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2020年3月15日 (日曜日)

3月9日(月)~14日(土)

・13日金曜日は20℃超えのぽかぽか陽気。そして、14日土曜日は東京の桜の開花宣言、それなのにみぞれで冬の陽気ということで、変化の激しいこと。コロナウイルスについては、WHOがパンデミックと言えるという見解。日本では特措法が成立。しかし「緊急事態宣言」を出すほどではないとのことだが、今後どうなるだろう。

 

・3.11の東北大震災から9年。社会に生きる一人としての自分を省みると、何ひとつできていないという思いになる。社会の一員として生きているということで、公共の意識は割合持っているほうだと思うけれど。

 

・今日あるものが明日あるとは限らない。社会そのものが崩壊することもあるわけで。

 

・人と比べる必要はない。人の犠牲のうえにあぐらをかくことなく、できることをするのは当然。そのくらいしかできないけれど、まずはそこから。平時には目立たないさまざまな偏見やエゴが、有事になると顔を出す。困ったときこそ、有事のときこそ、ちょっと頑張ってでも公の心を持ち続けられるようでいたい、などと考えた。

 

・師匠の他界からも丸9年。もっと生きていてほしかった。話したいことがたくさんあったのに。仲間とともにお供えを送り、奥様とメールでほんの少しだけやりとり。9年も経ったなんて。

 

・ここのところ、主な予定は鍼治療と自宅での仕事くらい。約束もキャンセル。おとなしいものです。

 

・夫が一瞬季節風邪にかかったようで、「えっ、このタイミングで」と夫も私も緊張したが、一日で回復。ちょうど内科の定期健診の予約のタイミングだったので受診もできて、無罪放免。やれやれ~。夫もここのところ、うがい、手洗いは励行しているし、トータルでの睡眠時間はそれほど不足していないけれど、とにかく極端に不規則な毎日なので、自律神経は乱れているだろうと思う。ただ、長く鍼治療を継続していることから、免疫力は高まっているとR先生はおっしゃる。体質は変わっていくものだから、鍼のせいばかりとは言えないが、私の花粉症の症状は一時期服薬が必要だったけれど、今は不要。とにかく私は一年中、薬というものをほとんど飲まない。夫は薬好きの義母に育てられたので、本当に薬が好きなのであるが。薬を飲むより、その症状を引き起こした原因を考えてそこを改善する努力をすればよいと思うのだが、まったくしないのである。これはもう理屈の問題ではないので、私はただただあきれるだけである。

 

・仕事の集中力がなくて、このところ気分転換に本を読んでいる。先日初めて『ライオンのおやつ』を読んだので、同じ小川糸の『食堂かたつむり』。本作についても、ストーリー展開が予想を超えるところがあって、面白く読めたのは事実だが、この2作を読んで、自分の嗜好に気づいた。人間が主人公の小説の場合、私はどうしてもあり得そうもない人物に思い入れがしにくい、ということ。例えばハードボイルド小説で、「いや、そこまではちょっと」と思うほど極端なキャラクターづくりだったり、デフォルメされていたり、というような書きぶりだと大丈夫なので、そこは微妙なのだが……。とても良い子だとか、かわいそうなだけの子とか、親切でものわかりが良い人とか、そういう一面的な登場人物が物語を進める重要な役割を果たす展開には興ざめしてしまうらしい。ファンタジーが好きでないのはそれか、と今ごろ気づいた。しかし、例えばムーミンとか、主人公がもともと人間でない設定ならOKなのである。小川糸の小説のファンタジー性がどうも私にとっては微妙なのである。さらに気づいたことだが、ストーリーがうまくいきすぎというのについては、逆にかなり寛容なほうだ。世の中には不思議なことはたくさんあると思うし、話を展開させて、結果として読者に何かを届けるのが小説だから、そこはどうぞご自由にと思う。しかし、人物設定にはかなり厳しいようなのである。(男性小説家の描く女性像にはしょっちゅうダメ出しをしておりました~)

 

・本当に久しぶりに読みやすい(と私が思う)小説を何作か読んだことになる。柴崎友香と小川糸。そして、小説を読む時間って、なんて怠惰で甘美なんだろう~と幸せに感じたのも事実。ただ、なんとなくどちらが好みかなぁと考えたとき、柴崎友香に軍配が。その理由を考えてみたら、柴崎友香の小説に出てくる人物は人間らしい人間だからだ、という結論になったのだ。悲しい話が書かれていて主人公が悲しんでいれば、私は泣き虫なので自動的に泣く。ドラマでも「泣きなさい」といわんばかりのBGMが流れれば、その指令どおり涙を流す。しかし、それは言ってみればただの反射であって、心が動いているかどうかというのはまったく別。「悲しいです」と書かれた小説はどうも苦手だ。『食堂かたつむり』がそうなのかといえば、そうとも言い切れない。食べることは生きること、といったメッセージが根底にあって、うんうんと思うところもたくさんある。しかし、人の心はそう単純ではないし、一つの出来事、一つの出会いでそんなに簡単に物事をのみこめたり、気持ちが変わったりするものではないし、などと思ってしまった。出来事の荒唐無稽さ、設定の荒唐無稽さは許せても、人の心の動きについて、うーん、という感じに。『ライオンのおやつ』についても同じ感じを持ったのだった。ストーリーはよかったのだけれどね~。

 

・心が描かれているか、生きることのみっともなさ、つらさと同時に歓びや希望が描かれているか。そんなことを私は求めて本を読んでいるのだなと思う。そして、それを描くうえで最適な言葉の選び方がなされているかというのもとても重要で。それを「つらい」とか「悲しい」と書かないで伝えてほしいのだ。対象読者の年齢層によって使われる言葉やストーリーの複雑さなどは変わってくるだろう。けれど、紙芝居のように次々と場面が変わっていって、「はい、ここで泣いてください」「はい、ここで共感してください」という感じで物語が進むと、何かがこぼれ落ちているような物足りなさを感じてしまう。

 

・小川糸作品はこのあと『つるかめ助産院』と『ツバキ文具店』も読んでみるつもり。どんな感想を持つことになるだろうか。

 

・古本市に関しては、3月の「鬼子母神通り みちくさ市」の開催中止連絡に続き、例年GWに開催される「不忍ブックストリート 一箱古本市」も開催延期の連絡。残念だけれど仕方がない。

 

・近所のクリーニング店やヤマト運輸の方たちと「これからどうなるでしょうね」と言葉を交わす。「飲食店はもっと大変だと思います」などと言いつつ、先が見えない不安を皆さん隠せない様子。「でも、免疫力アップのために笑ってなんとか頑張って乗り切りましょうね」と言い合って、「それじゃまた~」と。

 

・すべきことが全然できていないので、今できることを地道に一つひとつ。いつも言っていて、結局言っているだけのわたし。

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2020年3月 8日 (日曜日)

3月4日(水)・5日(木)・6日(金)・7日(土)・8日(日)

あっという間に日にちが過ぎます。コロナウイルスへの対応は全世界的に。グローバル化の世の中、当たり前のようにさまざまな情報が入ってくるけれど、いまでも何かあるとインターネットがつながらなくなり、情報が制限される国はたくさんあるようであります。情報リテラシーも大事だけれど、アナログな人のつながりも、同時に大切にしていかなくては、と思うこの頃。

◆3月4日(水)

・3:45就寝、9:45起床。本日は久しぶりのオーラル・ヒストリーの仕事です~。しかし、インタビューを受ける方は70代だからまだしも、インタビュアーとなる研究者は今年米寿を迎えるお方。このご時世、延期となるかと思っていたが、どちらからも延期のお話がなかったようで予定どおり実施されることに。いつもどおり永田町のカフェで研究者の方と待ち合わせ。お互いの近況報告や、今日のインタビューについての話をしながら軽食をいただくこと約1時間。そこから徒歩5分ほどの先方の事務所に。幸い雨はほとんどやんでおり、マスクをしながらゆるゆると歩く。私が「沈丁花も満開で、町を歩くとどこからともなく香ってきますね。今はハクモクレンも咲き始めています」「僕の庭では今、サンシュユが咲いている」「サンシュユってどういう字を書くんですか?」「知らない。カタカナじゃないかな」。歩きながらスマホで検索。「あっ、ありました。こういう字です(山茱萸)」と画面を拡大してお見せする。春黄金花(はるこがねばな)っていうんだ。へえ。花は見たことがある。「サンシュユ 画像」で検索すると、たくさんの写真が出てくる。この先生とは、仕事以外にも、家族の介護の話、花の話、本の話などを、こういう機会にさせてもらってお互いに(たぶん)やわらかい心情を共有する時間が持てている。気を遣わずなにげない会話を交わす時間を持つというのは、とてもとても大切なことだと思う。深くコミットする濃い時間も貴重だが、優しい気持ちでほっとする会話を交わせる時間は、一人だけでは作れないものだと思う。求めるだけでもダメ、押し付けるだけでもダメ。運動神経、反射神経、瞬時のやりとりにおける感覚みたいなものが作用するのだ。もちろんその根底には相手を尊重する気持ちが必要なんだけれど。

・オーラル2時間。今日が第9回。今日はいつもの秘書氏に加えて奥様もいらしていたので、話が膨らみ充実の内容になった。当初から全10回という予定だった。今日でひととおりのお話を伺い、次回は落穂拾いということに。次回で最後か~。時間は2時間を大幅にオーバー。いつもならまたカフェで一服ということになるのだが、コロナの問題もあるし、今日はこのまま帰ろうということで解散。お疲れさまでした。

・通勤ラッシュの時間帯にかかっていたが、電車はかなり空いている。一本見送らずとも着席することができて、本が読める。いつもこれくらいならねえ。19:00台に帰宅。今日は7000歩歩いたことに。まずまず。

・帰宅後、録音ファイルのバックアップを取る。雑事をごそごそ。

・夜になって珍しくしゃっくりが出る。なにごと?

◆3月5日(木)

・3:45就寝、5:25起床。眠い~。夫とともに鍼治療。夫は相変わらず、メインが坐骨神経痛。そして五十肩。それぞれかなり軽快してはいるのだが、なにせ基本が週1治療、しかも、R先生が年末年始はまとめてお休み、2月3月は台湾に続けて帰国された関係で、飛び飛びで月に3回程度になっているので、じわじわと痛みが復活してきたりしている。体にいいことは何一つやっていないので、治療回数が減るとその分悪化するのも当然かと思う。

・帰宅後、猛烈に眠いので寝ようと思うのだが、なんとなく寝付かない。体も、こんなめちゃめちゃなリズムで使われたら、いい迷惑ですよね~。うつらうつらしながら、なかなか本格的に眠れないのだが、かといって起きて活動するほどの元気はなく。目覚めてはちょっとスマホを見たり、本を読んだりして、再度眠ってみる、みたいなことを繰り返す。それでも合計5時間半ほど寝られたかなあ。なんだかんだで、すぐに夕方がやってくるのである。どうにもこうにもひどい生活。

・今日は結婚記念日なのであります。1988年から32年が経過し、33年目に突入。付き合っていた時間を足せば、本当に長いおつきあいであります。頭も体も極端に衰えることなく、これからも互いに尊重し合い、面白がりながら、楽しく支え合っていかれたらと思います~。

・仕事はよく進んだ。1年以上前に納品した1回切りのオーラル・ヒストリーに関して、依頼主の研究者からメールで問い合わせがあり、音声ファイルを送ったりなどして対応。その結果、詳しいことは書けないが、研究者のその場での理解力、記憶力、そしてテキストを読み込む力に改めて敬服することになる結果になった。私も気を引き締めて記録を作っていかねば、と思う出来事だった。いや、本当に稀有なリテラシーである。わかってはいたけれど。ちょっとした話しぶりや、話の整合性へのほんの少しの違和感などを、その場で感じるだけでなく、時間が経っても思い出せるのだなあ。

・入浴後、右膝、右足首にテーピングをしてみた。マニュアルを見ながら、一つひとつ丁寧に。むー、難しい。皺になってしまったり、ちょっと引っ張り過ぎてしまったり、位置がずれたり。でも、前回よりはだいぶましになったと思われます~。明日チェックしてもらおう。

◆3月6日(金)

・4:00就寝、9:00起床。

・11:00頃家を出て整骨院に。私鉄もJRも空いているので、車内では『放哉と山頭火 死を生きる』(渡辺利夫・ちくま文庫)を読む。ああ、放哉……と思いながら、自己弁護の手紙を読む。句は素晴らしいのに……。『海もくれきる』も再読しよう。

・雲一つない空。北風が強い。整骨院では、体全体は「これまででいちばん状態が良くなっている感じ」とのこと。やはりヨガ効果かな。歪みが改善しているのだろう。あちこちの引っかかりが減ったとも言われた。テーピングは「割とうまく貼れているね」。足首のほうは3枚貼るのだが、3枚目の位置が悪いとのこと。くるぶしの下側にテープの端がこなければいけないのだ。貼り始めの位置が高すぎた。膝は特にダメ出しがなく、両方とも貼り替える必要はなかったのでそのままに。この調子なら次も3週間後でいいんじゃないかな。ヨガがお休みになっているなら、努めて体を動かすようにして、とのこと。

・帰宅後、洗濯。仕事を始めようとしたら、音声再生用アプリを動かすフットスイッチにパソコンが反応しないではないか。あれ?昨夜は大丈夫だったのだけど……。つなぎ直してみたり、PCを再起動してみたりするのだけれど、無反応。わー、フットスイッチがないとテープ起こしができません~。今後は音声入力も併用したいと思っているけど、その準備をいきなりするわけにも。。。地元の家電量販店に在庫があるかどうかネットで調べたら「お取り寄せ」となっている。同じ系列の都内の何店舗かは在庫あり。取り置き可能とある。うーん、どうしようか。買いに行く時間と交通費を考えたら、今日は別のことをやってネットで買うほうがいいかもしれない。

・ふと思いついて、PCを再起動してから、USBメモリを差してみた。フットスイッチはUSBでつなぐので、USBポートの問題かもしれないと思ったので。するとちゃんと反応した。チャンス!と思って、USBメモリを外してフットスイッチをつないだら、ビンゴ! 反応しました~。あ~よかった。1時間ぐらい無駄になったけど、仕事が始められることに。よかったよかった。

・スマホを見ると、今日は9500歩だった。出かければ歩数は増える。しかし、体をもっと動かさないと~。

◆3月7日(土)

・3:00就寝。あまりうまく寝付かず、2時間ごとくらいに目が覚める。特に朝方は目が覚めてしまって(鍼治療の日のパターン)、お昼前後にまた眠りが深くなるということで、だらだらとしてしまう。。。要改善。

・予報どおり雨が落ちてくる。

・今日は夫のパソコンでちょっとした問題発生。インターネットはつながるし、メールの受信もできるが、送信だけができなくなったと言う。アドインがどうのこうのとかいくつかメッセージが出るけれど、よくわからないと。私はshurikenだが、夫はoutlook。「ネットで検索すれば、必ず同じような症状の解決法が出ているに違いないから、それを調べてみたら」と言うが、「よくわからない」と言って、諦めモード。ダイニングテーブルにパソコンを持ってきて、見てほしいと言うので、ネットでまず検索。いくつか考えられるパターンを一つひとつ試す。

・結局は、メールアカウントの送信メールサーバーの設定の変更をして解決した。夫と私は同じプロバイダと契約しているので、私の送信メールサーバーの設定を参考にして入力できたからよいけれど、そうでない場合は、プロバイダに確認したりする必要があるのだ。今は、PCに何らかの問題が起きても、複数のPCがあり、かつ、スマホも複数台、タブレットもあるから、それらを利用してネットからさまざまなお助け情報を取ることができるけれど、インターネットがダイヤル回線だった当時、PCやインターネットに何らかの不調が生じたときは大変だった。そんなことを思い出す。20年程度でこれほどまでに情報通信の世界は変わるのだから、10年後にはどんなことになっているのやら。

・そんなこんなで一歩も外に出ないうちに、あっという間に夕闇に閉ざされる。クリーニング店に行こうと思っていたけど、本日は蟄居でいいか~。土日で確定申告をやってしまおうと思っていたけど、今日は無理。それなら仕事をいたしましょう。ということにいたしました。

・運動は就寝前のストレッチのみ。ドアの外に一歩も出ませんでした。

(書きかけ)

写真は、3階の我が家ベランダから見下ろした庭の桜(かな?)。つい最近まで裸の木だったのに。ハクモクレンは近くの畑に植わっているもの。高さ4mくらいあるかしら。

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2020年3月 4日 (水曜日)

3月3日(火)

・3:20頃就寝、5:25起床。日の出が早くなってきて、6:00には既に朝が来ている感じ。夜中から朝にかけて冷え込んだ感じもあるけど、今日は暖かくなるらしい。寒暖の差が大きい。焼きおにぎり一つと残りおかず少々、納豆を食べ、ゴミを出してから、6:05に車で出発。道路は結構混んでいる。それでも6:25には到着し、鍼治療。顔のひきつれはしぶとく残存。朝のニュースを見るのは、R先生のところに来たときだけ。あれこれと世の中の感じをつかむのにちょうどよい。107円台まで急速に進んだ円高が(少し前までは110円くらいだったのに)ほんの少し戻って108円台になったとか、NYダウがどうだとか、EUを離脱したイギリスとEUの交渉が難航しそうなことだとか、スーパーチューズデーがこれからだとか。

・7:45頃帰宅。敷地内のモクレンが開き始めているのにびっくり。やはり今年は暖冬で、何もかもが前倒し。それなのに、人間の行動はウイルスのために足止め状態。背景は3月上旬朝の青空。

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・帰宅後、まったく眠くないので読書。『霧中の読書』を読了してしまった。あーあ。付箋をあちこちに貼ってあるので、戻ってパラパラとつまみ読み。もうすっかり忘れている自分にあきれつつ。しかし、こういうものを読んでしまうと、読書熱が一気に刺激されて、わー、あれも読みたい、これも読みたい、となる。

・色川武大の短編集を評する文章で、シャーウッド・アンダーソンを引き合いに出すところなど、ああ、どっちも読まなくちゃと思わされて、そわそわしてしまう。

『うらおもて人生録』は、一章一章の濃度が高いので、次から次へ読むことはできない。そうかあ、と感心しながら、人間についての新しい発見をしながら読むので、ことばと文章にしっかりと向き合って読むと、実はとても時間がかかるのだ。軽やかに書かれているのに、知らず知らずに心地よい重みがかかるのである。こういう文章は、日本の人生論ではこれまで現れたことのないものである。これは小説だが、アメリカの作家シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』(一九一九)をぼくは思い出す。ちょうど百年前の短編連作だ(一つの長編でもある)。一つの町のなかで生きる人たちの孤独な、でもそれぞれに大切な人生を映し出したもので、二二編の短編は一つ一つがすばらしい重みをもつので、とてもひといきには読めない。だかそらおそろしいほどの感動をおぼえる名作だ。色川武大のエッセイは、アンダーソンの短編を思わせる。そんなはるか遠い例しか思いつかないほど、色川武大の文章は特別なものだ。

・アンダーソンは、大学のとき、慶應を既に退官されていたのか、大橋吉之輔先生がいらして1コマか2コマ持っておられたうちの一つ、「アメリカ文学」の講座で取りあげていた。講堂で聞く、一方的な講義のスタイルの授業だったと記憶しているけれど、ものすごく面白かった印象がある。大橋先生の講義を2単位とったのか、同じ講義の中でテキストが変わったのか、記憶があいまいなのだが、『The Egg』も読んだし、『ワインズバーグ・オハイオ』も読んだ。前者は変形A4判くらいの白いつるつるのソフトカバーのテキストだった。『ワインズバーグ・オハイオ』はペンギンの原書を読んだ記憶があるのだが、これは自分で読んだのだったか。大橋先生はアンダーソンの『卵』をまるで我が子をいとおしむように購読されるのだった。ある表現によって示唆される内容や、展開の妙、言葉の選び方などなど、何から何まですばらしいといった、た全面的な賞賛の雰囲気をたたえて。『卵』は、これほど言葉をいつくしみ愛される価値のある作品なのだなぁと本当に深く印象に残った。

・また、大橋先生には、同じ講堂で、アメリカ文学のアンソロジーのテキストで講義を受けた記憶もあるのだが、これは大橋先生ではなかったのだろうか。持ち歩くにはまったくもって不向きな10cmくらいの厚みのあるペーパーバック上下2巻のアンソロジーだった。そこにぎっしりとアメリカ文学のおもだった作品のダイジェストが掲載されており、それぞれの作品について少しずつコメントをしていく、というスタイルの講義だった。短い歴史しかないアメリカにも、一応文学史と呼ぶべき流れがあるのだな、と思いながら聴いていて、これもなかなか面白かったのだが、中身はほとんど記憶にない。

・当時手に入る翻訳は『ワインズバーグ・オハイオ』と『アンダスン短編集』(いずれも新潮文庫)だったと思う。『卵』は短編集に収録されていた。しかし、話のひとかけらも覚えていない。再読しよう。

・色川武大もこれまでにいろいろ読んで親しんだけれど、こう書かれると、また読みたいなぁと思うわけで。芋づる式読書。贅沢な時間。

・そのほかメモ的に。荒川さんは詩集の出版社も経営していて、多くの詩人を世に出して、その第1号の詩集を制作、出版している。そのことは知っていたが、その出発を支えた大切な本が『草莽論』(村上一郎)であった、ということは本書の「幻の月、幻の紙」を読んで初めて知った(p.188)。詩人を見出し、その人の詩集を作り、世に送り出す、その出発点にあった本についてのこのエッセーは、さりげない文章でつづられているが、覚えておきたい。

・さらに、読みたいと思わせられた作品は、ウィリアム・サローヤンの『ヒューマン・コメディ』(小川敏子訳・光文社古典新訳文庫)、モーパッサンの中編、吉行淳之介の短編集など、いろいろ。

・荒川さんの怒りは、昨今の文芸評論、文芸批評に向けられる。何度も出てくるのだが、最後の書き下ろしにもそれがあらわれる。

近代文学の解釈と鑑賞の書物は、一九七〇年代ころまではたくさん出ていた。吉田精一、塩田良平などの著作が特に知られた。明治・大正期の小説や詩には古いとばやことがらがたくさん出るので、説明が必要になる。そのときに、なくてはならない書物だった。だがそれ以降になると、古いことばやことがらを扱う作品は少なくなる。こまかい考証や注釈にこだわっている解釈と鑑賞の本は、時代遅れのものと映った。でも実は解釈と鑑賞の本は、ただこまかいだけではなく文学表現のよみとり方をとてもていねいに教えてくれたのだ。そこで行きかう文学的な知識、こまやかな視線の動きは次第に不要のものとみられるようになり、そのために文学の理解はせばめられる結果になった。今日の文芸誌に掲載される文芸批評は知識と情報を押し出し、一見高級な印象を与えるけれど、対象となることばや文章を読みとる点では粗雑あることが多い。内容も自身の知見を披露するばかりで、分外の基本理解を欠いた現代の読者のためのものとはなっていない。つまりそれは明らかに現代という時代を見失っていることであり、時代遅れなのである。吉田精一の本を開くと、もっと教えてほしいという気持ちが起きる。文学について知ってみたいという思いを知ることになるのだ。

これは、吉田精一(1908~1984)古典から現代までを批評の対象として、詩歌、戯曲も含めたすぐれた文学案内書を著述した人についての一文。「文学表現のよみとり方」という言葉にドキッとする。

・明日は久しぶりにオーラル・ヒストリー同席。ご高齢の研究者と、それよりはお若いけれど、ややご高齢のインタビュアー。大丈夫かなといろいろ心配しながら。

 

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2020年3月 3日 (火曜日)

石弘之さんインタビューがとてもわかりやすい

ネットで、『感染症の世界史』の著者、石弘之さんのインタビューを読んだ。とてもわかりやすかったので、ご紹介。


 


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3月1日(日)・2日(月)

◆3月1日(日)

・5:30就寝、13:30起床。昼夜逆転生活変わらず。しかも寝すぎではありませんか……。生来、外では思いきり体を動かし、家ではごろごろして本を読んでいたい人間なので。昨夜は振り返りブログを書くのに時間がかかった。体の随所にうすーい筋肉痛。筋トレとは違う感じでインナーマッスルを使えている証拠、だとよいのだけど。しかし、体重はぐんぐん増加しているのであります。筋肉がついた実感はあるし、実際に体脂肪率は落ちているのだが(誤差の範囲ともいえるが)、体重だけが順調に右肩上がり。栄養を吸収してしまっているのでありましょうか。えっ、こんな数字? と驚くわけで。もともと巨大だったお尻がますますどっしりと重量感を増している。あーあー(苦笑)。

・夫は、本をまとめて売りに行くために、準備に余念がない。地元の35年くらいおつきあいをさせていただいた古書店がこのたびお店を閉じることになったので、夫の書籍の流れは今後変わっていくことになる。値がつかないような本はまとめてブックオフに定期的に持ち込んで買い取ってもらい、まずまず回転しそうな本は地元の古書店、そして、「欲しい」人が多いような本を古本市に出す、というかたちで我が家の本は外に出ていくのだが、その「古書店」がなくなってしまうとなると、ちょっと大変。

・ヨガは16:00の予約。今日も初めてのプログラムで強度は高め。ヨガというよりは、ヨガのポーズをとるうえで必要な部位を整えましょう、というレッスン。確かに随所で「この姿勢、無理」とか「まず曲がらないし」とかそういうものもあったし、支えるのに力が必要でぷるぷるしてしまうような体勢もあった。

・帰宅したら夫は本の処分に出かけていて、夕飯は不要とのことなので、足首と膝のテーピングの練習をしてみた。うーん、下手くそだなぁ。一度貼ったものをはがしてやり直してみたものの、うまく貼れません。でも、とりあえず貼ったまま様子をみましょう。

・夕飯は自分のために生野菜どっさりサラダとパスタで簡単に。赤ワインを飲みながら、本を読む。今日も仕事はしませーん。英語のメンバーから借りた『ライオンのおやつ』(小川糸・ポプラ社、2019年)を読み始めた。小川糸作品は初めて。ファンタジーっぽい設定と、優しいタッチの、小説というよりはものがたり、といったほうが似合うような文章だ。小学校の頃読んだ、ちょっと知らない世界に連れていってくれるような子ども向け読み物を読むときの気分に似ている。が、テーマは死、主人公の海野雫(うみのしずく)は33歳で、瀬戸内海に浮かぶ島にある「ライオン」というホスピスに入所することを決めた、というところから始まるものがたり。お世話をしてくれる責任者は「マドンナ」と名乗る初老の女性。そこで雫は、おいしいお粥や、おいしい空気、安心して寄りかかれる人、そして幼い頃からの念願だった生きている犬に出会うことになる。まあ、それはそれは泣かせる話で、ティッシュボックスを横において、ちーんと鼻をかみながら読んでいった。

・視力は大切にしなくちゃとか、何でもかんでも涙がとまらない状態になるこの癖、どうにかならないのかしらとか、とても現実的なことを考えながら

・お風呂のあと、またしっかりストレッチをして、布団で続きを読み、また鼻をかみ、目が腫れたらまずいから、あと少しのところで読むのをやめて寝た。

◆3月2日(月)

・3:30過ぎ就寝、5:30起床。眠い。まぶたはそれほど腫れていなかった。昨日貼ったテーピングは、足首はかえって痛みが顕在化する感じがしたのではがし、両ひざはそのままに。予報が当たって明け方まで雨は本降りだったようだが、朝には霧雨程度になっていた。なんとか起きて、着替えて、ミニの焼きおにぎりを一つ食べ、ごみ出しをして、6:00に出発。鍼治療に。

・今日から小中高校は休校ということで、7:30を回った頃、駅方面から家に向かって車を走らせていると、足早に駅に向かう人々は大人ばかりだ。いつもなら、立ちこぎで急坂をのぼっていく制服を着た高校生や、4月にはまだぶかぶかだった制服が、それなりに見えるようになってきた、同じマンションの中学1年生の女の子とか、若い人たちの姿が見られるのだけれど。

・8:00前に帰宅。眠いけれど、どうせ眠れないので、『ライオンのおやつ』を最後まで。前半は、ファンタジックで、ちょっと深みが足りないかなあとか、こんなに都合よくいかないなぁとときどき思わないでもなかったけれど、後半になって緊迫した状況が描かれても、その空気感が変わらず、ああ、こういうことなんだととても納得するエンディング。「これでよかったんだな」とほっとするような読後感。

・ポプラ社のサイトに紹介されている作者からのメッセージをそのまま転載。

「母に癌が見つかったことで、わたしは数年ぶりに母と電話で話しました。電話口で、「死ぬのが怖い」と怯える母に、わたしはこう言い放ちました。「誰でも死ぬんだよ」けれど、世の中には、母のように、死を得体の知れない恐怖と感じている人の方が、圧倒的に多いのかもしれません。母の死には間に合いませんでしたが、読んだ人が、少しでも死ぬのが怖くなくなるような物語を書きたい、と思い『ライオンのおやつ』を執筆しました。 おなかにも心にもとびきり優しい、お粥みたいな物語になっていたら嬉しいです。 」

・タイトルの「おやつ」は当然のこと、メッセージにある「お粥」も、作品内では非常に重要な役割を果たしている。

・死について考えることは、生き方を考えることだ。生きるうえで大切なのは、食事、仕事、思い、思い出、時間、からだ、家族も含めた自分以外の他人、ペット………。そんなふうにパーツに分けてみたとして、この小説はその中から「思い出と食事」をセットにして横軸にした作品。最初はいい人しか出てこないように思ったけれど、それぞれの人のいい部分をすくいあげて書いた、と言うべきなのかもしれない。全体はふんわりと優しいしつらえのなかに、死を自分のこととしてイメージしたことがない人に届けとばかり、(死を身近に感じている人にとってもおそらく)直球のメッセージがあちこちに配されている。ものがたりだからこそできることだなと思った。人物造形と台詞がとても上手なせいだと思うのだが、読んでいるあいだじゅう雫ちゃんの声が脳内で聞こえる感じがしていた。

 

・そして、残念なことに、ヨガは全国の全店舗休業となってしまった。3月15日まで休業し、16日再開の予定らしい。残念。本を読み終えて、11:00過ぎから昼寝をして、14:00過ぎに目を覚ましたところ、ヨガを紹介してくれたMちゃんからラインが入っていた。今日予約を入れていたので、電話が来たのですって。一斉休業と聞いてスマホをチェックしたら、Lineでもメルマガでもお知らせが届いており、またアプリにもホームページも同じご挨拶がアップされていた。残念ではあるけれど、まあ仕方ないことではある。皆で少しずつ我慢して拡大させずになんとか収束するようにしないと、とにかく相手は見えないので、自分は大丈夫と思っても知らずに運んでしまっている可能性もあるというのだから厄介なことだ。同じスタジオに通っている高校の先輩ともLineで「残念ですね~」とやりとり。

・他方、15日開催予定だった「鬼子母神通り みちくさ市」もやはり開催中止が決定となった。こちらも残念。今は日々を落ち着いて静かに過ごすのがよいのでしょう。

・遅い昼食をとってから、今日も紙類の断捨離作業。仕事のファイルをやり直したり、今や保存の不要になった、ネット関係のさまざまな契約書類などを、個人情報部分を切り抜いたり切り刻んだりしながら処分。ほんの少しの進展ではあるが、後退していないことが大事。

・明日も早朝鍼。今日は結局まったく運動しなかった。明日は少しは体を動かさないと。

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2020年3月 1日 (日曜日)

2月29日(土)

・コロナウイルス問題がどうなるか。一斉休校の児童・生徒にワタミが実質無料でお弁当を届けるということだ。迅速な対応! しかし、ワタミで働く人たちは大丈夫なのだろうか。隣の、7歳、5歳、2歳の子どもたちを育てている肝っ玉母さんのMさんと玄関先で会ったら、トイレットペーパーやティッシュ、水などの買い占めが始まっているようで、「今日ドラッグストアに行ったら大変な行列でした」と。「大丈夫? 足りてる?」と聞いたら、「大丈夫です」と。声を掛け合って、できることをできる人がして少しずつ助け合うのが原則だと思うのだが。

・古井由吉が他界。飯田橋文学会では日ごろは有料のインタビュー動画を3月1日まで無料公開している。こちらです。是非。

・昨夜、『虹色と幸運』(柴崎友香、ちくま文庫、2015年)読了。ゆっくりゆっくり読んだのに読み終えてしまった。先日の講演会で作者が述べていたことをいろいろと思い出しながら読んだ。「小説を読む」楽しさを思い出しながら。この作品については「ある月のある一日のことを一年分書く小説を書きたいと思った」と話していた。大学時代の友人だった3人の女性が主人公。30代になったところであるきっかけで時々顔を合わせることになり、自分以外の2人を見ながら自分を振り返りつつ、それぞれの生活にそれぞれの変化が少しずつ起きていく、その様子を、毎月ある日の一日の出来事として3人分が描かれていく。映画のような作り方だ。一人の視点で描かれているのではなく、そのときに描かれている珠子なら珠子の気持ちが描かれる。会話が重要な役割を果たしているが、地の文は町の描写も多く、また、ほとんどの文章の文頭には、その動作をしている人の主語がない。これが全体のトーンをゆるく、映画的、ドラマ的にしている秘密かな、と今回感じた。明らかに夏美の心象風景を描いているのに、それが知らぬ間に夏美の視線でとらえた女の子の描写になり、段差なく情景描写につながっていく。そして、段落があいて、今度はかおりの職場の様子が描かれる。この繰り返し。とても面白かった。

・30代の同性同士の牽制の仕方、あるいは優しさの示し方、「これからどうしよう」という焦りや、ちょっとした開き直り、自分の家族のこと、友人の家族のこと。しあわせって何だろう? 自分はいましあわせなのか? 自分は大人なのか? まだ子どもなのか? いつまでも大人にはなれないのか? 日々のあれこれに立ち向かったり落ち込んだりしながら、誰もがふと思うようなことを、主人公の3人はそれぞれに思い悩む。そこには、決して特別ではないけれど、ほかの誰でもないその人の今が描かれている。

・作家は、小説に出てくる人たちが自分とは違うタイプで、まったく共感できるということはなくても、「こういう人がいることは理解できる」「こういうふうに思う人がいることは理解できる」、そういうふうに思うことで、別の人生を知ること、体験することができるのが小説と言っていた。

・先日、個展を見ていたく感動した青木野枝さんは、「私には世界がこう見えます」と書いているが、柴崎友香も「私には世界がこう見える」という主人公たちを書いている人だ。年齢の近い読者はおそらく、自分は、かおりだろうか、それとも夏美、いや、珠子みたいなところもあるし、などとみずからを重ねながら読むのだろう。

・『霧中の読書』(荒川洋治、みすず書房、2019年)をちびりちびりと読み進めている。どうしたらこんなふうに作品を読み込み、そこからぐいっと本質をつかみ取り、短い端的な表現でその作品を言い表せるのか。本当にすごいなぁと思う。時々、全文引用したいほど、引き締まっていて見事なエッセーがあると、もう本当にため息が出る。例えば、「平成の昭和文学」(毎日新聞、2019年2月3日)から一部引用。

吉本隆明『詩学叙説』は、『言語にとって美とはなにか』(昭和四〇年)から四一年後、平成一八年の詩論集。散文は「意味」、詩は「価値」の視点で、近代から現代への詩の歴史、表現の変化を読み解いていく。語句の振幅と奥行を遡る視線は、これ以上望めないほどこまやかで鋭い。吉本隆明の状況論、思想論は、こうした、詩のことばを見つめる文章の経験を基盤にして生まれたのだと思う。散文だけに向き合う現在の批評家には書けない、ゆたかな一冊だ。

・ここで、上記の古井由吉のインタヴューとの呼応を思う。古井由吉は冒頭、翻訳と創作について聞かれたときに、次のようなことを言っていた。「翻訳を若い頃にしたけれど、論理をはずすまいとすると、どうしてもどこかで間違えてしまう。意味というものは、論理だけに運ばれているものではなく、音律によっても運ばれているものだ」。そして、詳細は略すが、自分の小説の書き方を続けていたらいずれは言葉を失って書けなくなるのではないか、との危機感があったということもさらりと話す。音律をどうするかということが長年の課題であったようだ。そして本インタヴューで自身の作品から3作選べと言われて、普通であれば、若い頃、中期、そして老年期の作品というふうに時期をずらして選ぶのかもしれないが、今回選んだ3作は、その危機の中でなんとか意味に声が伴うようになってきたかなと思える時期の作品を選ぶことになった。結果的に、割合最近のものが3作並ぶことになったのだ、と言う。

・言葉との対峙の仕方は人それぞれだと思うが、苦しみもそれぞれなのだろうと思った。

・荒川洋治は、吉本隆明について上のように書いたあとは、このように結んでいる。珍しく素直でトゲのない結び。

気忙しい日々。読むことはあとまわしになった。いい書物とはどのようなものか、そこから自分はどのくらい離れているのかも見えなくなる。情報化社会とはいうものの、ひとりひとりの内部の情報化は、たちおくれた。それが平成の時間だったのかもしれない。それでも人はどこかで、いい本を読むことを、そんな日があることを願っているのだ。

・励まされる。

・荒川洋治、もう一つだけ引用。「流れは動く」(毎日新聞、2018年1月21日) 現代俳句の鬼才西東三鬼の『西東三鬼全句集』(角川ソフィア文庫、2017)を取り上げたエッセイ。

みな大き袋を負へり雁渡る

は、終戦直後の庶民風景を象徴する名句だ。みな、大き、袋、などの単純で平凡な語のつらなりが風景をつくり、鮮やかな映像となって胸に迫る。「おそるべき」才能というしかない。ことばがいつ、どのようにつながるときに、これまでにない新しさ、美しさが現れるのか。「みな大き」の引きしまったことばが、無言のまま知らせる。現代詩歌の代表作の一つである。

ここで「おそるべき」と括弧書きになっているのは、その前の部分で、「おそるべき君等の乳房夏来(きた)る」を紹介しているから。

・西東の俳句を味わう力などないとわかっていても、どうしてもこの全句集を読んでみたいと思わせる。

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・今日の記録。

・明け方寝て、昼過ぎに起きて、寝すぎたと反省。もそもそ起きて、夫とブランチ。今日は書類の断捨離作業。ホチキスを外し、切り刻むもの、そのまま古紙に出せるもの、開封すらしていないカタログ類、レシート、メモ、ノート、コピー、本当にたまりにたまっている。ちまちまとしか片付かないから、とても疲れたと思っても、なんとなくごみが減りましたね、程度の進展。しかし、今やらなければと思っている。確定申告の期限が延びたからではなく、コロナウイルスのために、予定がいろいろとキャンセルになりそうな感じだし、これからあえていろいろな予定を入れることもなさそうだし、と思うから。それで、本を読む時間を作ったりもしているのである。

・ヨガには行った(通算26回)。昨日に続いて(あ、昨日のブログ書いてない)。今日はまた初めてのプログラム。ポーズを取り、キープしながらも呼吸を続けてリラックスしていくことを目指すレッスン。強度はそれほどではないものの、前半下半身をしっかりほぐしたあとの立ちポーズで驚くほどの汗をかいてすっきり。楽しかった。しかし、開脚ができないし、膝は曲がらないし、うーん。

・夜は、仕事絡みも含め、もろもろの雑用を一つひとつ。

 

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