね」。

・はあはあ、ぜえぜえしながら、たくさんしゃべる。焦点も合っているし、日にちも確認できる。「今日は何曜日?」「今日は土曜日よ」。いつも日にちを確認するために開いておくテレビガイドのページを見せて、「ほら、土曜日」「ああ、そう」。

・そのほか、夢にいろいろな古い友人たちが出てきたと言って、「みんな死んじゃったけど」と言いながら、私の知っている話、知らない話を具体的に話してくれた。東京に出てきたときに下宿を世話してくれたり、飲み屋を教えてくれたりした先輩の話は、前に聞いたことがあったかどうかわからないけど、聞いたとしても結婚当初だったと思う。昔の人が夢に出てきているんだなぁと思った。「男友達が常に数人つきまとっていたけど、今はもう皆死んじゃった」と(ぜえぜえしてはいるが)淡々と話している感じだった。

・そして、「あれをここに置いて」とか、とりあえずテレビもラジオもしんどいからつけない状態になっているのだが、「テレビ台はもう少し近くに。そう、そこでいい」。ナースコールを確認し、頭の上のライトを手の届くところに引っ張ってきて確認したあと、「もう帰っていいですよ。ありがとう」「いっぱいしゃべって疲れたわね。それじゃまた来るね」と言ってから、「ああ、そうだ。今日の写真を撮っておかなくちゃ」と、酸素マスクをしている顔をスマホでパチリ。すぐに見せると、真剣な顔をして見ている。「おう~~」。なかなか迫力があると思ったみたいだ。それでもまんざらではない、というトーンの返事だった。「それじゃあね」と何回も握手。握力はまだ十分ある。そして、部屋の出口でもう一回振り返ると、義父は大きな声で「さよなら」と言った。昨日は「バイ」だったのだが、今日は「さよなら」だなぁと思いながら、自転車で帰宅。

・義弟たちにラインで報告。夫にも報告。「おとうさん、かなり苦しそうだったけど、大きい声でよくしゃべったし、私に『頑張りますから』と言ってた。何の愚痴も言わず、底力を発揮している感じだった。手も握ってくれたし」と。

・明日は、渋谷での古本市に参加。夫は一人で準備をしていた。

◆10月7日(日)

・朝、そろそろ古本市に出かけようと支度をしていたら、携帯に義父の病院の看護師Fさんから電話。「SATが下がったまま上がらない。酸素を10リットル吸っているが、すぐに外してしまうので、ナースステーションのそばの部屋に移しました。それから、マスクを外さないように、手袋ではないけれど、手と手すりとの間を紐でつないで、顔に手が届かないようにしてもいいでしょうか」という電話。「手袋でなければ結構です」と答えた。10リットル! うーん、そんなに吸い続けていて大丈夫なのだろうか。家族がいる間は外してもよいとのこと。ラインで義弟たちにその旨送ったが、すぐに既読にならないので、夫から義弟に電話して伝えた。熱は38.2℃。「急変の可能性もある。念のための確認だが、人工呼吸などの延命措置はしないということでいいですね」「はい、結構です」。

・車で渋谷に向かった。病院には、義弟夫妻が午後面会に行くことを伝えた。また、何かあれば私の携帯に連絡をしてほしいと病院にも義弟にも伝えた。

・古本市が始まって間もなく、お昼過ぎにまたF看護師から電話。「当直の先生と相談し、新しい抗生剤を試している。それでもSATが上がらないので、カテーテルをいったん抜いてみようと思うけれど、よいか」と聞かれたので、夫と相談して、「お願いします」と即答。そのこともラインで義弟夫妻に伝えた。

・14:00過ぎに義弟からライン。体調はかなり悪く、話しかけても反応がほとんどない。手をつなぐと握り返すのでわかってはいるようだ。看護師さんに確認したところ、カテーテルは既に抜いてある。肺から十分に酸素を得られないので呼吸回数が増えている。通常は1分で30回以下だが、現在は35回以上。全速力で走っているのと同じ状態。時々目を開けて周りを確認し、義妹が来ていることがわかった様子。帰り際に「また来るから」と言ったら、軽く頷いた。新しい抗生物質が体に入って、つらい状態なのだろう、とのことだった。

・16:00までの古本市が無事に終わり、帰途に着いた。途中、18:00過ぎにまた病院から電話。「SATが下がってきている。主治医から、肺に血液の塊がある可能性があるので、血液をさらさらにする薬を点滴で入れるとの指示が出たのですが、よろしいですか」「医療的な判断はこちらではできません。主治医が言われたのでしたらお願いします」と答える。この段階になって、「それは要らない、それは要る」とは言えない。つまり、既に延命処置の範囲内だから、何か新しい対処をするたびに家族に確認するということなのだな。「1時間以内に参ります」と言って、そのまま病院に向かった。18:45頃病室に到着。IOUと言われる部屋に。

・SATは90を切ると、赤く点滅する。確かに血圧は平常値、SATも声をかけたり、体をさすったりすると少し上がって、90~91になる。しかし、1時間以上いる間にやはり下がるときは下がる。当初は80台で右足をぴくぴくとけいれんさせていたが、90台になると少し動きがおさまる。目は少し開いているが、見えていない様子。瞳孔の反応が鈍くなっているようだ。呼吸回数は30回を下回る時間が長いので、その点は若干改善されたのかもしれないが、苦しい時間が継続しているので、体力も相当消耗しているだろう。声をかけても明瞭な反応はない。おそらくは感じているだろうとは思う。

・そんな状態でも吸引はするのである。最初はあまり反応しないが、相当奥のほうまで入れると、手を上げて抵抗しようとする。見るからに苦しそうで、本当に見ているのはつらい。吸引後にSATが70台に下がる。それでも看護師は特に何もせずに行ってしまう。顔色は悪くないし、体の力もまだある。しかし、手を握り返してはこないので、今は戦うので精一杯なのだろう。

・面会時間は20:00までだが20:30を大きく回ってしまった。看護師が来て、「状態が変わらないので、今夜はお帰りください。また、何かありましたらお電話します」と。なんとかこの状態を保っていられれば、ということだが、この苦しさが緩和されずに続くのだろうか。義父の苦しそうな姿勢は、やはり肺炎で苦しんだ母とまったく同じである。顎が上を向いて、頭をそらせている。しかし、母の場合は、抗生剤が効いた時点で早くに食事を諦め、点滴もやめて、看取りに入ったので、苦しい時間はそれほど長くはなかった。病院にいる間は本当にかわいそうだったが。もちろん絶飲食になってから、ずっと幻影が見えて、それに怯え、追い払おうとしてずっとうなっていた。私たちの声は聞こえて、ちゃんと反応するのだが、その幻影は見え続けているようだった。穏やかに亡くなるのは本当に難しい。それを思うと、義母は本当に穏やかに静かに息を引き取ったのだなぁと思う。母も、幻影は見えたものの、最期は家族が囲んでいることをちゃんとわかって、明るい昼間に旅立っていった。父は病院できっとつらくて寂しいまま亡くなっていったと思う。これでいいという見送り方をするのは困難なことだけれど、自分で「これでいい」という旅立ち方をするのはもっと難しいことなんだろう。

・簡単に外で食事をして帰宅。「今夜は早く寝て明朝に備えよう」ということで、お風呂を入れ、今、夫は就寝。

・私は、明日の約束をキャンセルさせてもらい、今週2回の出張録音のうち、1回分はチーム仕事なので、ピンチヒッターをお願いできるかどうか仲間に連絡。「代打可能」と言っていただいたのでまずは一安心。できれば自分で行きたいが。もう1回分は、担当の研究者にお願いすればよいと思うので、もう少し様子を見て明日連絡しよう。

・義父には「おかあさんが呼んでいるなら、おとうさん、おかあさんのところへ行っていいからね」と言ってきた。つらいのはかわいそう。しかし、先日、頑張って義母の葬儀に参列してくれた義父の妹の落胆を思うと……。

・私も、しっかり寝ておかないと。

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